カンピーナス市にある蓮徳寺を10時半に出発して、リベイロン・プレト市を目指しました。このリベイロン・プレト市に近いサンパウロ州デュモン市へ向かいました。飛行家・アルベルト・サントス・デュモン氏の父が所有していた広大なコーヒー農園のあった街です。
アルベルト・サントス=デュモンはヨーロッパの航空のパイオニアであり、主に飛行船の造船で有名。さらに、飛行機の公開実験にも成功しヨーロッパ初の飛行機製作者となっている。ブラジルでは飛行機の父、飛行機王と呼ばれるほど偉大な発明家であり、未完に終わったもののヘリコプターをも開発していたことで知られます(Wikipedia)。
実は、ブラジル日本人移民の歴史の中でもほとんど知られていないのですが、このデュモン市の農園に茨木日水上人が初めて入植したのです。
日博上人の「コーヒーの壺」には下記のような記述があります。
「1908年(明治41年)4月28日、奇しくも日蓮聖人立教開宗と日を同じうして、神戸港より笠戸丸は798名の第一回移民を乗せて一路ブラジルの新天地に向かったのである。輸送総取締は水野竜氏、監督は上塚周平氏であった。そうしてイギリス人が経営するズーモンド耕地へ入植した。これがブラジルにおける日本人移民のさきがけである。」
ここに「ズーモント」とあるのが「デュモン」のことだったのです。コレイア御導師も長らく解析・発見でなかったとのことです。
最初の最初の移民です。前人未到のブラジル、日本人移民はこの広大な国の中で各農園に振り分けあられて入植しました。茨木日水上人は小さなコーヒー用の貨車に乗せられてこの土地まで来たのです。
すでに収穫も終わってしまっていたそうで、お金が稼げないことを知ると夜逃げする人も出てきました。しかし、日水上人たちはここに止まりました。
幹線道路から市内に入る場所で、コレイア御導師が急に車を止めました。市長の車を見つけたのです。そこで私たちはなんと市長と出会いました。丁寧にご挨拶をして、市庁官舎へ案内されました。全く想像すらしていませんでしたが、市長室で市長と面談できました。あり得ないことでした。
市長から広大なデュモン耕地の中で日本人移民が入植したあたりを教えてもらいました。コレイア御導師はすでに調べておられました。その場所は世界的に有名なデュモンのソーセージを生産することで知られています。不思議なことです。この僻地の閑散とした場所に世界的なソーセージ工場が誕生していたのです。それはそれは小さな工場でした。しかし、大変有名なのです。
工場の売店に行くと80才になるオーナーの女主人が面会してくれるというのです。工場に近い彼女の家を訪ねると夫婦で家の中に案内してくれました。ご夫妻からゆっくりとお話を聞くことができました。
ご主人のお父さんが生まれた年に日水上人たちが入植したそうです。ですから、ずっと後になって彼らはこの土地を購入し、住むようになりました。家族のためにソーセージを作っていたのですが、来客者が求めるようになり、その美味しさが人づてに広がって奥さんがお仕事を始めたそうです。
ここに入植した日本人について覚えていることを聞くと、「みんな本当に真面目だった」「素晴らしい人たちだった」と何度も何度も教えてくれました。そして、ご主人の乳母が日本人だったこともお聞きしました。
面談の最後に私が握っていたお数珠を渡して、御題目をお唱えさせていただきました。お数珠を渡して手を合わせ、みんなで「南無妙法蓮華経」とお唱えすると彼女は涙を流しました。すごい瞬間でした。忘れることは出来ません。なぜか分からないのです。彼女の涙は本当に美しかったです。
こんなあり得ない奇跡が重なり、御法さまに導かれるように、ずっと謎だった「デュモン」の入植地跡を訪れることが出来たのでした。
そして、19時半から本門佛立宗ブラジル教区リベイロン・プレト親会場の御講に向かいました。この御講については別に書きます。ホテルに戻ってきたのは23時を過ぎていました。翌朝8時にホテルを出発し、5時間ほどかけて13時にサンパウロに到着しました。
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