「恋する人のように」
令和5年1月『妙深寺報』 住職 巻頭言
昨年、Netflixで世界的ヒットを記録したドラマがあります。タイトルは『First Love 初恋」。その名のとおり淡い初恋と過ぎてゆく時間、すれ違う人の心を描く切ないラブストーリーです。
1999年4月28日に発売された宇多田ヒカルさんの「ファーストラブ」と2018年に発表された「初恋」という二つの曲を中心に、初恋の相手を想う二人の20年間を追う物語。
ふと新幹線で横浜と京都を往復しながら観ていたのですが、ますます世知辛くなる世の中で、人間が持つ美しく切ない心を思い返し胸が熱くなりました。
誰もが自分の心の中に生まれた新鮮な感情、「初恋」というものについて、その不思議さ、純粋さ、大切さ、力強さをご存知だと思います。
もちろん思い出したくない初恋もあれば、大切にしまっておきたい初恋もあると思います。どちらにしても、初恋とは人生に大きな影響を与える出来事の一つなのでしょう。
何度もお話ししておりますが、実は仏教で最も重要な教えの結論、修行の根幹に「初恋」の時と同じ心を持つことが説かれています。
法華経の如来寿量品には大切な御仏のお言葉が記されています。
「近しと雖も而も見ざらしむ。」
意味を簡潔に表現すれば
「近くにいるけれど、見えない。見せない。」
という意味になります。永遠の命を持つ仏陀の存在。次元が異なるために見えないだけで常にここにおられる。
そこにおられるのに、見えない。欲望や煩悩、謗法や罪障が邪魔をして、見せない、見えない。次元を超えられないのです。
しかし、続いて御仏は次のように説いてくださっています。
「其の心恋慕するに因って 乃ち出でて為に法を説く。神通力是の如し」
こちらも現代語にしてみますと、
「あなたの心が恋する人のように恋慕うならば、私は出現してあなたの為に法を説きます。神通力も同じです。」
となります。御仏がご出現なさる、目の前に現れる重要なポイントは「恋心」、しかも初恋の時のような純粋で無垢な心と示されているのです。しかも、「神通力」、つまり妙不可思議な「現証の御利益」もこの恋慕う初恋の人のような素直で強烈な心から顕れることを教えてくださっているのです。これが仏陀の金言、仏教の結論です。
仏教は慈悲の教え、菩薩の教えであると同時に、愛の宗教でもありました。さて、あなたは恋する人のように日々を過ごせているでしょうか。
恋をしたら、どうなりますか?しかも、初恋。きっと、ワクワク、ドキドキ、ウキウキするはずです。
もしかしたら、帰り際に何度も振り返り、バイバイしてもすぐに会いたくなって、夜も昼も頭からその人のことが離れなかったり、朝早くても、夜遅くても、相手のためだったら出かけたくなったりするのではないでしょうか。
「恋慕」は「恋焦がれる」、「そばに行きたいといちずに恋しく思う」という心境です。その感情が大切で、その心を忘れてはならないと教えていただいています。
仏道修行と聞けばストイックで厳しいイメージが浮かぶでしょう。難解な経典を読誦・書写し、戒律を守り、禅定に入り、自己犠牲や献身に努め、智慧を磨き精進する。
しかし、これらの根幹にあるのは「恋慕」で、他の何があってもこれがなければダメ、これがあれば何かが欠けていても補えるというほど大切な一事が「恋する人のような心」なのです。
これを難しく言えば「一念信解」「初随喜」となりますが、名前や名目よりもその「心」を知らなければ本当の意味は分かりません。大切なことは、恋する人のような新鮮で純粋な心が、今の自分にあるか、ないか、ということです。
昨年にも増して様々な壁や障害に直面すると思われる本年。自分の力だけでは乗り越えられない、どうしようもない出来事や事態に遭遇することがあるはずです。
苦難や困難の時こそ御題目の力、現証の御利益の不思議を実感することが出来ます。そんな時こそ、お寺に足を運び、本堂の前の方に座り、ご宝前に向かって力いっぱい御題目を唱えていただきたい。
その心、その実践が、恋慕です。御題目を唱え重ねていることこそ、すなわち御仏への恋慕なのです。約束のとおり、異次元を超えて、御仏はあなたの前に出現される。神通力、現証の御利益が顕れます。どれだけ実証されてきたか分からないほど実例のあることです。
恋する人のようにご信心させていただきましょう。何はなくとも恋する人のように、ウキウキして、ワクワク、ドキドキしましょう。毎日ときめいて生きてゆこうではありませんか。
今生人界、何もかもが無常です。だからこそ何もかもが大切であり、かけがえのないものなのです。
そう感得すれば、全てが有難く、感謝が感動の気持ちでいっぱいになります。少なくとも、今生人界、人間に生まれ、ご信心にお出値いできたことに感謝できるはずです。
恋をしている人ははたから見ていて分かるものです。誰が見ても「何かいいことでもあったの?」と聞きたくなるくらいになります。別にスキップを踏んでいなくても、恋する人は分かるものです。
倦怠期を迎えて、あるいはマンネリ化して、嫌いになったわけではないけどウキウキしなくなり、ときめかなくなることもあります。しかし、そこも修行です。だから、一番難しく、大切な修行なのです。
年月を重ねても、知識が増えても、ベテランになっても、純粋な気持ち、はたから見てもウキウキとご信心しているようでなければ修行が足りないことになります。佛立仏教を理解していないことになります。
初心忘るべからず。「ウブ」という言葉は「初心」と書くのです。だから純粋で素直な心を忘れてはいけないのです。
今年は妙深寺創立80周年です。同時に4月3日には先住のお怪我から30年目の記念日を迎えます。先住は、私たちの目の前で見事な現証の御利益を見せてくださり、元気な御姿で創立50周年の式典に登壇、鏡割りをなさいました。その感動を忘れてはなりません。
本年、恋する人のように、純粋で、力強く、愛を貫いてみせましょう。
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