2019年7月31日水曜日

本寺、乗泉寺へ




今朝の妙深寺はお教務さんがご供養当番。教講一体、功徳を積ませていただきました。


今朝はそのまま乗泉寺にお参詣をさせていただきました。永江御導師に御目通りいただき、御礼を言上いたしました。ありがたいです。


一昨日、石原さんのお宅にお助行に伺いしました。突然で申し訳なかったのですが、お会いできて本当によかったです。今日は母もお助行に行ってくれました。ありがとうございます。


明日から8月。8月はスリランカへの出張、韓国への出張があります。


精一杯、全身全霊で頑張ります。


明日は6時半から妙深寺の月始総講です。


是非ともお参詣ください。


ありがとうございます。

2019年7月29日月曜日

本晨寺 住職継承式


























昨日、無事盛大に長野本晨寺の開導会併せて住職継承式を奉修させていただくことが出来ました。


清水日博上人の嫡男であられる清水日清御導師に御唱導の栄を賜りました。


御導師からいただいた御言葉のとおり、「覆水盆に返らずと言うが、覆水盆に返ったというご奉公」「お寺を一つ建立するよりも難しいご奉公」を、本晨寺のみんなでやり遂げてくださいました。


バラバラになったものが一つになる、一つにする、というご奉公を、まさに現証の御利益として本晨寺教講全員で歓喜して迎えた日。


不思議な台風は真っ直ぐに長野へ向かってくれていたのですが、完全に消滅して、見事な快晴のもと、まさに晴天、盛大奉修の、尊く、有難い開導会・住職継承式でした。


堤深恭師の宣誓は、本晨寺の未来を明るく切り拓く覚悟に溢れていました。


苦労を重ねてきた本晨寺信徒代表の宣誓にも、深い意義と覚悟を感じさせていただきました。


手作りで、教講みんなで精一杯お祝いしようと、祝賀会の会場は本晨寺本堂1階のホールにさせていただきました。


これはアタリ!素晴らしい一体感でした!


どこかのホテルの会場よりも、お寺でするのが一番!


みんなでカーペットを張り替えたホールは、12×5、16×5で、なんと140名が座れる大会場となっていました。


本晨寺、もう何でもできます!!


在家から発心、出家・得度された堤深恭師。誰よりもご信者方の気持ちが分かる御住職となられるでしょう。


そして、京都から嫁いできてくださった内室のエリ子さん。もともと本門佛立宗のご信者さんではなかったエリ子さんは、ゼロから佛立信心を育み、素晴らしい佛立教務夫人となられました。厳しく寿美江大奥さまに指導されてきたエリちゃんですから、必ずや本晨寺の土台を支えてくださると確信しています。


お二人とも十数年前に癌を患い、それを現証の御利益で完全に克服しておられます。本門佛立宗は現証御利益宗。そのことを誰よりも身をもって体験しておられる。


深恭師は優しいお顔ですが、絶対に引かない確信、信心をお持ちです。だから、お折伏も厳しいのです。長松清凉ご住職の御弟子さんですから。


長松清凉ご住職に惚れ込んで惚れ込んで、お給仕第一でご奉公なさってきた深恭師です。さぞ先住もお喜びになっておられると思います。


本当に、いろいろなことがありました。


私も、昨夜は少しだけ固まっている肩が柔らかくなったように感じました。


宗門未曾有の問題の、一つの終着点であり、新たな出発点でもあります。


清潤ウイルス。デビル清潤。感無量です。


「すえのよのわれら如きの悪人は、御題目より持つ法なし。折伏をして万人ににくまるゝとも、教主釈尊おひとりにほめられたらばそれでたんのう。誰が何といふともままよ。助けたまふは唯御一人。其師を尋ぬれば凡師也と。弟子は申すに及ばざる也。」(百座法門 第五・扇全12250頁)


