無事に高知市のホテルまでたどり着きました。いつもながら、バタバタしましたが、ありがたかったですー。
この週末、蓑田さんご夫妻が高知におられると聞いたのは数日前、なんと100万人のクラシックライブが梼原町で開催されると知りました。
拙著『仏教徒 坂本龍馬』の取材で何度も訪れた大好きな場所です。梼原に至る道は回天を志す多くの若者たちが故郷・土佐を捨てて脱藩のために走った道。
粉雪の舞う中、高知市内から梼原まで、情熱に燃えた龍馬や志士たちを想い、車を走らせました。「世の人は我を何とも言わばいえ我がなす事は我のみぞ知る」。やはり、初心、忘るべからず、です。
100万人のクラシックライブ、最幸でした。カウントしただけで80名は軽く超えていたので、100名近い参加者だったと思います。蓑田代表をはじめ、スージー奥さま、財団理事の平野英治さまもおられて、梼原で会える不思議、感動、身震いしました。
吉田町長にもご挨拶させていただき、感動のライブがスタート。財団の評議委員でもある隈研吾さんが設計された「雲の上の図書館」は最高の環境、ビデオメッセージで言っておられたとおり森の中のような音響でした。
アンコールまでいたら間に合わなくなるので失礼し、そこから一気に桂浜まで走りました。桂浜の龍馬像の前でみんなと合流し、これまた感動。龍馬さん、お久しぶりです(涙)!
龍馬像に、ネパールのビカスとスリランカのダスンを紹介しました。新しい仲間、まっこと、いい男ぜよ。誰もが笑うて暮らせる世界へ、近づいているき、がんばっちょるき。
司馬遼太郎さんが、桂浜の坂本龍馬像へ寄せた文章が、坂本龍馬記念館の片隅で紹介されています。どうせなので、ご紹介させてください。
「銅像の竜馬さん」 司馬遼太郎
銅像の龍馬さん、おめでとう。
あなたは、この場所を気に入っておられるようですね。 私もここが大好きです。 世界じゅうで、あなたが立つ場所は ここしかないのではないかと、 私はここに来るたびに思うのです。
あなたもご存知のように、銅像という芸術様式は、 ヨーロッパで興って完成しました。 銅像の出来具合以上に、銅像がおかれる空間が大切なのです。 その点日本の銅像は、ほとんどが、所を得ていないのです。
昭和初年、あなたの後輩たちは、あなたをいざなって、 この桂浜の厳頭に案内してきました。 この地が空間として美しいだけでなく、 風景そのものがあなたの精神をことごとく象徴しています。 大きく弓なりに白い線をえがく桂浜の砂は、 あなたの清らかさをあらわしています。 この岬は、地球の骨でできあがっているのですが、 あなたの動かざる志をあらわしています。 さらに絶えまなく岸うつ波の音は、 すぐれた音楽のように律動的だったあなたの精神の調べを 物語るかのようです。そしてよくいわれるように、 大きくひらかれた水平線は、あなたのかぎりない大きさを、 私どもに教えてくれているのです。
「遠くを見よ」 あなたの生涯は、無言に、私どもに、 そのことを教えてくれました。 いまもそのことを諭すがのように、 あなたはびょうぼうたる水のかなたと、 雲の色をながめているのです。
あなたをここで仰ぐとき、 志半ばで斃れたあなたを、無限に悲しみます。 あなたがここではじめて立ったとき、 あなたの生前を知っていた老婦人が、 高知の町から一里の道を歩いてあなたのそばまできて 「これは龍馬さんぢゃ」 とつぶやいたといいます。 彼女は、まぎれもないあなたを、もう一度見たのでした。
私は三十年前、ここに来て、はじめてあなたに会ったとき 名状しがたい悲しみに襲われました。そのときすでに、 私は文章を通して、精神の肉声を知っていましただけに、 そこにあなたが立ちあらわれたような思いをもちました。
「全霊をあげて、あなたの心を書く」 と、そのときつぶやいたことを、 私はきのうのように憶えています。
それより少し前、 まだ中国との間に国交がひらかれていなかった時期、 中国の代表団がここにきたそうですね。 十九世紀以来の中国は、 ほとんど国の体をなさないほどに混乱し、 各国から食いあらされて、死体のようになっていました。 その中国をみずから救うには。 風圧のつよい思想が必要だったのです。 自国の文明について自信のつよい中国人は、 そういう借り衣で満足していたはずはないのですが、 ともかくもその思想でもって、中国人は、 みずからの国を滅亡から救いだしました。 ですから、この場所であなたに会ったひとびとは、 そういう歴史の水と火をくぐってきたひとだったのでしょう。
そのなかの一人の女性代表が、 あなたを仰いで泣いたといわれています。 その女性代表はあなたについて多くを知っているはずはないのですが、 あなたの風貌と容姿をみて、あなたのすべてと、あなたの志、 さらには人の生涯の尊さというものがわかったのです。
殷という中国におけるはるかな古代、殷のひとびとの信仰の中に、 旅人の死を傷む風習があったといわれています。 旅人はいずれの場合でも行き先という目的を持ったひとびとです。 死せる旅人はそこへゆくこともなく、 地上に心を残したひとであります。
ふつう、旅人の目的は、その人個人の目的でしかありませんが、 それでも、かれらは、残念、念を残すのです。
あなたの目的は、あなた個人のものでもなく、 私ども日本人、もしくはアジア人、さらにいえば 人類のたれもに、共通する志というものでした。 あなたは、そういう私どものために、志をもちました。 そして、途半ばにして天に昇ったのです。 その無念さが、 あなたの大きさに覆われている私どもの心を打ち、 かつ慄えさせ、そしてここに立たせるのです。
さらに私どもがここに立つもう一つのわけは、 あなたを悼むとともに、あなたが、 世界中の青春を鼓舞しつづけていることに、 よろこびをおぼえるからでもあります。
「志を持て」 たとえ中道で斃れようとも、 志をもつことがいかにすばらしいかを、 あなたは、世界じゅうの若者に、 ここに立ちつづけることによって、 無言で諭しつづけているのです。
きょうここに集った人々は、 百年後にはもう地上にいないでしょう。 あなただけはここにいます。 百年後の青春たちへも、どうかよろしく、というのが、 今日ここに集っているひとびとの願いなのです。 私の願いでもあります。
最後にささやかなことを祈ります。 この場所のことです。 あなたをとりまく桂浜の松も、 松をわたる松籟(しょうらい)の音も あるいは岸打つ波の音も、 人類とともに永遠でありますことを。
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先ほど、鈴木御導師と節子さまとご一緒させていただき、ご供養を頂戴し、ホテルに戻って参りました。
明日は高知 佛立寺の門祖会、春の御会式です。よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
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