京都文化会議 2026を終えて、今日は京都から横浜、横浜から京都へ往復してきました。とにかく素晴らしい会議でした。世界の課題を共有し、それぞれのバックグラウンドから専門性の高い議論が交わされました。
Leave this world a little better than you found it.
この世界を、来た時よりも良くして帰る。そんな強い想いで社会課題に挑み、力を尽くす方々との出会いは、常に胸が熱くなり、深い喜びを感じます。
山極寿一先生、圧巻のファシリテーションでした。コーディネーターというか、本物の研究と経験と知性と見識が圧倒的。行動する哲学、哲学が行動し、生きているような迫力で議論を進めてくださいました。
アフリカ哲学からガーナのフセイン・イヌサー博士の「Guns, cannons, and books」という言葉が、深く心に残りました。独自の文化が破壊された経験。それは「銃と大砲と本(聖書)」によって行われた。
「Place」をAI同時通訳が「空間」と訳したのを山極先生が「風土」を中心に丁寧に訳し直して解説くださったのも見事でした。イヌサー教授は和辻哲郎先生の『風土: 人間学的考察』と通じる概念を伝えようとしておられました。
人間の文化を語ろうとすればどうしても「宗教」が出てきます。これは避けられません。避けようとすれば真に解釈することはできないし、正確ではなくなってしまいます。
「真」「善」「美」についての展開も圧巻でした。この中で「美」は言語化できないもの。ここに広がる庭園の美しさも、実は味わいも、なかなか言語化することが難しい。「ロゴス」の限界というか、ロゴスによって境界が生まれ、規定されてしまうこと。
突き詰めると「人間性」に至ると。「ヒューマニティー」「ヒューマン・ネイチャー」、その「美徳」ということに尽きる。議論の余韻に浸っています。
仏教者、法華経者として思うに、本化仏教は「ロゴスに止まらないためのロゴス」というイメージ、そもそも仏教は「哲学に止まらないための哲学」であるということ。
法華経の方便品第二にある「言辞の相寂滅せり」という言葉は、まさに象徴的にこのことを示しています。ヨハネの福音書の冒頭の「ことば(ロゴス)」とは異なるのですね。
さらに「理極事変」も思い浮かびました。あらゆる事象、現象を極めれば、事に変わる。
AIが天文学的な数値のパラメータ(要因の重み付け)を同時に行なっても、結局は「事」に変わらなければ何も為さない、という仏教究極の教理に行き着きます。この「理極事変」は未だにAIすら読み込めていない極意でもあります。
まだまだ、ここから「Science meets Buddhism」「Buddhism meets science」という本質的仏教との衝撃的な出会いがあることにも希望を抱きます。
隠居の時代、Time is moneyの終わり、遊びの時代。刺激的なお言葉、視点もありました。AIは養殖マグロ、関心と栄養は与えられるが感動は与えられない、AIと美空ひばり、成熟がない、未熟もない、という言葉もありました。それぞれが刺激的な示唆に満ちています。
いずれにしても、ここから、人間性を追求しなければならない時代に突入します。しかし、人間性は人間だけの狭い視点、優越的で、独善的な視点では見つけられないようです。
「動物に聞いてみよう」「Ask the Animals」という運動は、まさに人間中心主義への懺悔と改良の試み、挑戦です。こうした活動を、専門家の方々や、意識の高い人たちだけの運動にしてはいけない。みんなの問題だから。本当にみんなの命や大切なものに直結する問題だから。
オオカミ×AI。これこそ本当にすごかった。若者たちが、僕たちの想像を遥かに超えて優秀で希望。とてつもないポテンシャル。無限
来年は、狂気的な情熱で、力を合わせてゆきたいと思います。山極先生をはじめ、素晴らしい方々のお力をお借りして、少しでもこの世界が良くなるように力を尽くしたいと思います。
長々すいません。
言語化しないで済むならしないで済ませたいけれど、人間なので言語化して、言語化しないで済むような世界を目指します(笑)。
とにかく、もっともっと、人と人が目と目を見て、空気を読んで、雰囲気に包まれて、生きてゆけたら、ひらくなー、ほどけるなー、と思います。
今日は、京都から横浜を往復し、戻ってきました。
明日、伏見妙福寺様の高祖会を奉修させていただきます。
ありがとうございます。



























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