アジアでのご奉公で耳にするのは、三宝帰依の詠唱である。『三宝を護持する』という修行は、仏教の原点の一つであり仏教徒であればまず間違いなく教えていただくから、これこそ全仏教徒の共通項であると言える。現に、この一点で、仏教諸宗は集うわけだし、大きな仏教徒の国際会議でも最後は「ブッダンサラナンガッチャーミ、ダンマンサラナンガッチャーミ、サンガンサラナンガッチャーミ」と唱えている。
この三宝とは、日本に於いて「佛」「法」「僧」と訳されて、親しまれている。「ぶっぽうそう」という音を聞けば誰彼と無く「あぁ、聞いたことがある」と思われるのではないだろうか。身延山のケーブルカーなどに乗ると、鳥の名前として「ぶっぽうそう」が紹介され、同時に「三宝」についての説明がある。
しかし、上記に書いた(正しいか分からないが)帰依の詠唱の三番目は(サンガン~の部分)、「僧」ではなく「僧伽(サンガ,ソウギャ,संघ, saMgha)」と詠んで、帰依を表明しているのが分かるだろうか。つまり、日本でお馴染みとなっている「三宝」の中の「僧」に当たる部分は、ただ一人の「僧侶」を差すのではなく、ブッダの教えを清く信奉する「集団」「僧伽」と、本来的に幅広い語彙を持っていた。
この「三宝」の本来の意味を見失い、僧侶が完全にブッダの御本意から逸脱したり、「僧伽」を離れて独善の境地に立つだけであったりすれば、それは「三宝」の中の「僧」には当たらない。そうした「僧」が「三宝帰依」という仏教の原則を持ち出して、「私を敬うべきである」と言い出すから大きな問題となるのではないか。
石原慎太郎氏が、「法華経を生きる」という著書で、三宝に帰依しろというが「仏」と「法」は分かる、しかし「僧」だけは分からない。今の世の中の坊主を見てみろ、あれを敬う気持ちになれるか、というようなことを書いていたが、三宝の中の一つとして「仏」「法」と並んで立てる「僧」がいるかといえば確かに難しい。一人一人を見れば、あくまでも凡夫でしかないのだから、簡単に「仏」と「法」に並び立てる「僧」を見つけ出すことはできないだろうと考える。
原典は「僧伽」である。ブッダの御本意を守ろうとする「僧伽」「宗団」に対して、どれほど帰依の心を持ち、僧侶も信徒も一体となっているか。ここが大事なのではないか。「破和合僧(三逆罪の一つ)」という戒めもある。和合する僧伽から離れて、一人の仏道修行者として帰依に耐えうるか否か。それこそブッダの教えを独自に解釈するだけの「一人」の「僧侶」であっては修行にならないこととなり、三宝の帰依に当たらないのではないか。
また、「僧伽」を司る者にとっては、如何に正しく、御仏の御本意に忠実に、素直正直に「僧伽」を守るかが至上の命題となる。「異体同心でなければならない」とは、この僧伽を守るための教えに他ならないのではないか。
ただし、お祖師さまは、一般的な「三宝帰依」というブッダの教えの、さらに奥の敬い方、ご信心を明確にお諭しくださっている。
「三宝の恩を報ぜよ」上野殿御消息
「ひとへに父母の恩、師匠の恩、三宝の恩、国恩をほう(報)ぜんがために身をやぶり命をすつれども、やぶれざればさてこそ候へ」報恩鈔
と全世界の仏教徒が共有する大原則をお諭しくださる一方で、より深く「三宝護持」の「三宝」について考えてみるべきであるとする。
「三宝も世に在し、百王も未だ窮らざるに、此の世早く衰へ、其の法何ぞ廃れたる。是れ、何なる禍(とが)に依り、是れ何なる誤(あやまり)に由(よ)るや」立正安国論
上の御妙判のように、「三宝」を敬うといっても、なぜこれほどまでに人々が苦悩し、世が混乱の度を深めていくのか。そこに、どのような間違いがあり、習い損じがあるというのか、と疑義を提示されておられる。
「又佛、菩薩を信用せずんば何ぞ南無三宝と行住坐臥に唱ふやと責むべきなり」諸宗問答鈔
「本より辺域の武士なれば教法の邪正をば知らず、ただ三宝をばあがむべき事とばかり思ふゆへに、自然としてこれを用ひきたりて、やうやく年数を経る程に、今他国のせめをかうぶり(蒙)て此国すでにほろびなんとす」本尊問答鈔
「かゝる悪僧どもなれば、三宝の御意にもかなはず」祈祷鈔
同じように「三宝」を敬うとしても、その「三宝」の「邪正」「当体」を知らないで、「崇めるべきだ」と思うばかりでは、真の御利益は無いとお諭しになっておられるのであった。
ブッダ(御仏)、ダルマ(法)、サンギャ(僧伽)について、しっかりとブッダの御本意に沿わなければ、ただ詠唱するだけでは本当の利益が無いことを知らなければならない。
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