坂本龍馬の「世の人は われをなにともゆはばいへ わがなすことは われのみぞしる」と相通じる開導聖人の御指南です。


「日蓮門下は嫌い。業の自覚が仏教なのにあいつらは御題目に出会ったとたん偉くなったつもりで人を見下し、独善の悦に入る。」


そんなことを司馬遼太郎が書いていました。それも一理あるでしょう。


師匠を捨て、師匠がいなくなって慢心すれば、簡単にそこに行ってしまいます。こんな人ほど面倒で、やっかいな存在はありません。


罪障の自覚、謙虚さは、師匠あってのことです。


末法の病理の根源は、師匠を敬わなくなること。


簡単に情報が手に入る、調べれば、いつでも、どこでも、何度でも、情報は手に入る。


師弟の崩壊。この時代に加速する病理です。


一言一句の教えを師匠に求めなくても、簡単に手に入る。


教義、法門、修行法。


出来る限り人に会わず、人に頭を下げず、独自の方法でコッソリ勉強して、身につけたい、身につけられる、と思い込んでしまう。


教えを請い、教えを求め、その瞬間、一回きりだと思ってメモを取り、耳目を開いて学び取る、そんな心が失われてゆく。


バラバラになり、小賢しくなり、遠回りをして、自分勝手な理屈に止まり、評論家になり、フワフワと孤独に浮かんでゆく。


それでいいとは思えません。


第一、信心とは、そうではないから。


お祖師さまは『身延山御書』ではっきりとお示しになっておられます。


「実に佛になる道は師に仕ふるには過ぎず。」


もちろん、師弟ともに凡夫の末法ですから、これほど深い教えはなく、実践の難しいことはない。しかし、それもこれも『身延山御書』の中に説かれています。


みんなに分かるように説明すること。


一つひとつ筋を立てて行ってゆく。


ただ、末法のご奉公はそうしていても誤解されることの方が多いものです。


「世の人は われをなにともゆはばいへ わがなすことは われのみぞしる」


だから、あらためて、誰が何を思い、何を言おうとも、ご宝前を見据えて、断固としてやらなければならないことがある。


「薄情の道、忘るべからず」


坂本龍馬の言葉といわれています。


とにかく、覆水盆に返らずのところ、現証の御利益をいただいて、覆水が盆に返ったのを感じた、一つになった本晨寺の尊い一日でした。


僕は、石田さんの写真を見ながら、何度も泣いてしまいました。


ありがとうございます。


是非、長野へお立ち寄りの際には、キラキラと明るく、笑顔の絶えない、希望でいっぱいの本晨寺にお参詣いただきたいと思います。

2019年7月28日日曜日

快晴の長野








素晴らしい快晴の長野です。


被害に遭われた方がおられたら申し訳ないのですが、横浜と長野では寝ている間にしか雨の降らない、とてもお行儀のいい不思議な台風でした。


本日、長野本晨寺の開導会、住職継承式を奉修させていただきます。


言上文、ギリギリに完成(汗)。


ありがとうございます。

2019年7月27日土曜日

朝鮮学校で練習試合














東京駅もまだ晴れています。これから北陸新幹線はくたかに乗って長野へ向かいます。


昨日、少しだけ時間が出来たので、次男を練習試合の会場まで送っていきました。


次男は横浜市立の中学校に通っています。昨日の試合は神奈川朝鮮中高級学校。横浜では歴史のある有名な学校で、僕も久しぶりに門をくぐりました。


高校2年生の時、この学校の2人組と大喧嘩になり大敗を喫した苦い思い出があります(笑)。1対2だったとはいえ3分ももたずボロボロになりました。本当に強い奴ばかりでした。


赤いユニフォームの朝鮮学校の生徒たちに挨拶しながら次男を送ってゆきました。みんな礼儀正しく丁寧で偉い子ばかりです。


最近、どんどん近隣諸国との関係や雰囲気が悪くなっているのを感じます。安全保障が重要であるのは当然ですが、かといって昨今の外交手法がいいとは思えません。明治初期も政府内部でそうしたボタンの掛け違いがありました。


『仏教徒 坂本龍馬』では勝海舟のこんな言葉を紹介しています。


「日清戦争はおれは大反対だったよ。なぜかって、兄弟喧嘩だもの犬も食わないじゃないか。たとへ日本が勝ってもどーなる。支那はやはりスフィンクスとして外国の奴らが分らぬに限る。支那の実力がわかったら最後、欧米からドシドシ押しかけてくる。つまり欧米人が分らないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりやるに限るよ。

いったい支那五億の民衆は日本にとって最大の顧客さ。また支那は昔時から日本の師ではないか。それで東洋の事は東洋だけでやるに限るよ。

おれは維新前から日清韓三国合従の策を主張して、支那朝鮮の海軍は日本で引受くる事を計画したものさ。」


本当に、透徹した見解だなぁと思います。日清戦争の起こる前の論争です。日本とアジアには違う道があったことを知っていただきたくて、この本を書きました。


面倒な文章ですが、その前後を載せてみます。


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明治二十七年(一八九四)の日清戦争から明治三十七年(一九〇四)の日露戦争にかけての十年間、『時事新報』は国威発揚、戦意高揚のために重要な役割を果たしていた。


この新聞を創刊した福沢諭吉が日清戦争を奨励していたことは有名な話だった。福沢は「吾輩」や「五九樓仙萬(ごくろうせんばん)」というペンネームを使って自説を展開していた。現在、福沢のアジア蔑視や戦争推進と見て取れる文章は、主筆の石河幹明によるものという論争もあるが、いずれにしても福沢の影響力を一助として日清戦争は「文明と野蛮の戦い」と規定され、賑やかに戦意が鼓舞されたのである。その思想は、「脱亜論」「脱亜入欧」という言葉と共に広く受け入れられていた。


