2012年10月30日火曜日

帰国します。

今回の韓国開教100周年のお参詣は、第4支庁がお当番をいただきました。

静岡布教区から約20名、妙深寺を除いた神奈川布教区が22名、そして、妙深寺から36名、合計80名近くの海外参詣となりました。

大きな団体ですから、それぞれ別々の行程となりました。私は妙深寺ではなく神奈川布教区の行程に同行させていただきました。他寺院の方々と過ごし、とても貴重な機会でした。

ソウルを流れる大きな大河。ここでジェットスキーのデモンストレーションをしたのは20年以上も前のこと。この川を見るたびに思い出します。

空港に、姜ご住職をはじめ、睦子さん、デヒョン君、理事長やご信者の方々が来てくださり、お見送りをいただきました。お見送りだけで大変なご奉公です。申し訳ない。ありがとうございます。

これから羽田に向かいます。帰国したらすぐに11月。怒涛の11月が始まります。

2012年10月28日日曜日

盛大に奉修されました(涙)!

雲一つない快晴の下、盛大に、ご講有のご唱導による本門佛立宗・韓国教区 開教100周年の記念慶讃法要が奉修されました。本当に、素晴らしい法要となりました。ありがとうございます。

韓国と日本の、総勢400名以上のお参詣をいただいて、慶讃法要に引き続いて祝賀会が開催されました。100年分の、大きなご奉公でした。簡単に言葉に出来ないほど、準備は大変だったと思います。頭が下がりました。

日本と韓国の間には不幸な歴史が横たわっています。百年という歳月の中には悲惨な戦争があり、その深い傷は未だに疼いて私たち両国民を苦しめています。

韓国に於けるご弘通ご奉公は、明治45年・大正元年(1912)から始まりました。李氏朝鮮は日清戦争の後に清国から自立、1897年に大韓帝国となりますが、1910年に日本に併合されました。その後、日本の統治が続き、無惨な戦争、連合国の勝利と日本の敗戦がありました。

韓国の方々は、大混乱の中で日本の仏教、ご信心を守られた方々です。戦後の、日本への憎しみが沸騰するような中で、消えかけた法灯を守り伝えてくださいました。

さらに、朝鮮戦争から今日まで、韓国でのキリスト教の圧倒的な広がりや反日感情などが渦巻く中で、多くの韓国のご信者方が、歴史や社会に向き合い、自問自答を重ねながら、ご信心しておられると思います。簡単なことではありません。圧倒的に、難しいことです。

ある時、姜ご住職はある人から「韓国でのご弘通は、卵をもって石を打つようなものだ」と言われたそうです。韓国の諺で、「不可能なこと。意味のないこと」という意味です。つまり、石は固いけど卵は柔らかい。卵で石を打っても、すぐに割れて何の意味もないということで、韓国で本門佛立宗の教えを広めるということは、それほど不可能なこと、頑張ったって無駄、意味のないこと、と言われたのですね。その言葉が、脳裏に焼き付いていると仰せでした。

しかし、最近、テレビか何かで、この韓国の諺を引用した良い解釈を聞いて、希望を持っているとも仰せになりました。

石は生きてないけど卵には命がある。石はいつかは割れて砂になる。卵はいつかヒヨコになって、砂を踏みつけて立ち上がるかもしれない。そのために、その日のために頑張ります、と。素晴らしい言葉でした。

慶讃法要に先立って、韓国教区の100年間の歴史を分かりやすく解説した2ヶ国語のビデオが流れました。素晴らしい内容でした。睦子さんが寝ないで編集したそうです。柴山局長も日本語のテロップを付ける作業をお手伝いしたと聞きました。本当に、涙が出ます。

何も分からない中、日本から嫁いできました。ご奉公に、頑張ってます(涙)。僕は、睦子の姿を見るだけで、目に涙が浮かんできて、ダメです。妙深寺からお参詣した大半の人たちが、そんな睦子を応援したくて韓国まで来てくれたのだと思います。

パンフレットも、素敵でした。本当に、こうした細やかなご奉公の積み重ねが、大きなご奉公を成功に導きます。ご奉公をさせていただいてきて、痛感します。裏側で支えるご奉公。本当に、有難い。

ありがとうございます。見てます。

2012年10月27日土曜日

BS TBSで

ただいま、16時から、BS TBSで、陸前高田の動く七夕まつりのドキュメンタリー番組が放送されているはずです。

是非、ご覧くださいー!

