お寺のことを、「法城」と呼びます。
お寺は「仏法」を護る「お城」です。
だから、尊い。
お寺の全くなかった、スリランカやインドやネパールでのご奉公は、法城の大切さを痛感する上で、大変な勉強となりました。
老朽化が進んでいるとはいえ、私たちの世代はすでに立派な法城がありました。
お寺を建てるために、法城を護るために、どれだけ大変な苦労があるか。
国内、海外を問わず、つくづく、このことを思い返します。
信州長野のご弘通ご奉公。
長野本晨寺、妙深寺長野別院、本晨寺上田別院。
それぞれ、お預かりしている尊い法城です。
この法城を中心に、長野でのご奉公を、前へ前へと進めてゆきます。
先日三祖会を奉修させていただいた本晨寺長野別院は、本当に立派な法城です。
美しいご宝前、お控えの間、広間、居住スペース、お風呂もおトイレも、太陽光パネルも設置されていて、売電システムも導入されている、至れり尽くせりの法城です。
この三祖会に、本晨寺さまから13名、妙深寺長野別院から21名、横浜妙深寺から2名、合計36名のお参詣をいただきました。
これから、ゆっくりと、ひとつになって、和気藹々のご奉公を進めて参ります。
「法は人に依りて弘まる」
お寺という法城は、正しい仏法が説かれてこそ法城であり、それを守り伝える敬虔な僧侶や信徒がいてこそ法城と呼ぶことが出来るものです。
バブル後も続く「ハコモノ行政」と呼ばれるハード重視のやり方は、コンセプトや試算が甘く、第一そこに血を通わせる人間を軽視しているため、強い批判を受けるだけではなく、実際に経営が成り立たなくなるケースが相次ぎました。
高度経済成長の中、実は仏教界もハード重視の傾向がありました。
立派な施設、本堂や庫裡はあるものの、そこに集う人は少なく、閑散としていて、ついに法城の維持が出来なくなる、出来なくなりつつある、という実態があると言います。
ハードとソフトのバランスが大切。
法城であるならば、なおさら大切。
中身、そこに集う人の大切さ。
甲斐、信州信濃の代表的な武将・武田信玄のものとされる有名な言葉があります。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。」『甲陽軍鑑』
信玄は、城を持たず、躑躅ヶ崎館を拠点としていたといいます。
まさに、この言葉のとおり、堅固な城郭を建設して、その中に住むのではなく、信頼する部下を城として、躑躅ヶ崎館に住んでいたというのです。
信玄の戦い方はともかく、やはりお城も大切だと思いますが、お城を守る人が大切。
そうでなければ、守れない。
人は城であり、城とは人であるということ。
人は法城であり、法城とは人であるということ。
「人立宗」となることを戒め、同時に「法は人に依りて弘まる」ことも忘れてはならない。
「宗論問答無益」という戒めを習い損じて、人と人との「対話」まで下手になってしまう。
最大の習い損じのように思います。
人と人が向き合ってこそ、人の振る舞いの真価が問われますし、仏教の真骨頂なのだから。
仏法を護るお城。
新たにお預かりすることになった立派な法城を、御法さまを中心に、教えを大切に、そこに集う人を大事に、人がいなければ仏法は守れないと肝に銘じて、しっかりとご奉公させていただきたいと思っています。
どうか、信州信濃のご弘通に、お力添えください。
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