2012年12月26日水曜日

クリスマス前後の雑感

スリランカ出張を取り止めたので、昨年より少しは時間があると思っていたのですが、全くありません(涙)。現在、大遅刻中。トホホ。ご奉公いただいている皆さま、申し訳ございません。

この年末に書斎のパソコンが壊れたのにもきっと意味がありますね。もう、新しいパソコンが来ましたー!まだ箱に入ったままですが、これを契機に足の踏み場もなかった書斎を究極の作業部屋に大変身させることを決意。実は約7年くらいこの状態でした。仕事の出来る人は机の上が綺麗とか言いますが、僕の机は書類や本の山です。これでよく本が書けました。

とにかく、いらぬモニター、パソコン、本、箱、書類を外に出して、動かなくなったエアコンを取り替えて、映らなくなったアナログテレビも白黒しか印刷できないカラープリンタも真っ黒い線が出るレーザープリンターも部屋の外に出します(涙)。すっごい書斎を作るぞー。そして、来年もう一つ本が書けたらいいなー。

この数日、世間はクリスマスでしたね。明石家サンタって、僕が大学生の頃からやってる。すごいなー。

前回も少し書きましたが、ジョンの曲ではないけれど、クリスマスを祝うならまず戦争やめようよ、っと言いたいわけです。

2003年にイスラエルに行ったので、来年になるとあれから10年経ったことになります。次の本の取材のためにも、来年はもう一度イスラエルに行きたいと思います。

先日世界遺産に登録されたベツレヘムの生誕教会にも行きました。教会前の広場に響くアザーン、若いパレスチナの青年たちが午後の礼拝をしていました。イエスが生まれたとされる馬小屋の跡は地下の小さな部屋にあり、恐ろしく重たい空気が流れていました。紛争の渦中にあるベツレヘムを思うと、クリスマスを祝う人たちの無邪気さが哀しくなります。

これから、仏教徒としての視点を、しっかりと世の中に伝えていかなければならないと思います。お祝い、お祭り、とっても楽しいですよね。でも、その奥にある意味や由来を知らないのは無邪気過ぎると思います。

以前書いたことがありますが、エルサレムのマリアの教会に入った時、ちょうどミサに遭遇しました。女性信徒の前で一人の司祭が祈りを捧げ、随行が後ろに一人ついていました。

静かに見ていると、その司祭は、泣いていたんです。ポロポロ、ポロポロ、涙を流しながら祈りを捧げていました。それが、私たちで言うところの、法事なのかご回向なのか、懺悔の場か祈りための一座なのか分かりません。でも、あの司祭は泣いていました。

その時、僕は、彼の信仰者としての敬虔さと宗教家としての尊さに感動しました。聖地に乗り込み、仏教徒の目から、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を見て、紛争を繰り返す彼らの過ちを明らかにしたいと思っていました。それはそのとおりの成果、気づきや学びがありました。

しかし、この司祭の涙を見た時、教えの上では優れているかもしれないが、人間として、宗教家として、私たちはどれだけ真摯に祈れているだろうか、向かっているだろうか、と思ったのです。教えの優劣ではなく、それを受けた者の信仰者としての高貴さ、敬虔さ、素直さ。

開導聖人の御指南書の中に「仏は教えを説いたのではない。信心を説いたのだ」という言葉を見つけた時、この教えと信心、理論と実践ということが、深く心に残りました。

上手に整理できていませんが、結局は、信仰者、宗教家として、本当に素直正直でいるかが問われると思ったのです。教えは、極まっているのですから。後は、私たちの実践にあるのですから。エルサレムで、ご信者さんのご回向の席で、むせび泣きながらご宝前に向き合うような、そんな導師でいたい、と思ったのでした。

クリスマス前後の雑感でした。さて、大遅刻は続いています(涙)、

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