私たちはソウルの大渋滞に耐えながら、新清寺でのお助行から鶴松寺に向かって移動中です。

韓国開教100周年へ

多摩川にかかる首都高速の橋から羽田空港が見えます。走る車の窓からですが、綺麗に撮れました。美しいです、この世界は。

これから韓国開教100周年のご奉公に出発します。

2012年10月26日金曜日

舵を取る

iPhone4が何度も落ちて、ガックリ。書き直す気力もなし。

現在、この国は対症療法で何とかなる状態ではない。硬直化した官尊民卑の思想や体制。根底から変わらなければ、未来が見えない。

しかし、果たして、誰が、どうやって。政治に対する失望が蔓延してる。

「維新」とは「すべてのことが改められて、すっかり新しくなる。」という意味。これを為すことは、大病の手術と同じで想像を絶する痛みを伴う。耐えられるか。選択できるか。

父親を殺され、母親は精神を病み、幼い弟と妹を一人で育てている17才の女の子。彼女の話を息子にした。彼女たちは食べていくためにリスを狩る。弟は血を怖がるが姉は許さない。一緒にリスの皮を剥ぎ、手を取ってはらわたを出させる。生きてゆくために必要な、リアルな生と死。パックに入ったお肉ではない。

夢や希望は大切だが、幻想の中に住んで欲しくない。

我、日本の柱とならん。
我、日本の眼目とならん。
我、日本の大船とならん。

お祖師さまの三大誓願は、逆を返せば、柱を失って迷っている、目を開いているようで閉じているのと変わらない、沈んでいる、と指摘している。

心に揺るぎない柱を。目を開かなければ。自分の船の帆を上げて、舵を取らなければ。

2012年10月22日月曜日

キンモクセイ

本当に、キンモクセイの香りは、いい。匂いに気づくとうれしくなり、さみしくなり、やさしくなる。

秋だ。

2012年10月21日日曜日

妙福寺の御会式



晴天の下、伏見妙福寺の御会式を奉修させていただきました。松寿院さまの第23回忌も併せて。私の大学時代、プロテストに合格した年に、お亡くなりになりました。

長松家の長女として生まれた薫叔母さまは、大変な重責を感じながらご奉公されたはず。当時のどこに飛んでいくか分からない私を見ていて、たくさん心配をかけていました。ただ、最後に会った時、とっても優しく抱きしめられました。西日本選手権で、琵琶湖からの帰りだったと思います。

いま、こうしてご奉公させていただいていることをご報告し、一分でも御恩に報いられたならと思っていました。

ご供養の後、長らくポスターを張ってくださっていた史跡・寺田屋さまに御礼に伺いました。奥さまが丁寧にご挨拶くださり、ご主人が読んでくださったそうで感激でした。ありがたいです。

伏見の竜馬通りにもご挨拶できました。去年、伏見港に出来た「龍馬とお龍、愛の旅路」像。

疎水を歩いて妙福寺に戻りました。

2012年10月20日土曜日

三日月

今朝の空は、僕たちの命が確かにこの星の一部で、その命は必ず一つに戻っていくことを、教えてくれているようでした。

今は、美しい三日月が出ています。地球が描くグラデーション。夢みたいに綺麗な三日月。

今日は圭祐さんと晃子さんの結婚式。だからこそ、まさに秋晴れのこんな素敵な日になりました。楽しくて、温かい披露宴。本当に、二人らしくて、すてきでした。ご信心で結ばれた二人ならば、きっと誰もが憧れるような、お手本にしたくなるような、そんな家庭を築いてくれると思います。

本当に、おめでとうございます。夕方の空も、とっても綺麗です。三日月、ずっとついてくる。うれしい。

2012年10月18日木曜日

このままで、いいのか。


福島や茨城は、最も厳しい被災地だと思う。茨城の建物の地震による被害は本当に深刻だ。そして、地震と津波と原発事故の影響を色濃く受けている福島県の痛々しさは、そこに住む方々が余りにひたむきだからこそ一層胸に迫る。

陸前高田から南相馬、浪江町、飯舘村から日山や鎌倉岳を大きく回って磐越道に乗り、またいわき市まで向かわせていただいた。昨年、福島第二原発まで行って以来、あらためて原発事故の被災地を目の前にした。