一方、龍馬の師である勝海舟は日清戦争について反対の立場で一貫していた。万延元年(一八六〇年)、勝と福沢は共に咸臨丸で渡米した間柄だったが、維新後の福沢は執拗に勝を批判した。


海軍の生みの親とも呼ばれる勝は、日本海軍が最初に活躍した日清戦争には反対の立場を貫いた。


『氷川清話』には日清戦争に対する勝の見解が所収されている。


「日清戦争はおれは大反対だったよ。なぜかって、兄弟喧嘩だもの犬も食わないじゃないか。たとへ日本が勝ってもどーなる。支那はやはりスフィンクスとして外国の奴らが分らぬに限る。支那の実力がわかったら最後、欧米からドシドシ押しかけてくる。つまり欧米人が分らないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりやるに限るよ。

いったい支那五億の民衆は日本にとって最大の顧客さ。また支那は昔時から日本の師ではないか。それで東洋の事は東洋だけでやるに限るよ。

おれは維新前から日清韓三国合従の策を主張して、支那朝鮮の海軍は日本で引受くる事を計画したものさ。」(『氷川清話』勝海舟 江藤淳 松浦玲・講談社学術文庫・二〇〇〇)


当時の政界の立場や福沢諭吉の論旨、新聞各社の論調とは異なる見解だった。日清戦争の海戦は、神戸海軍操練所で龍馬らと共に航海術を学んだ伊東祐亨が連合艦隊司令長官となって戦い、同時に清国の北洋艦隊司令長官・丁汝昌は勝と旧知の間柄だった。日清戦争で戦うことになった両国海軍のトップは、勝海舟の弟子ともいえる二人だったのである。彼は心痛極まりなく戦況を見ていたのだった。


欧米諸国の文明を猛追する余り、ついに文明国を自認するまでになったのはいいが、帝国主義まで真似をして植民地政策を進めようとする福沢ら明治政府の権力者たちに対して、勝は疑問を呈していたのである。隣国の権益に目を輝かせ、その脅威を煽るよりも、世界戦略の中のアジア諸国の協調、特に三国での共闘を模索すべきではないか、安易に手を出せば抜け出せない災禍が訪れるのではないか、と主張していた。


文中の「最大の顧客」という段を読むと、その眼は未来まで透徹していたことを思い知る。勝は、首相の伊藤博文に対して、「日清戦争は大義のない戦争でロシアとイギリスを利するだけだ」という内容の批判の漢詩を送りつけ、「一回勝ったぐらいでうぬぼれるな」「日本が逆運に会うのもそう遠くはない」とまで警告したことも『氷川清話』に出てくる逸話であるが、それは単なる逸話ではなく龍馬の思想につながる勝らしい思想の一端なのである。


いずれにしても、日清戦争は勃発し、日本は勝利した。ただし、勝の予言通り、フランス、ドイツ、ロシアの干渉によって追い詰められたのも事実であった。そして、日本は、勝の願う方向とは別の経路を辿ってゆくことになる。


そんな勝は明治三十二年(一八九九)一月二十一日に没し、福沢も明治三十四年(一九〇一)二月三日に没した。そして、明治三十七年(一九〇四)、『時事新報』は日露戦争を目前に控えて戦時新聞となっていた。そこに、龍馬は登場したのである。」


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練習試合の結果は残念ながら松本中学校が負けてしまったようです。次は勝てるといいですね。


ずいぶんお行儀のいい台風で、昨夜は横浜も大雨でしたが、今日はカラッと晴れ上がっています。長野もお天気とのこと。これから雨が降るようですが、朝までに止んでいただきたいです。


ありがとうございます。


追伸。長くてすいません。


実は、昨日の朝鮮学校の門を入った階段の脇に、明らかに犬のフンではない汚物がありました。


人間のものだとしたら、どういう意図でこの場所にこんな卑怯なことをしたのでしょう。異常な悪意と異常な行動。歴史を軽視して、偏狭な言説に煽られた人がいるのでしょうか。


