本日は幕末維新の仏教改革者・長松清風日扇聖人のご遷化から136年目の祥月ご命日にあたります。
開導聖人のご遷化から136年。正法、像法、末法。今はどこ?似て非なるものになってはならぬ。習い損ずれば「似ても似つかぬ」者となります。
「弟子、一佛の子と生まれ、諸経の王に仕う。何ぞ、仏法の衰微を見て心情の哀惜を起こさざらんや。」立正安国論 / 日蓮聖人
報恩とは「佛立のアイデンティティ」を際立たせること。佛立でないこと、佛立らしくないことばかりやっていてどうする。
言葉だけ、上部だけ、形式重視、権威主義では話になりません。いかめしい顔を作っても虚勢でしかない。意味もなくただ害のみある。情けない。
「ある人の歌に
「おほかたの世すて人には心せよ 衣を着ても狐也けり」とよみたるは、この形ちばかりの人を、だます坊主を「狐也」と恥かしめたり。
この弘経抄の御いましめを拝見し候より、清風も中年坊主の形ばかりにてはあらじやと、日に三たび、夜に三たぴ、わが心を心でかへり見て、いよいよ信心を励むことと、この御指南をいただき侍りぬ。
今の世の寺住の坊主は、大かた狐のたぐひなるべしと、おしはかられて口惜き故に、このことをわが教え子のために記しつ。
当宗は、題目、口唱、信心、折伏、教弥実位弥下、名字即宗也と十三問答抄に遊したれば、習ひ損じの形ちにほこる坊主、小僧等を、折伏のために此一段を書き置きとどめぬ。
明治十九年丙成二月六日の夜、雨しづかにふりて、いとど物にまぎれぬ。十二時にかけり。ことし清風、七十才になれり。御花押
南無三宝諸天善神十界の聖衆。
清風が弟子講中に、慢心者の出来申さぬやう冥加あらせ給へ。
何とぞ本門佛立講中は、信行口唱、折伏宗を、たてつらぬき、万年の外、未来迄も、永続せしめ給へ。これ生々世々の誓願に候也。あなかしこや。」10-24
今生だけではなく、連綿と受け継がれる本物のご奉公を積み重ねてゆきましょう。仏教再生の使命を受け継ぎましょう。と、門末の教務諸師に伝えています。
本物の佛立教務であるように。本物の佛立信心をしよう。狐や狸になるな。国内も、海外在住の教務も、みんなで本物を目指そう。開導聖人にお喜びいただくために。真の報恩ご奉公に努めよう。
南無妙法蓮華経
京都佛立ミュージアム
「幕末維新の仏教改革者 長松清風展」
https://youtu.be/_C-qAnapN9k?si=kk44H_qlTFBHSDGN
人びとを魅了し続ける千年の王城、京都。
花の都、月の都、水の都。
京言葉。京料理。京町家。
知れば知るほど奥がある。
訪れるたびに発見がある。
幾たびも心満たされる。
何層にも積み重ねられた深さこそ京都の魅力です。
此処に知られざる物語があります。
時は幕末、この京都に生まれ、後の日本社会に大きな影響を与えた一人の傑僧がおりました。
彼の名は長松清風。
書家や歌人、学者や芸術家として名を馳せていた清風は、そこに止まることなく、むしろその地位を捨てて仏道を志しました。幕府のみならず仏法からも人心が離れていた江戸時代後期。彼は人類普遍の価値を持つ仏法を再生させ、その実践者として知らぬものがないほどの僧侶となりました。
生粋の京都人らしい洒脱さ、特有のユーモアやアイロニー。
クリエイティブな意匠の数々。
何より宗教家としての情熱、信念。
日本の夜明けと共に現れた幕末維新の仏教改革者 長松清風。
知れば知るほど奥がある。
新しい発見に心満たされる。
「みやこより 咲きはじめたる 法の花」
幕末維新の仏教改革者 長松清風の生涯、花の都・京都から咲きはじめた、真実の仏教の物語です。

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