1年7ヶ月。相変わらず、津波が襲った田畑の中に、グチャグチャになった車がいくつも放置してある。その他の被災地では見られなくなった光景が、まだそこにはある。あちこちに、ある。

警察が通行を制限している地域。つまり、浪江から飯舘などの大きな地域が、どれだけ大きな地域か、ニュースや地図では分からない。本当に、背筋が凍るほど、広大な大地に、人が住めなくなったのだ。このことの意味、このことの恐ろしさを、気づいているだろうか。多くの人に、この現実は伝わっていないと思う。

陸前高田から、そこに行った理由は、自分の身体に、自分の命に、この現実、事実を、突きつけたかったからだった。

5000人を前に、東日本大震災には特別な意味があり、その意味を噛みしめて、一人ひとりが変わるべきだとお話させていただいた。

だが、報道されることは、まやかしやごまかしばかりに感じる。きれい事ばかりで、真実が語られていないのではないか。

放射性物質の中間貯蔵施設は福島第一原子力発電所に限りなく近い地域にしていくしかないではないか。最終処分場ですら、そうせざるを得ないのではないのか。本当に、「いつか帰れる」のか。「もう帰れない」とは言うべきではないのか。ジグザグの地図。

その真実、その痛みを、1都6県、ここからエネルギーをもらっていた人々で、いや国民全体で、分かち合うべきではないのか。

「いつか帰れる」とは、希望なのか。ただの楽観なのか。

放射性物質が拡散した方向とは逆の、原発事故現場から130キロ離れた町に、幼児ではなく15才以上で、たった3年間住んでいただけの人間が、10年後に甲状腺癌になった。

誰が保障するんだ。

せめて、セシウムの半減期が過ぎる3年間、子どもたちを、他の県に住んでいただくことを提案すべきではなかったのか。「移りたくない」という人が多いのは分かるが、それは情報の伝え方ではなかったのか。国民全体の覚悟が問われていたのではなかったのか。

つらい甲状腺の検査を定期的に受けさせて実験場のようなことをしても、子どもたちが、バタバタと倒れ、病気になってはじめて気づくのか。

薬害エイズ問題の時と同じように、きっと誰も責任を取らない。このままで、いいのか。

復興予算のでたらめ。どこもかしこも工事だらけ。公共事業か。それが、世代交代と事業内容の変更を、生き残りをかけて死にものぐるいでしている会社にではなく、政治家や行政に取り憑いて、公共事業に寄りかかっていただけの企業の延命でしかなかったら、どうか。ゾンビ企業が増えるだけ。「復興特需」だと声高に叫ぶ人。これが無かったら日本経済は沈んでいたと言う経済人。どんな顔をして、話しているのか。

命より大切なお金や経済。そんなものがあるらしいと感じて、胸が詰まる。

多くの人は、麻薬を打たれているかのように、はっきりとモノが見えなくなっているのかもしれないではないか。地位や、名誉や、お金だと、目の前にエサをぶらさげられて、焦点が合わなくなっていたり、視界がぼやけているんじゃないか。

よく、自殺するタイプだと言われるが、そんなもったいないことはしない。ただ、こんな時代だからこそ、戦場で死にたいと思ってる。

秋山御住職は、「この現実を、みんなに伝えろよ」と言っていた。これが彼が住職をしているフクシマの現実だと。

今日も、精一杯ご奉公させていただいたつもりだけど、本当に、こんなことしてて、いいのか。このままで、いいのか。本当に、いいのか。

自分の胸に、突き立てている。

東日本大震災の直後に語られたこと

今だからこそ、あの時、感じたことを、思い返したい。

 昨日、この動画を見ていて、涙が溢れて止まらなくなりました。



2012年10月16日火曜日

成層圏フリーフォール

昨夜、タジPから電話があり、その後でメールが入っていました。感激しました。

9月30日の朝、妙深寺の玄関でタジとすれ違いました。朝参詣の前に、一人でお参りしていました。超多忙な彼です。びっくりしました。偶然と言っていましたが、その日は祥月ご命日でした。偶然ではなく必然。導かれたのだと思います。すごいことです。

