2011年8月31日水曜日
御法門とお看経
己の遺恨を差し挟めば謗法と言われます。「あの人に説いてやろう」と教務が思ったら謗法。自分の考えで説くなどもっての外で、現証が顕れない。
一段、一段と、凡夫転倒の考え方を改めて、歩みを進められるようでなければ。
お看経をいただいていたら次男が来て、僕のモノマネをしながら言上をはじめました。恥ずかしい。
とにかく、明日は9月。月始総講。御法門とお総講はセットです。
「過去を思へば皆煩悩の為也」
「のりのため御奉公にてしゝぬれば 人と生れしかひはありけり」
人と生まれて、どう生きるか。どう生きたら、自分なりに納得して死を迎えられるか。無常であることは必至。その時が来れば惜しむ気持ちもあるはず。ただ、どう生きたのか、日々に問い返さなければ、あっという間に流される。自己満足と慢心の穴。それがために、悪循環を繰り返し、苦しんできたのに。まだ分からないのか、とつぶやく。
国難は、この国の政治不在とゾンビ事業を復活させる官僚組織か
2年前の事業仕分けで凍結された朝霞の国家公務員宿舎が今日から建設着工と。総工費105億円の事業。
本当に呆れるな。血が通ってるのか、担当者は。国難とは口だけか。
国難は、この国の政治不在とゾンビ事業を復活させる官僚組織か。
国の関与3件、疑い5件
彼ら政治家も、我々国民も、なりふり構わず進められてきた原子力発電所の建設や、ずさんな安全管理体制のもたらした悪夢のような現実を忘れてはならない。
国の関与3件、疑い5件=原発シンポ「やらせ」—第三者委(時事8/31)。世論調査はほぼ常態化していた。http://goo.gl/unved
こんな国でいいのか?なんで、みんな落ち着いてるの?保安員の課長や担当者の問題か?誰も裁かれず、誰も何も言わないのか。そんなはずがないだろう。
過去があり、現在があり、未来がある。原発事故の収束や賠償という現在の仕事と、過去に向き合い問題の本質を明らかにする仕事と、未来に向けた新しいエネルギー政策を立案し推進する仕事を、誰が出来るか。
幸せいっぱい
幸せいっぱいでした。
ヴェネツィア、フィレンツェの旅。ホテル・バリオーニ、やっぱりよかったと。あのルーフガーデンは最高。大運河沿いのホテルから見た景色も一生の思い出になったはず。
これから厳しいご奉公です。ブラジル生まれの悦子、海外ご奉公を重ねてきた清顕、たくさんのインスピレーションを得て、妙深寺で活かしてもらいたい。でなければ、意味がない。
幸せいっぱい。よかった。
2011年8月30日火曜日
Primordial Buddhism
「本門」「久遠」「本化」など、キーワードやヒントは山のようにある。枝葉末節に流されることなく、「根っこ」にこだわる、根本に戻る、根本を大切にする、という教えや姿勢。
言葉のチカラ
積み上げてきた行動から生まれた言葉は、鍛えられている。それはきまぐれな「つぶやき(ツィート)」や飽きっぽい人のコメントとは違う。普遍的なチカラを感じる。
彼らを批判するのはたやすいが、教務として見習うべきところが山のようにあった。行動、継続性、挫折や希望、正直さ、実直さ、打たれ強さ、我が身を下ること、一人一人丁寧に向き合う姿勢、そして覚悟、言葉。
自分を省みて、また新たな気持ちで修行に励もう。
「言うことの合えばこそ、人も信ずれ」
言葉のチカラを見せた次に、また行動を積み重ねてゆく必要がある。言葉だけでは、本当の信は得られないから。
2011年8月29日月曜日
真っ暗闇の陸前高田で
三カ所への訪問、お助行を終えて、いま真っ暗闇の中を運転しながら寝る場所に向かっているとのこと。
陸前高田で、ご奉公できること、ご奉公させていただけること、ご奉公くださっていること、本当に、ありがたいです。
気をつけて、信仰師、瓜生さん、チノブ。
ニルヴァ−ナス−トラ
「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし」
陸前高田へ
福田さんのお宅のご宝前にご挨拶、お看経させていただいて、佐々木さんやほかの方々にもお会いできたら最高です。
よろしくお願いいたします。
がんばれ!
転校は、彼らにとったら大変な出来事。さみしいだろうし、ドキドキしているだろうし。
とにかく、がんばれ!
