2013年3月13日水曜日

「自分の為に話してるのさ」

あっという間に時間が過ぎてゆきます。

3月12日、静岡と神奈川の役員が大和の法深寺に集い、支庁協議会のご奉公をさせていただきました。それぞれのお寺の3.11。有難いです。

平成25年3月11日。厚薄浅深、その差はあれど、特別な意味を持つ、特別な一日が過ぎました。

私たちは、朝9時から高田高校仮設住宅の「珈琲日和」で、皆さまと一緒に、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

春ちゃんも、長男も、皆さんに可愛がられて、おしるこや、炊き込み御飯や、煮物、お漬物、干し柿など、食べ切れないくらいたくさんのご馳走をいただきました。笑い声が絶えない、そんな明るい場所と時間。みんなで記念写真まで撮って。嬉しかった。

11時、大塔婆の前に移動して、3回忌の正当法要を勤めさせていただきました。13区に住まわれていた皆さまと、この高田高校仮設団地にお住まいの方々も参列くださいました。

13区だけで約60名もの方々が亡くなられました。「この地区に住んでいた者の4人か5人に一人が亡くなってしまったことになります」と、佐々木さんがご挨拶の中でお話になりました。あらためて、胸の底に、重たい何かを感じました。お世話になりっぱなしの千田さんのご挨拶。熊谷さんも参列くださり、大介さんとも再会できて、とっても嬉しかったです。

そして、ロータリーの方々が建ててくださった小屋に移動し、みんなで茶菓をいただきました。そこで、お聞きしたことを、少し書きます。

仮設でお会い方々からお聞きする話。たくさんあります。法要の後、わざわざ私たちの前に来てくださって、話をしてくれた方もそうでした。大震災の当日のことを、自分がどこにいて、家族がどこにいて、どこを、どうやって走って逃げたか、家族がどうなったか、家はどうなったか、どうやって生き延びたか、細かく、詳細に教えてくださいます。

そして、その方は、あたたかい東北弁で、話を聞かせてくれました。きっと、60代後半の方だと思います。

「俺は、自分の為に話してるのさ。ごめんね。時々、話をしないと、言葉にしないと、だめなんだよ。」

「家を流されて、仮設住宅に入った。最初はあそこにいてさ、次にあっちに移動して。」

「ドーム(サンビレッジ)にいたんだけど、震災からしばらく余震がすごかったのさ。暖房さ付けてるとドームの天井が結露してるでしょー。ドーン、と下から揺れが来ると、ドームの天井からボタボタボターって、雨よりすごい水滴が落ちてくるのさ。顔から、布団から、ずぶ濡れになるのさ。そりゃ、ジメジメして、参ったよ」

「一本松。俺は、枯れてしまったのを直すのも、どうでも、何も感じなかったのさ。ほんと、どっちでもいいと思ってのさ。賛成でも、反対でもなかったのさ。でも、ああやって、戻ってきて、うれしかった。それだけ。ただ、それだけ。うれしかったね。それは自分でも、分からね。ただ、不思議だったね。あれで、みんなが陸前高田に来てくれるなら、いいんでねーかな。観光の目玉にもなるよな。とにかく、うれしかったよ。」

こうしたことを、眈々と、次々と、僕たちの目の前で話してくださる。そして、何度も言われるのです。

「自分の為に話してるのさ。」

「被災者だな、惨めだなって感じたのは、親戚の葬式に行った時だな。避難所だから、何にもないし、着るものもジャンパーで、そこに咲いてた綺麗な花を摘んで、持っていったのさ。そしたら、親戚の連中は喪服を着てて、俺らはそんな格好で、花もそんなんで。その時は、情けねえな、と思ったな。」

「一番哀しかったのはさ、子どもの姿だったな。お父さんが津波で流されて、お母さんは毎日遺体安置所を廻るのさ。その時は、子どもを避難所に置いていく。みんな、優しいんだよ。みんなその子の面倒を見る。でも、お母さんが帰ってくると、走っていって、ギューっとスカートの裾を握りしめて離さない。ギューってして、離さなくなる。それを見るとさ、もう、悲しくてな、涙が出て、今でも、それを思い出すと、泣けてきてな。」

そう言って、また、私たちの前で、涙を流されていました。そのストレートな涙が、その他の言葉を奪ってしまいます。陳腐な、慰めの言葉や、上滑りの、理屈っぽい言葉なんて、全く無意味で、失礼な、何の役にも立たない。その方の、涙が尊くて。

振り返れば、今まで通わせていただいていて、まともな、教務らしいお話なんて出来ていません。ただ、ひたすら、ご縁をいただいて、お会いできて、お話を聞いていただけのように思います。それだけで嬉しかったし、それしかできなかった。今もまだ、それしか出来ていないようにも思います。そして、それが大切であるし、そこからしか始まらないとも思うのです。

14時半から、福田さんのお宅の跡地に建立された大塔婆の前で、お看経させていただきました。私たちは黙祷ではなく、御題目をお唱えしながら、14時46分を迎えました。有志の皆さんが集まって、お参詣くださっていて、有難かったです。

また、長い文章になりました。でも、3月11日にお聞きしたことを伝えたかったので、書きました。まだまだ、ご奉公を続けてゆきたいと思います。

ご挨拶でもお話させていただきましたが、一般的に「三回忌が終わると次は七回忌」といって、ご回向でも一区切り、数年間の空白が生まれてしまうことがあります。そう考えると、さらに、一気に、風化してゆくことが予想されるのです。まだまだ、30万人以上が避難生活を余儀なくされています。若い世代の人口流出に歯止めがかかりません。ポッカリと、何かが空いたままです。ですから、ここからが本当の勝負だと思います。ここまでは、出来た。でも、ここから、です。みんなに、また再会したい。また、お話を聞かせて欲しい。そう思います。

そんな風に、今日は思い返していました。明日は、朝の6時半から高祖総講、10時から三席の御講を奉修させていただきます。三月の教区御講が始まります。

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