昨日のメールで、タジが成層圏からのダイブを担当していたのだと知りました。 小さな会社に来てくれて、休日はもちろん昼夜の隔てもなく仕事をしました。あれから15年近く経ちますが、もうすごいプロデューサーです。

どうやって一つのプロジェクトが成し遂げられるのか、制作担当者の情熱が胸に迫ります。しかも、世界初の偉業です。さらに、メディアの革命期に当たって、本当の「メディアミックス」を実現した彼を、心から誇りに思います。

あまりに感動的なメールなので、ここに記しておきたいと思います。

「ありがとございます。電車なのにスミマセンでした。昨夜、担当する番組の中で最大のミッションを行ったことをご報告します。

レッドブル・ストラトス。朝から民放各局でも流れてますが、宇宙服を着て成層圏からフリーフォールするミッションを生中継しました。

地上波では放送できない10時間にもおよぶ生中継をジェイスポ、そしてディスカバリーチャンネルと同時に制作担当しました。BSとCS、スカパー!オンデマンドのチャンネルをメディアミックスさせた生中継は初になります。

そして、夢と希望を忘れかけていた若者たちやサラリーマンにハマり、ツイッターと連動した番組制作は週末のハッシュタグのトップにランク。これもご住職、そして先輩としてメディアミックスを叩き込まれた結果です。ありがとうございます。

宇宙からマッハを超えた挑戦!人間の限界を超える、とジャクサへの協力も断られた生中継でしたが、偶然にも開催当日に福島でジャクサ宇宙少年団に出会い、関係者、そして子供たちから今夜の生中継を楽しみにしてる言われ東京のスタジオへと向かいました。

このようなミッションの放送に対し様々な意見を言われましたが、結果、初めてみる宇宙からのダイブ、そして成功する瞬間を生中継した事が見てくれていた人たちに表現できない様々な何かを伝えることができたのではないかと感じています。

上手く説明できませんでしたが、この気持ちを伝えたくメールをさせて頂きました。」

すごいプロジェクトを成功させた彼ですが、いま改めて仲間に感謝してます。そんなタジだから、きっとまたもっとすごいプロジェクトを成功させてゆくに違いない。見習うべきところばかり。

ありがとうございます。

2012年10月15日月曜日

国際法華経学会

久しぶりに立正大学の大崎校舎に来ました。別の大学に進みましたが、私の高校はこのキャンパスに隣接していました。

今日はこちらで「第7回 国際法華経学会」に参加しています。本門佛立宗からは福岡御導師、鈴木英信師が参加されています。

総合テーマ「法華経の普遍性・国際性」。日本の研究者をはじめ、海外からヴァージニア大学、カンザス大学、プリンストン大学、ロンドン大学、ウェスタンミシガン大学、マールブルク大学などの法華経研究者の方々が発表を行います。

2012年10月14日日曜日

ヨコハマ

教区御講、無事にご奉公させていただくことが出来ました。一つひとつの御講席に、ここには書き切れない素晴らしいお話があります。

日々、たくさんの方からご祈願いただいているお陰です。自分が愚かで弱くても、みなさんが背中を押してくださっているのですね。本当に、ありがとうございます。

今夜は、医学会新聞でお世話になった方と会食させていただきました。看護士の教育理念、教育方法論、シュミレーションから実習、実際の病棟、病院のマネジメントまで、大変勉強になりました。これからさらに教えていただきたいと思います。

お見送りした後、久しぶりにヨコハマを一人で歩きました。やっぱり、どこにもない空気、雰囲気。ここで育ったという安心感。大桟橋から山下公園、マリンタワー、中華街、横浜スタジアム。ヨコハマは、いいですね。

明日は立正大学です。休んでる場合ではない。有難いです。

それにしても、ヨコハマはよかった。久しぶり。この感覚。この気持ち。

いわし、ひつじ、うろこ

昨日の空は、いわし雲かひつじ雲、うろこ雲と呼ぶのかな。幻想的でした。

日曜日なのに、ついに熱が出てしまいました。でも、今日も御講。3席。出ます。

2012年10月13日土曜日

LIVE中継

これから、LIVE中継を行います。

妙深寺のボーズバーに来てくれた、将大さんと零人さんです。

http://www.ustream.tv/channel/myoshinji-ch

730年目の祥月ご命日

弘安5年(1282)10月13日、お祖師さま(日蓮聖人)はご入滅になられました。今年は2012年。つまり、今日はお祖師さまの730年目の祥月ご命日に当たります。

朝、お総講を奉修させていただきました。残念ながら、お祖師さまの祥月ご命日のお総講にしては、お参詣が少なかったように思います。特別な思いを抱いて、お参詣の志を立てなければ体は起き上がりません。今日は、一年の中でも特別な日のはずです。