2011年8月28日日曜日
2011年8月27日土曜日
百人力
今月、仕事をしていた時の盟友とも言うべき女性が御本尊をお受けになりました。
彼女がいれば百人力。みんなでご弘通やご奉公の話ができるなんて、最高です(涙)。
168・5個分
原爆29.6個分
約30個の原爆。汚染された国土と被爆し続ける人たちのために全国民で立ち向かわなければならないのに。
2011年8月26日金曜日
避難勧告
いま速報ですが、横浜市瀬谷区に避難勧告が出たようです。妙深寺、法深寺の、多数のご信者方がおられる地域です。
「和を以て貴しとなす」の真意
下記にご紹介したい。
「和を以て貴しとなす」の真意
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■「和を以て貴しとなす」というのは、日本人に最も広く知られた言葉の一つだろう。
「とにかくカドを立てないで仲良くするのが一番大切」といった意味で理解している人が多いだろう。
その出典が聖徳太子の「憲法十七条」であることもよく知られているはずだ。
「憲法十七条」は『日本書紀』に載せられているため、『書紀』の史料批判の観点から学界では偽作説も出されている。
だが、個別の語句や表現に後の潤色が加わっていたにしても、基本的な内容は当時のものとして見てよいというのが歴史学界の大勢の意見だ。
■この言葉は「憲法十七条」の第1条の冒頭に出てくる。『書紀』の訓(よ)み方を記した最古の写本である岩崎本の『書紀』(平安時代中期の書写)ではこの個所を−
「和(やわら)ぐを以(も)て貴しとし…」と訓んでいる。
そのあとは「忤(さか)ふることを無きを宗(むね)とせよ。…」と続く。
第1条全体の主旨は、この言葉を知っている多くの日本人が抱いているイメージとはやや違っている。
人はえてして派閥や党派などを作りやすい。そうなると偏った、かたくなな見方にこだわって、他と対立を深める結果になる。そのことを戒めているのだ。
それを避けて、人々が互いに和らぎ睦まじく話し合いができれば、そこで得た合意は、おのづから道理にかない、何でも成しとげられる−というのだ。
ただ「仲良く」ということではなく、道理を正しく見出すために党派、派閥的なこだわりを捨てよ、と教えているのだ。
■これは、じつは最後の条文、第17条と対応している。第17条の内容は次の通り。
「重大なことがらはひとりで決定してはならない。必ず多くの人々とともに議論すべきである。…(重大なことがらは)多くの人々と共に論じ、是非を検討してゆくならば、その結論は道理にかなうものになろう」
このように重大事の決定に独断を避け、人々と議論するにしても、各人が党派や派閥的な見方にこだわっていては、対立が深まるばかりで道理は到達できない。
したがって重大事の決定にあたり、公正な議論で道理にかなった結論を導く前提として第1条があるのだ。
★ここで注意すべきは、第1条も第17条も、討論や議論の効用を最大限に高く評価しているということだ。
これは逆に言えば、議論をウヤムヤにして表面上の一致のみを求めるいわゆる「空気の支配」や同調圧力に対しては、最も批判的な立場が示されているのだ。
「和を以て尊しとなす」という言葉は、これまで自由闊達な議論を封じ、長いものに巻かれろ式の「空気の支配」を強化する脅し文句に使われる傾向があった。
だが、それは聖徳太子の真意とは全く逆のものだ。
聖徳太子は、道理にかなった結論を得るためには、公正な議論が不可欠と考えていた。
それは、どんな卓れた人物であっても、完全無欠ということはあり得ないと洞察していたからだ。
■そのことは第10条を見れば明らかだ。
「人が自分の意見と違うからといって、怒ってはならない。人にはみな心があり、心があればそれぞれ正しいと思う考えがある。…自分は聖人ではなく、相手が愚人でもない。共に凡人なのである。それゆえ相手が怒ったら、省みて自分の過失を恐れよ。…」
人は他人と意見がくい違うと、えてして自分は「聖人」で相手は「愚人」のように思いがちだ。
だが、聖徳太子は「共に凡人にすぎない」と喝破されている。冷静に考えると確かにその通りのはずだ。
この世に完全無欠な人間などどこにもいない。それなのに、自分だけが完全無欠であると思い込んでいるとしたら、それはよほどの思い上がった錯覚と言うべきだろう。
このような透徹した人間観を基礎として、聖徳太子は公正な議論が不可欠であるとし、公正な議論のために党派、派閥的なこだわりやかたくなさを排すべしとされたのだった。
■では、そうした派閥的なこだわりを捨てるにはどうすればよいのか。また公正な議論によって道理にかなう結論を得るには何のためか。これについては答えが第15条にある。
「私(わたくし)の利益に背いて公(公共利益)のために尽くすのが臣下たる者の勤めだ。およそ人に私心があれば必ず自他に恨みの感情が生まれる。恨みがあれば心からの協調ができない。協調ができなければ結局、私的な事情で公務の遂行を妨げることになる。…」
つまり公共の利益こそその目的ということになる。
そして派閥的なこだわりを捨てるためには、まず私心を去る必要があるというのだ。
■結論
完全無欠にほど遠い人間が公共の利益を実現するためには、派閥的なこだわりを捨てた公正な議論が欠かせず、そのためには各自が私心を去らねばならない。
