2015年9月4日金曜日

軽善、憎善、嫉善、恨善

京都、長松寺のお総講が終わりました。

深く息をつく。

。。。。。

「聖人の唱させ給う題目の功徳と、我等が唱へ申す題目の功徳と、何程の多少候べきや』

「更に勝劣あるべからず候」

「其の差別なき也」

「但し此の経の心に背て唱へば其の差別あるべき也。」

謗法、罪障の汚れなく、素直に、正直に、向かうことの大切さ。

「此の十四誹謗は在家出家に亙るべし。恐るべし。恐るべし。」

「軽善」「憎善」「嫉善」「恨善」など、もったいないエネルギーです。

ご奉公、ご弘通に、ブレーキばかりかけていては仕方ありません。

功徳は、自分で積み重ねてゆくこと。

徹底して、与え続ける覚悟が、次を生み出します。

批評家、評論家ではいけないと、これまでも再三再四お教えいただきました。

師匠のいないところに、信心も、修行もありません。

自分が師匠として、お弟子さんたちに、

「おいおい、俺を敬えよー」

と言っているのではないのです。

形式ではなくて。

自分も含めて。

人生で、ご信心で、師のいないことほど、不幸なことはありません。

「慢心の おこりはじめや師を捨て おのれ師匠にならんとぞする」

同じ御題目なのに、同じ功徳なのに、変わってしまう、変えてしまうのは、自分。

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