「行者、仏を忘るれば、仏も行者を忘るる」

都合のいい時だけでは、いざという時にお守りいただけません。

「一切の事の手始めは出来心也。その事度々すれば癖となる。朝起きも朝寝も、信行の怠りも、されば習い性となるとて習いが大事なり。」

決定的な悪い出来事も、最初は些細な出来心から生まれているものなのです。後悔するような大きな問題も、最初は小さな小さな出来事でした。思い知らなければなりません。

今日も教区御講が3席。もうすぐ出発します。夜はボーズバーです。

意気地なしの弱い自分です。電池が切れそうな毎日ですが、浪江や飯館で見たこと、感じたことを、胸に突きつけて、ご奉公させていただきたいと思います。

2012年10月12日金曜日

スーパーあずさ11号

久しぶりの横浜線。今日は新横浜から八王子、八王子からスーパーあずさに乗って、諏訪湖の近くまでご奉公に伺います。

今日お伺いする野間さんは、6月末の北九州布教区の講演会に、ご夫妻でこの諏訪湖から小倉まで車を運転して来てくださいました。往復1500キロ近くあるはず。有難いことです。

昨日、僕たちも1000キロ以上走ったけど(汗)。疲れていたはずなのに、考え過ぎて全く眠れなかった。困ったものです。南無妙法蓮華経。

一人で電車に乗っていると思わず周りの人をジロジロ見てしまう。いろんな人がいるなー。あらためて実感します。勉強になります。

スーツは冬物。秋が足早に近づいて。

2012年10月11日木曜日

浪江町の海

陸前高田から仙台、南相馬市、浪江町、飯館村を回って、今ようやく常磐道を南に向かって走っています。

どうしても、今だからこそ行きたい、見ておかなければならないと思って、無理を言いました。先ほど秋山ご住職を福島県いわき市の妙運寺までお送りしましたが、本当に遅くなってしまいました。申し訳ありませんでした。

進之介くんが話してくれた浪江町のゴジラの木。見たかったのですが、今回そこまではたどり着けませんでした。次は必ず見つけます。

ただ、浪江町の少し北にある三枚岩の辺りから、激しい海を見ました。東北電力が立入禁止の出していました。振り返ると、高い電波塔。ガイガーカウンター。当然ながら少し高い数値。