これこそ聖徳太子が唱えた「和を以て貴しとなす」の真意だった。現代の我々も謙虚に耳を傾けるべき貴重な教訓ではあるまいか。
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【参考】
十七条の憲法
http://www.geocities.jp/tetchan_99_99/international/17_kenpou.htm
時期尚早だが、政界再編に期待しちゃうな
このまま議論を重ねることなく数合わせで一国の首相が決まるなら、実力者たちは何でも言うことを聞く候補が一番都合がいいと思っているだろう。こんな国難に直面した日本に、リーダーシップのないお人形さんがトップに就いたらどうなるか。もはや大政を奉還させたらいい。
しかし、これが日本かな。日本らしいのかな。リーダーシップを警戒して傀儡政治ならば安心するものなのかな。となると、「トップは都合が悪くなれば変えたらいい」になる。国民ではなく、政財官の実力者たちはそう思うに違いない。
だから、短期政権が多く、中長期的な国家の課題に取り組めない。短期の政策に終始して国民の機嫌を宥め、短い政権を維持するために綱渡りをするしかなくなる。
「傀儡師」とは、
�人形まわし。特に,江戸時代,首から掛けた箱の上で人形を舞わして見せる大道芸人をいう。でくまわし。くぐつまわし。くぐつし。人形遣い。季新年。
�陰にいて人を操って自分の思いどおりに行動させる者。黒幕。
今度も、そんな考えの下で民主党の代表選が行われ、日本国の首相が決まるならば、誰が勝とうと負けようと、政権運営は極めて厳しくなる。そうであるならば、代表選直後には、それこそ、このままでは分かりにくいまま迎える総選挙をする前に、まず政界再編をすべきだと思う。
政治空白は怖い。やらなければならない復興支援もある。ただし、立法府はひとまず仕事を終えた。この空白は、大混乱をもたらすがきっと国家百年の計には必要となる。
誰が勝とうと負けようと、相変わらずの寄り合い所帯では仕方ないと思う。
「凡なる一将は、非凡なる二将に優る」
船頭多くて船が丘に上がって久しいと思うので。
TOWER of TERROR
TOWER of TERRORというアトラクションが楽しかったそうです。あ、怖かったみたい。
写真、こわがってるなぁ。
望ちゃん、ありがとうございました。
分岐点
昨日は、本当に大切なご奉公になった。御本尊をお迎えいただくということは、人生の、いや家族、一族の、一大分岐点に違いない。全てはそこから始まる。本当に、有難い日だった。
こうして名古屋で御本尊ご奉安のご奉公をさせていただくことができて、嬉しくて仕方ない。
2011年8月25日木曜日
「東洋一のダムを作った日本人・八田與一」
ごく最近テレビドラマや映画、漫画にされて、そのいだいな 偉大な足跡が日本でも紹介されています。小林よしのり氏の「台湾論」でも取り上げられていました。
漫画のタイトル「東洋一のダムを作った日本人・八田與一」。でも、建設方法ではフーバーダムより大きいとも言えたし、東洋一ではなく世界一だったのではないかしら。
本当に、ありがたいです。
無事にお迎えされました。
お母さまは八田與一氏の奥さま、つまりお姑に当たられる外代樹(とよき)さまとも会っておられる。台湾時代にご近所でした。
本当に、美しい、素敵な方です。本当に、穏やかに、喜んでくださり、御本尊さまをお迎えになられました。
本当に、ありがたいことです。
体調変化に気をつけてー
この大切な年末に風邪(涙)。昨日は清和会御講、夜は今年最後の教幹会、21時まで2時間の会議でした。終わってから悪寒が来ました。 体調に気をつけてと言っている自分が体調を崩すなんて、申し訳ないです。様子を見ながら過ごします。低空飛行でも何とか飛べていたならありがたいです。 皆さん、...
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この地球が到達した、彼も助かり我も助かる、持続可能の再生可能クリーンエネルギーを確かめ合えた時間。 普遍真理、普遍思想を説く仏教が、人びとのライフスタイルに密着し、プラクティカルに実現していることに感激する一座が、本門佛立宗妙深寺の開導会でした。これほど嬉しいことはありません。...
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4月3日、無事にFMヨコハマ「横浜ラグーン」を放送させていただくことが出来ました。ご奉公に追われてまたまたお知らせが遅くなってしまいました。 「横浜ラグーン」は、時代の激しい波の中、日々世界へ出航してゆく皆さまに、安らぎとエネルギーをお送りするエンパワーメントプログラムです。免疫...
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12月となりました。今年の締めくくりを油断なくしっかりさせていただきましょう。 11月30日は年に一度の妙深寺京都組の御講を奉修させていただきました。古くから長松寺は所属の信徒をいただかないことになっています。とはいえお教化のご奉公は何より大切ですから、住職や淳慧師、博子姉のお教...