立て続けに起こる凶悪犯罪からではなく、昨日はもっと身近に狂った末法の世の中を痛感しました。

2019年7月26日金曜日

熱帯低気圧が北上中










妙深寺のガールスカウト、神奈川県第24団は今日から日曜日まで夏期キャンプ。


熱帯低気圧は台風に成長して東日本に上陸するかもしれません。本当に変わった気圧配置というか、高気圧と低気圧の。天気の子?要注意です。


ガールスカウトは長野県の八ヶ岳でキャンプの予定です。しっかりした施設で、熟練のリーダーが付いていますから大丈夫だと思いますが、ご祈願させていただきます。


7月28日(日)は長野本晨寺の住職交代式を奉修させていただく予定です。こちらも雨が残りそうで心配しています。


こうした盛儀に、熱帯低気圧、台風が近づいてくるということで、長松清涼ご住職を思い出させていただきます。しっかりと肝に命じてご奉公させていただきたいと思います。


今日は真夏の日差しです。梅雨冷えの毎日から突然の真夏日ですから、体調にお気をつけください。


妙深寺の夏期参詣は第14日目。まさに中盤です。ここが踏ん張りどころ。声をかけあって夏の修行に精進しましょう。


8月13日まで耐熱夏期修行参詣です。お参詣いただけば朝は美味しいご供養が頂戴できます。


ありがとうございます。

2019年7月20日土曜日

投票






結局前日となってしまいましたが、京都から戻り、投票に行ってきました。


投票しなければ免許証やパスポートがもらえない国ではないので、どうしても優先順位が低くなってしまうと思います。


でも、やっぱり大切。万難を排して、つまり行かない理由を排除して、投票に行きましょうー‼️


今日はあと1時間半。


明日は投票日‼️


妙深寺は明日が青年会のサマーセミナーなので、今日期日前投票に行きました。変な噂があるからボールペンを持って。


皆さまも投票に行きましょうー‼️

ネパールの開導会
























ネパールから写真が届き、ありがたくて涙が出ました。


開導聖人の130回御遠諱の祥月ご命日を期して、妙深寺ネパール別院のご宝前で開導会を奉修させていただいたとのこと。


小さくても、こんな素敵な開導会はなかなかないですね。


寺の大小、人数の多少、格式などではなく、こうしたご奉公を開導聖人はお喜びになられるのです。それが開導聖人であり、本門佛立らしさ。



「清風が開講したる本門佛立講、京都に弘まりて終ひに此の国に弘まり、末法万年の外までも弘まるべし。」18・266


この『元旦祝盃御法語』にある御言葉のとおり、日本国から世界中へ広がる教え、菩薩の誓い、その輪が、ありがたいです。


ネパールの清天師、清地師は、日本から遠く離れて、孤独な中、厳しいご奉公の中にありますが、頑張ってくれています。


8月、清地師は本山で行われる佛立修学塾の第5学級特別講座に参加させていただくため、来日する予定です。


ありがとうございます。

2019年7月19日金曜日

時間と空間と慈悲












誰の上にも、平等に時間が流れているように見えます。


でも、違う。


仏教の創始者は、同じ世の中に生きているように見えて、その人の心によって全く世界が変わると説きました。


同じ一日、同じ世界なのに。


本当に、そのとおりです。


雨を喜ぶ人もいれば、雨に泣く人もいて。


僕の父が意識不明だった時、デパートに床ずれを防止する道具を買いに行ったことがあります。


その時のことを鮮明に覚えています。


同じ世界にいるのに、全く別世界にいる自分。


デパートにいる人たちの幸せそうな笑顔と、自分や自分たち家族の心や置かれている状況の違い。


そんなことは当たり前で、それが世の中というものだけど、その事実を感じました。


私たち人間には誰かを「思いやる」という心がある。


その心が、この混沌とした世界を一つにする。


その心が、この世の希望だと仏教は説きます。


その心が、修行だと仏陀は説きます。


心に映る世界が、真の世界ではない。


心に映る世界の向こう側に別の世界があって、すべてを包んで真の世界がある。


「火に入る者を助けんとするには共に火に入り。水におぼるゝ者を救はんとするには、共に水に入て救ふなり。高祖も此の如く、乃至、仏一切衆生をすくはんが為に浄土をすてて娑婆世界に入り来たり給ふ。」


苦しんでいる人や悲しんでいる人のために寄り添うことが、人間の努めであり、人間の証明であり、修行だと教えていただいています。


答えの出ない、答えのない、現実がある。


「さればとて、きのうけふ法華経を信じそめぬる身は、漸く火中水中を逃れいでたる身のみにして、我はたすかりつれど人をたすくる力なし」


「われもかやうにして謗法の火の中を逃れたり、かやうにして御利益は蒙りたりと人にも語り、力に応じて慈悲をさきとして深切に人にさとし、水の中、火の中を出さんと心がけたるが、男子も女子も随力演説と云ふ経文の如く也」


いま、僕には、御題目をお唱えすることしかできません。


幸せな人のために、祈ります。


深い哀しみの底にいる方々のために、祈ります。


南無妙法蓮華経、、、、、。

幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...