ある意味で、陸前高田よりも酷い状態です。まだ津波で破壊された車がそのまま放置されています。家が残っているのに、人が住めない。圧倒的な虚しさ。怖ろしさ。

車を走らせれば分かります。広大な、本当に広大な自然、地域を、失ってしまった。深い哀しみ、憤り。

全く伝えられていないと思います。政治も、行政も、そして私たちも、おかしいと思います。狂っていると感じます。

今、ここに来て、海を見て、考えなければならないことがあると思っていたので、本当によかったです。

2012年10月10日水曜日

もうすぐ陸前高田です。

ようやく、陸前高田市への入り口まで来ました。思ったより時間がかかってしまいました。予備電源で何とか動いてる感じです。

秋山ご住職を一ノ関駅でピックアップ。これから福田さんや柴田さんをはじめ、みなさんとお会いすることができます。お忙しい中、ありがたいです。

明日は11日。震災から1年7ヶ月目。慰霊のために建立された2ヶ所の大塔婆と、高田高校の校舎の前で、ご回向させていただきます。

2012年10月9日火曜日

後ろの空

息を飲む美しさ。夕方の空。教区御講からの帰り道。車の窓からパッと振り返って撮った一枚。

こんなに綺麗に撮れてるなんて、思ってなかったです。

振り返って見ることも大切ですね。後ろに広がっている空の美しさは、前を見ているだけでは気づけないから。

もう、秋の空です。

2012年10月7日日曜日

本山のお会式

今日は本山宥清寺のお会式です。11時から第三座が奉修されております。前島照力師が横浜照隆寺のご住職に就任され、辞令を拝受なされます。心強く、本当に有難いです。

本山の回廊でお声をかけてくださる方々に励まされます。特に、お教化になったばかりの方がいつもブログを読んでくれていると聞いて感激でした。ありがとうございます。

明日は教区御講のご奉公が3席。夕方、また横浜に戻ります。

2012年10月6日土曜日

トボトボ、トボトボ

午後、布教区事務所の引き継ぎをさせていただきました。これから3年間、妙深寺が布教区事務所としてご奉公いたします。

第11期の神奈川布教区は8日から本格的に始動します。晴康さんが総務参与を引き受けてくださり、大変心強く、言葉にならないほど感謝しています。有難いです。

慌ただしいご奉公を終えて外に出てみると、美しい夕方の空が迎えてくれました。夕陽と雲の素晴らしいコントラスト。季節が夏から秋に移り変わる頃、空はこんな表情になります。思わず車を降りて、写真を撮りました。

秋です。トボトボ、トボトボ。頭の中を巡っています。

亮太くんのご挨拶

今日は、教務人生で最年少、3才の亮太くんからお布施のご挨拶をいただきました。

大人がする姿をしっかり見ていたのだと思いますが、とっても丁寧で、感動しました。

お志、確かにお預かりいたしました。ありがとうございます。

お初参り

京都から横浜に戻り、今日は林家のご長女、亜稀子ちゃんのお初参りを奉修させていただきましたー!香港の西川さんもインターネットから見守っていてくれたはず。この数年間を振り返ると感慨ひとしお。ありがたいですー。

お兄ちゃんの亮太くんも大きくなりました。人生の大切な節目を、ご家族と一緒に過ごせることほど嬉しいことはありません。

本堂を出ると飯塚さんのご主人とお会い出来ました。教務会の会議中に危篤の連絡を受けて、清優師が飛んでお助行に行ったのを思い出します。私も追いかけてお助行に伺いました。あれから10年近く経ちます。元気なお姿で、安心しました。お孫さんたちは美人3姉妹。あの頃は小学生でしたが、もうすっかり大きくなっているはず。

そして、第二本堂にお参りをさせていただいて、開田さんの枕辺でお看経させていただきました。子どもの頃の思い出が蘇りました。どこかの渓流に連れて行ってもらったことがありました。お別れのお看経でした。

そう、お初参りの直前、お電話をいただきました。8月末のラジオ番組を聴いてくださっていた方でした。「和尚さんが、どんなに苦しくっても、占いなんかに頼っちゃダメだよって言っていたのを思い出して、助けて欲しいと思って電話しました。」というご婦人でした。40代の頃に失明されたとのことで、今とても苦しいと訴えておられました。ニッポン放送まで問い合わせて、妙深寺の連絡先を聞いたそうです。

お話できて良かったです。少しでもお力になれたら。近日中にお会いしたいと思います。

いろいろなことがギュッと詰まった土曜日です。

2012年10月5日金曜日

あと数日で任期終了

不適格と知りながら、6年間も宗務本庁でご奉公させていただきました。

龍馬が『閑愁録』で批判したように、僧侶が中央の行政ばかりしているのは堕落の象徴だとしても、それまで外からしか本庁を見ていなかった自分にとって、本当にいい勉強、いい修行になりました。

今日の午後、松本海外部長から伊藤次期海外部長への個別の引き継ぎに立ち会い、夕方には宗務本庁全体の引継式が行われました。あと数日で任期終了です。

6年間。大きな節目ですね。来週からは別のご奉公が始まります。しかし、どのような立場であろうと、強い危機感は変わりません。ここで得た全てを活かして、ご奉公させていただきたいと思います。

2012年10月4日木曜日

お会式桜

妙深寺の境内に、桜の花が咲きました。

お祖師さま(日蓮聖人)がご入滅になられた日、哀しみに満ちた池上宗仲公の御館にあった桜がいっせいに咲いたと伝えられています。ご入滅は10月13日のことで、あまりに季節外れの桜でした。

