御教歌 令和六年七月二十八日 壮年会 男子信徒御講
「あひがたきみのりにあへりよの中の つねなきことをわすれざらなん」
宗祖御本意抄・扇全十四巻三三四頁
佛立開導日扇聖人、お示しの御教歌でございます。
御題「信者は世の無常をわすれざる事」
昨日は人の上、今日は身の上。
今生人界の一日一日を、大切に、愛している人を愛して、大切なことを大切に、一点の悔いもなく過ごすことが大事。
無常であることを肝に銘じて、片時も忘れず、今日も、明日も、明後日も、功徳を積み重ねること、信行ご奉公の大事をお示しの御教歌です。
「いのちと申す物は、一切の財の中に第一の財なり」事理供養御書 / 日蓮聖人
「先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし」妙法尼御前御返事 / 日蓮聖人
つくづく、私たちは無常を忘れてはいけません。
仏さまの最初の御法門、初転法輪は「苦諦」の御法門です。
「諦」とは「あきらめる」という言葉ですが、昔は「明らかにする」という意味でした。
まず、苦しみをあきらかにする。
人間にとって根源的な苦しみです。これを「四苦八苦」と言います。
それは、生老病死、必ず老いる、病になる、死を迎える、ということです。また、
愛別離苦(あいべつりく:愛するものととの別れによる苦しみ)
怨憎会苦(おんぞうえく:恨み憎しみを感じる人と会わなければならない苦しみ)
求不得苦(ぐふとっく:求めても得られない苦しみ)
五蘊盛苦(ごうんじょうく:人間の心身から生じる苦しみ)
があります。根源的な私たち人間の苦しみ「四苦八苦」です。
さて、先住は六十歳の還暦を迎えられて八ヶ月後に亡くなりました。
私は三十一歳でした。ご存知のとおり、私は先住のおかげで、学校に通い、スポーツに夢中になり、社会経験もさせていただきました。
しかし、満足にご奉公の姿をお見せすることはできませんでした。
ご遷化にあたって「宿題を残す」と仰せになりました。
人生とは何なのか、生きるとは何なのか、では死ぬとはどういうことなのか、ご信心はなぜしなければならないのか、だからこそご奉公に生きるとはどういうことか。
今でも、宿題を解いている途中です。
しかし、臨終のことだけは片時も忘れることはできません。
先住ほどの方でも、亡くなります。
お祖師さまも六十一歳でご入滅になられました。
日博上人もお若くして亡くなられました。
「ワッハッハ よきもあしきも今生は まずはこれまで あとは来世で」
有名な、とてつもない辞世の句です。
私たちは、臨終のことを、どのように捉えているでしょうか。
先住を若くして亡くしましたから、自分と重ねています。
自分もいつか死ぬ。すぐに死ぬ。人間は中継ぎである。時間は限られている。
「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学ぶ」
あえて、無常だからといって、遊んでも仕方ない。
こんな生き方をするのは初めてのことです。
御法さまにお会いできました。ご信心できるようになりました。菩薩行です。
「あひがたきみのりにあへりよの中の つねなきことをわすれざらなん」
この世は無常。このことを、絶対に、決して、忘れないようにしましょう。
それは、男子信徒へ、菊地さんが教えてくださったことだと思います。
つくづく、私は死後の世界のことを思います。
それは、死んだ後に行く世界のことではありません。
その場所のことを考えても、見たことがないので、行ってみなければ分かりません。
そうではなくて、考えてみると、この世界はつくづく「死後の世界」なのです。
自分が死んでからも、この世の中は続きます。
電車は動くし、朝は来るし、夜は来るし、みんなも通勤するし、会社も、学校も、お寺もそのままです。
亡くなられた方にとって、この世こそ「死後の世界」。そこがどうなるか。
家族はどうなるだろう。友だちはどうだろう。会社はどうだろう。お寺は?
この世に生を受けた者として、自分が幸せだった、楽しかった、嬉しかった、というよりも、自分が生きたことで、誰かが幸せになった、誰かを幸せにできた、世界がより良くなった、そう思えるような生き方ができればと思います。
それこそ、本当の喜びのはずです。
今年は、そんな世の中の、人生の、無常の、厳しさ、私たちの命のはかなさを胸に深く刻んで、総祈願を立てさせていただきました。
【令和六年度 総祈願】
新しい時代の生きたお寺 妙深寺総祈願
一日一日を大切に 朝と夜のお看経 お参詣 御法門聴聞
お祖師さまの御意を胸に 初めての信行体験 御利益感得
今生人界のご縁を感じ 下種結縁 法灯相続 菩薩行体現
「一日一日を大切に」「今生人界のご縁を感じ」
「袖触れ合うも他生の縁」
仏教の教えに基づく日本のことわざです。
道で袖が触れ合うような一見些細な出来事であっても、過去世からの縁(えにし)によるものであるということです。
「他生の縁」の「他生」とは過去の生まれ変わり、「縁」は因縁や関係を意味します。
つまり、過去世での関係や行いが、現世での出会いや出来事として現れるということ。
それは、過去から現在だけではなく、現在から未来へとつながることです。
だから、今、ここ、この時、この一生で、やるべきことをやろう、怠けず、おこたらずにやろう、しっかりしよう、ふんばろう、がんばろう、ということになります。
<私たちの祈りと誓い>
ただ一つの命 たった一度の人生
御法にお出会いした悦びを忘れず
お祖師さまの御意を胸に
御題目を唱え お参詣に努め お講を大切に
強く 明るく 楽しんで 今生人界のご奉公
功徳を積み 罪障を消滅し 御利益を感得
みんなの幸せのため 菩薩行に励みます
開導聖人の御指南をいただきます。
「娑婆本因妙の如説修行せんことをたのしみにする人こそ、真実真(まこと)の御弟子旦那の菩薩行。御信者とは申なれ」(開化要談 教・扇全十四巻三四頁)
と仰せです。
昨日は人の上、今日は身の上です。
菊地さんの帰寂という、大変さみしく、悲しい出来事を胸に、その死後の世界に残された私たちは、一日一日を大切に、今日も、明日も、明後日も、お祖師さまの御意を胸に、功徳を積み、罪障を消滅し、御利益を感得、みんなの幸せのため菩薩行に励みましょう。
今生人界の一日一日を、大切に、愛している人を愛して、大切なことを大切に、一点の悔いもなく過ごすことが大事。
無常であることを肝に銘じて、片時も忘れず、今日も、明日も、明後日も、功徳を積み重ねること、信行ご奉公の大事をお示しの御教歌です。
故に御教歌に「あひがたきみのりにあへりよの中の つねなきことをわすれざらなん」
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