2012年10月18日木曜日

このままで、いいのか。


福島や茨城は、最も厳しい被災地だと思う。茨城の建物の地震による被害は本当に深刻だ。そして、地震と津波と原発事故の影響を色濃く受けている福島県の痛々しさは、そこに住む方々が余りにひたむきだからこそ一層胸に迫る。

陸前高田から南相馬、浪江町、飯舘村から日山や鎌倉岳を大きく回って磐越道に乗り、またいわき市まで向かわせていただいた。昨年、福島第二原発まで行って以来、あらためて原発事故の被災地を目の前にした。

1年7ヶ月。相変わらず、津波が襲った田畑の中に、グチャグチャになった車がいくつも放置してある。その他の被災地では見られなくなった光景が、まだそこにはある。あちこちに、ある。

警察が通行を制限している地域。つまり、浪江から飯舘などの大きな地域が、どれだけ大きな地域か、ニュースや地図では分からない。本当に、背筋が凍るほど、広大な大地に、人が住めなくなったのだ。このことの意味、このことの恐ろしさを、気づいているだろうか。多くの人に、この現実は伝わっていないと思う。

陸前高田から、そこに行った理由は、自分の身体に、自分の命に、この現実、事実を、突きつけたかったからだった。

5000人を前に、東日本大震災には特別な意味があり、その意味を噛みしめて、一人ひとりが変わるべきだとお話させていただいた。

だが、報道されることは、まやかしやごまかしばかりに感じる。きれい事ばかりで、真実が語られていないのではないか。

放射性物質の中間貯蔵施設は福島第一原子力発電所に限りなく近い地域にしていくしかないではないか。最終処分場ですら、そうせざるを得ないのではないのか。本当に、「いつか帰れる」のか。「もう帰れない」とは言うべきではないのか。ジグザグの地図。

その真実、その痛みを、1都6県、ここからエネルギーをもらっていた人々で、いや国民全体で、分かち合うべきではないのか。

「いつか帰れる」とは、希望なのか。ただの楽観なのか。

放射性物質が拡散した方向とは逆の、原発事故現場から130キロ離れた町に、幼児ではなく15才以上で、たった3年間住んでいただけの人間が、10年後に甲状腺癌になった。

誰が保障するんだ。

せめて、セシウムの半減期が過ぎる3年間、子どもたちを、他の県に住んでいただくことを提案すべきではなかったのか。「移りたくない」という人が多いのは分かるが、それは情報の伝え方ではなかったのか。国民全体の覚悟が問われていたのではなかったのか。

つらい甲状腺の検査を定期的に受けさせて実験場のようなことをしても、子どもたちが、バタバタと倒れ、病気になってはじめて気づくのか。

薬害エイズ問題の時と同じように、きっと誰も責任を取らない。このままで、いいのか。

復興予算のでたらめ。どこもかしこも工事だらけ。公共事業か。それが、世代交代と事業内容の変更を、生き残りをかけて死にものぐるいでしている会社にではなく、政治家や行政に取り憑いて、公共事業に寄りかかっていただけの企業の延命でしかなかったら、どうか。ゾンビ企業が増えるだけ。「復興特需」だと声高に叫ぶ人。これが無かったら日本経済は沈んでいたと言う経済人。どんな顔をして、話しているのか。

命より大切なお金や経済。そんなものがあるらしいと感じて、胸が詰まる。

多くの人は、麻薬を打たれているかのように、はっきりとモノが見えなくなっているのかもしれないではないか。地位や、名誉や、お金だと、目の前にエサをぶらさげられて、焦点が合わなくなっていたり、視界がぼやけているんじゃないか。

よく、自殺するタイプだと言われるが、そんなもったいないことはしない。ただ、こんな時代だからこそ、戦場で死にたいと思ってる。

秋山御住職は、「この現実を、みんなに伝えろよ」と言っていた。これが彼が住職をしているフクシマの現実だと。

今日も、精一杯ご奉公させていただいたつもりだけど、本当に、こんなことしてて、いいのか。このままで、いいのか。本当に、いいのか。

自分の胸に、突き立てている。

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