2021年11月24日水曜日

誰もが笑うて暮らせる国へ




















昨日は渋谷乗泉寺さまへお参詣させていただき、『あーすりんくフェスタ2021』に参加させていただきました。


「あーすりんく」は『あーすにあーとが出来るコト』をテーマに、マンガ・アートによる人間力育成と社会貢献に取り組む、漫画家のすぎやまゆうこ先生が主宰されているアーティストチーム。


こどもテーブルやユニバーサルスクールなど、弱い立場に置かれている方々を差別なく支えようと活動されています。


こうした尊い活動と、私たちの大本寺 乗泉寺がリンクするとは思ってもいませんでした。すぎやま先生の情熱と乗泉寺さまが不思議なご縁で結ばれ、こんな風に素晴らしいイベントが開催されるようになりました。


渋谷のラジオなどで以前から御縁をいただいていた者として、なにか協力できればと思っていましたが、昨日はお声をかけていただいたのでノコノコとお邪魔しに行きました。


乗泉寺さまの講堂や地下ホールをお借りして、様々な活動が紹介されていました。


地下ホールでは日本橋龍馬会の舞台が行われていました。久しぶりに拝見しましたが、俳優の三木さん率いる殺陣は圧巻で、短い時間に澄んだ思想や願いが込められています。


私は渋谷のラジオのファウンダー、DJ勝(KATSU佐藤)さんと倉持基先生の三人でトークイベントに参加させていただきました。

テーマは「みんなの笑うて暮らせる国"を目指すための人の育成。幕末の学校から未来の学校まで」。


勝さんの10年間の歴史、ミツバチプロジェクト、東日本大震災、『龍馬伝』と福山雅治さん、「渋谷のラジオ」の立ち上げから渋谷龍馬会まで、あらためて感動のストーリーをお聞きできました。


みんなの笑うて暮らせる国は簡単ではないですね。


私からは、まず幕末と現代が重ねて見えることをお話ししました(ここからは自分なりのメモです)。


歴史を振り返ると、時代そのものが沸騰しているかのような数十年があるのですよね。それは超巨大な価値観の大転換が起こるからです。


既存の概念やシステムが通用しない、音を立てて壊れていくような時代。このままでは国も社会も立ち行かない。多くの人が苦しみ、迷う。


そうした時代背景から、教育を考えてみる。


大人も、子どもも、まずその危機感、緊張感を共有している。そこから、学びが始まる。教えも始まる。ここが分からないと、何も始まらない。時代が沸騰しているのにピントの外れたことを繰り返して没落していった人たちも圧倒的に多かった。のんびりしていた上級藩士の子弟や家族はことごとく没落しました。


一方、草莽の志士たち、時代の転換点にあることを自覚し、大きな責任感や使命感を抱く人びとは四書五経などをなぞるだけの勉強ではなく、歴史観、国家観、死生観、人生観を、命がけで教え、学びました。松下村塾や適塾、亀山社中、海援隊もそうした一つだったと思います。


海援隊は特に先進的でした。商社のような面もあり、教育機関、出版社ですら有ろうとした。互師互弟、まさに学び合って、世界を変えようとしていました。


海援隊の出版物に『閑愁録』があり、これを絶賛したのが幕末維新の仏教改革者・長松清風日扇聖人でした。


教育に関して言えば、長松清風日扇聖人は「学者、ものしり不成仏」という言葉を残したりしています。ご自身はそれこそ学者であり、あらゆる分野の知識を備えた京の都でも随一の知識人だったはずなのに、こういう言葉を残しておられる。まさに佛立魂です。


つまり、行動者でなければ、あらゆる知識も不要、無用、害さえある、という意味です。


いま、時代の転換点にあって、政治でも経済でも金融でも防疫でも、ほぼ全ての分野の「学者」は単なる「評論家」であることが目につきます。学者や物知りはパラダイムシフトの役に立たず、そうした師の教育ではチェンジリーダーは育ちません。


知識をつける教育ではなく、知恵をつける。その知恵の根底には、因果の道理、屈託や屈折のない歴史観、色眼鏡のつかない人間観が欠かせません。


長松清風日扇聖人は「雑学」と「要学」についても厳しく指導されています。雑学など意味がない、時間の無駄、迷う元、要をおさえておかなければ台無し、意味なし、と喝破されています。


150年前も価値観は大転換しました。士農工商、上士と郷士、社会システム、全てが変わった。


2700年前の仏陀の時代。カースト制度があり、生まれや家柄、職業や財産の有無などでとてつもない差別があった。しかし、仏陀はこうした社会通念、誰もが信じて疑わなかった概念を喝破、撃破、なんの意味もないと断じました。「生まれなんかで人の貴賤が決まるわけないじゃないか。その人の生き方によって尊いかダサいか、いいか悪いかが決まる」。スバリ、こう教えたのです。そして、インド社会でも大転換が起こった。


僕は、この時代の大転換期にあたり、まず第一に思うのは、みんなに自由になってもらいたいということです。FM横浜でラジオをしていて、その中に「ボウズワード」というコーナーがある。もともとは仏教用語だったという言葉を紹介しています。この「自由」という言葉はボウズワードです。


みんな、縛られて生きていることを知らない。インターネット、YouTubeTwitterInstagramTikTokなどなど、なんでも取れる情報だと思っているかもしれないけれど、大間違い。むしろ偏って、狭まって、迷いを深めてる。


誰かが作り上げた偏った見方や考え方から離れて、自由になってもらいたい。僕はそれが「謗法」というものだと考えている。道理で通らない、因果から外れてることに従うべきではない。こだわるべきじゃない。


「自覚」もボウズワードだ。誰にも左右されない、流されない、自分で覚って、見極めて、生きてゆけるようにしなければならない。その力をつけさせるのが、本当の教育だと思います。


自由になって、自覚して、みんなが心の奥底から笑って暮らせるような社会を、世界を、作りたいです。


以上、メモでした。


クッタクタになりながら、心と体にムチを打って、今日から京都です。宗会です。

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