日蓮聖人の門下では、この桜を「お会式桜」と呼び、祥月ご命日に併せて奉修する「お会式」に桜の飾り花を供える寺院があります。

妙深寺の桜も、お祖師さまの祥月ご命日に併せて咲いてくれたのでしょうか。

真実を話そう

今夜は、18時から麩屋町の御総講です。

昨日の朝からかゆみを感じていたのですが、午後になって全身に赤い発疹が出て、かゆくて仕方ありませんでした。もともと子どもの頃はひどいアトピーでしたからアレルギー体質に違いありませんが、免疫系が弱ってるのを痛感。何とかしないと(涙)。

昨日、名言を紹介する書き込みで、「常に真実を話さなくちゃならない。なぜなら真実を話せば、あとは相手の問題になる。」という言葉を読みました。そのとおりだなぁと、心にストンと落ちました。その後も、ずっと考えていったんです。

言葉を選ぶことは大切だけど、言葉を飾っていると苦しくなる。問題を、問題として、相手にはっきり伝えたり、知らせたりすることが大事なんだ。

そこで変に我慢して、そこで言葉を飾って、選んで、黙ってたら、ダメでしょう。

真実にフォーカスしないで、言葉を操っている間は、何も解決しないよ。

真実はきつい。真実は厳しい。でも、真実をまっすぐ見て、真実に対して「あきらめ」なきゃいけない時もあるし、だからこそ戦わなきゃいけない時もあるよ。そういう覚悟を、しなきゃいけない時もあるよ。

仏教には「両舌」という戒めがあるけど、政治家たちはきっと言葉を選び過ぎて、飾り過ぎているから、問題が解決できないままだし、本当は国民の問題なのに僕たち国民が僕たちの問題だと思えないんじゃないかな。政治家が真実を話さないから、いつも問題は「政治家の問題」になってしまう。

もし、問題を抱え込み過ぎているなら、もしかしたら、真実を語っていない時かも知れないね。嘘ではないかもしれないけど、言葉を選びすぎていたり、言葉を飾っている時かも知れないね。

真実を語っていこう。もう、そうしよう。もっと、そうしよう。

そんなことを考えながら、麩屋町に帰ろう。

2012年10月3日水曜日

한국 HBS 100 주년!!

窓の外は曇り。台風の影響かな。台風19号はマリクシという名前とか。早く通り過ぎてもらいたいな。

今週の日曜日は本山宥清寺の高祖会。この日を勝縁としてご奉公の体制が変わります。大きな節目です。

10月28日、韓国の本門佛立宗は開教100周年を記念してご講有巡教による大法要を奉修します。妙深寺からもたくさんのお参詣をいただく予定です。

韓国で作られたチラシ。ソウルのご信者さんと文通されている小寺さんからいただきました。いよいよ100周年が迫ってきていることを実感しました。ここにご紹介させていただきたいと思います。

ありがとうございます。

2012年10月2日火曜日

起動しないー(涙)

今日、文章を作りながら、要求されるがままにAdobeのAcrobat readerを更新しました。

再起動後、全くWindowsが立ち上がらなくなりました。このパソコンはローマのマッシーがわざわざ秋葉原まで行って組んでくれたもので、もう7年くらい使っていると思います(汗)。Windows XP!!

このパソコンがあればこそ『仏教徒 坂本龍馬』も書けました。でも、もう限界みたいです。重要なデータがたくさん入っているのに(涙)。

この画面で30以上経ってるから、無理かもしれませんね。19時半から局長室会議ですが。困りました。

そういうタイミングなんですね。

2012年10月1日月曜日

中秋の名月でした

けたたましい音を立てて、台風が通り過ぎてゆきました。2階を後から付け足した築35年の家は、2階が飛んでいくのではないかと心配しました。飛ばなくてよかったです。

夜半過ぎ、まだ強い風が吹いていましたが、窓の外を見てると見事な月が出ていました。2時半を過ぎていましたが、中秋の名月を見ることができました。しかも、台風一過で、いつも以上に澄んだ中秋の名月だったと思います。

今日は10月1日。お祖師さまも単衣にお召し替えいただきました。10時から月始総講を奉修させていただきました。続いて協議会、教務会。たくさん打ち合わせできました。

今月10日には陸前高田に参ります。今日のお総講でもご披露させていただきましたが、一緒に行ける方を募集中です。よろしくお願いいたします。

写真は、2枚とも僕が撮りました。普通のデジカメですか、露出とシャッタースピードを調整したら、うさぎさんまで撮れたみたいです。うれしい。

幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...