午前中は高知佛立寺の鈴木日樹御導師、鈴木淳安師をはじめ、奥さまやご信者の皆さまがお参詣くださり、本当に有難かったです。
鈴木御導師は、私が最初にブラジルに行った1980年、昭和55年当時、ブラジル教区長をなさっておられて、雲の上の上、厳しい御導師というイメージで、いっつも緊張しますー。
今日、鎌倉顕証寺さまの開導会をご唱導とのこと。素晴らしいお天気です。顕証寺さまから見る海は、キラキラと美しく輝いているに違いないー。
ちょうど数日前、ブラジルのサンパウロのご信者さまがご家族でお参りくださいました。4月にブラジルでお会いした皆さん。覚えていてくださって、うれしかったですー。京都佛立ミュージアムも観に行ってくれたそうです。ありがたい。やはり、妙深寺から鎌倉に行かれるということで、お祖師さまのご遺跡や顕証寺さまの住所をお伝えしましたが、英語やポルトガル語のパンフレットを用意しておかなければならないなーと思いました。
それにしても昨日も暑かったですね。本当におかしいわ。熱中症で亡くなられた方々の人数も半端じゃない。恐ろしい。十分に水分補給をして、乗り切っていただきたい。来年は軽く40度を越す日が続くとか、もっと怖いことを言う気象予報士の方もいます。何があってもおかしくない。僕も途中で電池が切れそうになりました。
今朝は長野に向かっています。今日は妙深寺長野別院・平成26年度の三祖会を奉修させていただきます。
御法門にテーマをいただいています。
「宮沢賢治と法華経。次の一手は“行ッテ”。雨ニモマケズ 白い蓮の花のように生きる」
長野別院の皆さまが考えてくださったテーマ。しっかりと拝見させていただきたい。
全部が、つながっていて、関係ないことなんて何一つない。
イスラエルは、なぜヒトラーと同じことをしていると、気づかないのだろう。国連が運営する学校も空爆を受けて、子どもたちがたくさん亡くなり、傷ついて。
何も出来ない自分に虚しさを感じるけれど、本当のところ、それだけでは済まない。
かならず、自分に返ってくる、巡り巡ってくる。あっちの出来事は、いつか、こっちに来る。
今日も精一杯ご奉公させていただいて、御法門も説かせていただくが、賢治さんがサロン化した仏教講座に違和感を覚えていたように、お会式や御講すら、そうなっていないか、チェックしないと、圧倒的な厳しい現実の前には、虚しい。
お父さんは、お金持ちで、いつも高僧を招いて、講座を開いている。そこには地元の名士たちが集まって、仏教を学び、仏教を語る。
しかし、その外側では、子どもを売りに出すような、お年寄りを山の中に捨てて来るような、厳しい飢饉が何度も民衆を襲っていた。
賢治さんが、違和感を覚えたのも、当然です。仏教は、人を救うための教えではないのか。人を救い、平和をもたらし、世を安穏にするための、教えではないのか。
そして、賢治さんは、法華経に出会い、日蓮聖人の教えに出会うのですね。
白い蓮の花のように生きる。
賢治さんの黒革の手帳に、『不軽菩薩』という詩があります。
あるひは瓦石 さてはまた
刀杖もって 迫れども
見よ その四衆に具はれる
佛性なべて 拝をなす
菩薩 四の衆を礼すれば
衆はいかりて罵るや
この無智の比丘 いづちより
来りてわれを 礼するや
我にもあらず 衆ならず
法界にこそ 立ちまして
ただ法界ぞ 法界を
礼すと拝を なし給ふ
すごい詩です。
今日もまた精一杯のご奉公をさせていただきたいと思います。
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