2007年8月4日土曜日

Takakoちゃんの結婚式

 今日は嬉しかった、有難かった。

 12時からTakakoちゃんの結婚式。以前このブログでも書かせてもらった二人の結婚式を第二本堂で奉修させていただいた。

 ご主人のご家族もはじめて妙深寺にお参詣くださり、御宝前での結婚式に参列。二人の晴れの日。女で一つで育て上げたお母さんにとって、今日の日は感慨無量だろうなぁと思いつつ、御宝前に二人の結婚のご報告、お誓いを言上させていただいた。

 先住もお喜びだと思う。この第二本堂のガラスの御戒壇と御本尊は、ウェディング・ドレスで結婚式を挙げてくれることを想定してデザインされていたのだから。合掌の手を表す御戒壇の中央に、御本尊を金字でお認めいただいている。長松寺の長松家護持(護持名:長松栄女)御本尊は開導聖人御染筆によるが、わざわざ金の染料で御題目をお認めになっておられる。金の御題目が光に当たって浮き上がる。本当に有難い。二人の門出をお祝いしてくださっているように思えた。

 いつもお話ししていることを、二人への言葉として伝えさせていただいた。星の王子さまではないが、今日から二人は世界中で最も「関係のある人」になる。「関係のあるバラはたった一つしかないんだよ」という言葉のように。その「関係がある人」ということを忘れないように。

 そして、晴れの日に申し訳ない気もするが、御仏が最初に説かれた御法門は「四諦」の御法門。特に、その中でも「四苦八苦」は人生で必ず起きる「苦しみ」を明らかにされたものだった。教会などで「病める時も、健やかなる時も~」と誓いを立てるが、それ以上に仏教では当たり前のように起こる「苦しみ」についてしっかりと向き合わなければならない。関係ある人と共に、必ず老いていき、病にも遭い、死をも迎える「人間」だから。

 そして、一つ屋根の下に住む私たちは、どこまで言っても「凡夫」であること。「貪欲」「瞋恚」「愚癡」という三毒が強く盛んであるから、すれ違いが起こることもある。その時にも、御法さまの前で、二人の存在以上の、人間以上の、Something Greatの前で、クールダウンしてもらいたい。

 仏教は「人のせいにしない」。このことも忘れないでもらいたい。二人で結婚式を挙げてくれたのだから、二人に話をすることが出来る。これほど幸せなことはない。一方だけに話をしていたら、なかなか修復ができないことも起こるのだが、住職として二人に話が出来る。いつでも使ってくれ、いつでも相談に来てくれ、世間では問題が起こると、やれ警察だ、やれ家庭裁判所だ、調停だとやるが、それはそれで仕方がないが、「坊主」を使ってくれ。世の中には「坊主」が必要なんだ、と。ちょっとエキサイトして、そんな話までしてしまった。ご信心のある家庭を築けば、いくらでもご奉公させていただくことが出来る、ご信心のお話で家庭内の様々なことについて、私も入って話し合うこともできるのだから。

 何よりご信心。家庭の中に御宝前。有難い。二人の幸せに、心からのエールを送りたい。

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