2013年3月20日水曜日

イラク戦争から10年

今日、イラク戦争の開戦から10年目を迎えた。無事に春季総回向を奉修させていただき、その後は評議委員会、たくさんのご面会もあったが、今日は、このことを思い返していた。

西欧ではミレニアムなどと呼ぶ2000年に先住がご遷化になり、未熟で愚かな私の、住職としてのご奉公が始まった。先住が亡くなった時、自分も死んだと思う。あの時死んだから、生まれ変われたのかも知れない。本当のところ、分からない。

そして、翌2001年、住職就任式の直前の9月11日、米国同時多発テロが発生した。自分のこれからの生き方が、鮮明になってゆくのを感じた。それまでの人生で感じてきた幅広い世界が、急に狭くなり、偏っていく。そういう時代の転換点だった。アメリカによる世界平和の確立という幻想と独善性を、突きつけられた。

いずれにしても、そういう時代の転換点で新しい人生が始まった。そして、2003年3月20日、米国東部時間では19日、イラク戦争が始まった。すでに、この開戦の時、その大義なるものなど誰も信じてはいなかった。だからこそ、米英が掲げた国連決議1441に違反したというイラク攻撃は拒否権の行使なく、米英のみ、決議なしで戦争を開始した。そして、これに日本も即時同意した。

アメリカのブラウン大学の研究グループは戦争の影響に関する報告書をまとめ、イラク戦争の犠牲者は最大で18万9736人に上るという調査結果をまとめた。そして、この中の7割以上、13万4000人が戦闘に巻き込まれて死亡した一般市民だと公表し、戦費や駐留費などは約1兆7000億ドル(約162兆円)、退役軍人への今後40年間の医療費などをあわせると、イラク戦争に伴う政府支出は約6兆ドル(約570兆円)に上ると公表した。

一体、誰が何を得したんだ?

昨日、日本政府はイラク戦争開戦を支持した当時の対応について検証は行わないという考えを示した。ただし、菅官房長官は日本が開戦支持の理由に挙げた大量破壊兵器の存在を確認できなかった経緯について、「厳粛に受け止める必要がある」と述べた。昨年12月、外務省はイラク戦争の経緯を検証した報告書を発表し、「イラクに大量破壊兵器が存在しないことを証明する情報を、外務省が得ていたとは確認できなかった」と結論づけている。つまり、何一つ、分かってないのに、日本は米英に追従した。そこに善悪はなく、あるのは利害だけ。これが、これまでの日本という国なのだろう。

いずれにしても、始まってしまったイラク戦争と憎悪の連鎖、こうした世界の現状について、日本の片隅で悲憤した。戦闘に巻き込まれて死んでいく一般市民、特に子どもたちを見ていて、心から血が流れる思いだった。特に、イラク戦争は、安全保障が危機に陥ったために始まった戦争なのではないということは鮮明になり、経済、あるいは宗教や思想によって誘発された戦争であると判明した後、宗教者、仏教者として、いたたまれなくなった。

そして、2003年11月、一人でイスラエルに向かった。今年、あれから10年を迎える。何としても、もう一度、このタイミングで、中東に行きたいと思ってる。あの場所で遭遇した全て、エルサレムの市街地、それぞれの聖地、パレスチナ自治区、ホロコースト記念館、あらゆる場所で見聞きしたこと、その歴史の事実を、消化してて、あらためて、この世界に伝えたい。そう思った。

あの、イラク戦争から10年。地下鉄サリン事件から18年。もっと、もっと、生きて、伝えたいことが山のようにある。

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