2013年3月28日木曜日

弟子教育

昨日に引き続き、今日は年に一度の教員研修会。私の担当は弘通学で、本年は建國寺の石川御導師がテキストをご執筆くださいました。今日の講義、本当に有難かったです。

5年目の「育成力」は「弟子教育」がテーマ。テキストの冒頭から、佛立らしく明快で厳しい内容で、いつもながら胸に響きました。

『「あり方」を論じている時間があるなら「現場の実践」をした方がよい』

『要するところは、「私の言う通りやれ」ではなく、「祖師の仰せの如くやれ」ということが弟子教育の根本です。前者ならば育ちません。後者ならば育つのです。』

『今、坊さんが学ぶことは、教義学や儀式や金儲けの経文勉強ではありません。「坊さんー信徒」を、心から結ぶシステムを作ること。坊さん以前の「人間学」「奉仕学」をカリキュラムに入れることです。』

『つまり、バブル宗教の終わりということです。』

『ご信者方に「佛立信心のよさ」を語れる教務になること。』

『折伏と称して悪口を言う教務はいりません。』

『法難の中でよろこびを発見されたのではなく、御法のよろこびを体認されて、法難の中へ飛び込んでいかれました。外見の閉塞感に惑わされず、自らの心に喜びを持ち、教化や相続が難しい現代の法難に向かっていくことです。』

開導聖人の御指南も次々と引かれて、心が清々しく晴れてゆきます。

『人を害せんと思うも我心より也。其報い己れに帰す。』

『清風は世渡りの為に出家したるにはあらず。』

『教導職々々々とほこる坊主にろくな者はない。こんな坊主に布施するな、与同罪也。』

『真実のわが子也と有るにより、清の一つ授け候て名乗り給うべし。』

『当世無道念の坊主等を見るに、よき寺にすわり、よき衣を着て、旦那の信施を貪り、栄耀をせんと思える故に、ますます不帰依にて、寺、大いに破損し、大法おとろえて、日々くらしかねたる不知恩の大罪人なり。・・・常のものいい、行儀作法、又は人から心に慈悲正直そなわり給いて衆人の上にたち、人に用いられずば法はひろまりがたし。むつかしきも何も皆、御法の御為の修行こころえ也と思い給わば、いかようのことも辛抱なるものに候。』

『寺院道場は、正法住持の有無による。・・・住職導師の信謗によてかわる。』

『信者が先か、寺院興隆が先か。答曰、信者有りて後寺院建つと云々。・・・されば弘通は寺院の大小によらず、人の信心の有無によると云々。』

『口伝。人の多きを喜べば却てへる也。』

本当に、有難い授業でした。大切にお伝えしたいと思います。

さらに引き続いで4月末の記念大法要の会議。その合間を縫って、亀ちゃんのオフィスのお戒壇を拝見。護持御本尊をお迎えします。

そして、佛立会館の完成後の映像撮影がありました。ステディカム。イケメンカメラマンの前中くんが体力勝負の撮影に挑みました。欧米ではアメフト選手のような屈強なカメラマンが多いのは、こういうことですね。でも、憧れでした。この機材は。ステディカム。貴重な浄財で建立された佛立会館を、永久保存版の映像にしてくれました。

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