特別な一年は伏見妙福寺で締めくくり。なんとかご奉公させていただくことが出来ました。
今年は信くんの得度式からはじまり、長松日峰上人の御37回忌、日爽上人の御27回忌、小千代祖母、松本御導師、長谷川御導師、そして、最後に薫おばさまの37回忌と、私たち家族、親族にとって、これほど以上ないほど特別な一年でした。
そのフィナーレを、長松家の長女・薫おばさまが嫁いだ伏見妙福寺で迎えました。その深い意味と想いを、最近つくづく感じます。だから、どうにも言葉に詰まってしまって、涙が溢れた法要となりました。胸がいっぱいでした。
薫おばちゃまの37回忌。つくづく、長松家の長女としての薫さま、その強烈な想い、執念にも似た「力」を感じています。
気がつくと、こんな僕のご奉公を、いつも松本現薫師や、伏見のみんなが支えてくださっています。この長松寺を、近いとか、仲がいいとか、そんなレベルを超えて、絶大に、いつも伏見の松本家がお守りしようとしてくださっています。
これは全て「薫おばちゃんなんだ」と思うのです。黎明期、これからどうなるか分からない中、品尾おばあちゃんの想像を絶する信念のもと、長松家の長男・日峰上人と小千代祖母の間に、長女として生まれてきた薫さま。たくさんの兄弟姉妹の中で、懸命に責任をまっとうされた、ご奉公なさった、薫おばちゃま。命を削ってご奉公くださいました。
そのとてつもない薫おばちゃまの信念によって、生かされていることを感じます。感謝してもしきれません。
一番上の姉である薫おばちゃんと父は、ビックリするほど仲良しでした。日峰上人をお見送りし、その三ヶ月後に母を見送った父を、薫おばちゃんは周囲をはばかることなく愛情たっぷりに支えようとしておられた。平成2年のことです。宗門の混乱の前のこと、先住のお怪我の前のこと。前でよかったです。先住のお怪我の時、薫おばちゃんがいたらどうなってたか。想像したくもありません。よかった。
亡くなられる直前、大学生の僕に優しく接してくださいました。
そう、あの当時、僕など海のものとも、山のものとも分からない、超不良の、海にばかり行っていて、頭の中まで潮焼けしているような、クレイジーな大学生でした。くるっちょる。くるっちょった。平成2年の3月、ジェットスキーのプロになりました。まさに学生としての絶頂期に、日峰上人、小千代祖母、薫おばさまが旅立たれた。
あれから36年が経ちました。世の中の問題は大きくなっているのに、残されているのは小粒な僕たち。せめて力を合わせて、しっかりとご奉公しようと誓い合っています。
薫おばちゃんからして、僕が奉修しているなんて、驚いたはると思いますー。かんにんしてください。必死にご奉公させていただきました。
36年後の今、松本ファミリーは子どもたちが大勢いて、未来への希望に満ちています。本当に、楽しくて、うれしいです。
現薫ご住職、みかちゃん、ゆかちゃんの子どもたちはもちろんですが、長松寺まで迎えにきてくれたななちゃんファミリーの子どもたち、こはるちゃんもそうですし、僕の二人の息子たちとも、みんな、もはや従兄弟なのか、はとこなのか、何が何だか分からないのですが、とってもとっても仲良しで、心からうれしいです。
それは、きっと薫奥さまが最もお喜びになることで、絶対に現喬師が大好きなことで、みんなを見守ってくれていると思うのです。これこそが未来への希望です。
ただ、厳しい時代に生きることになります。戦争の時代。乱世。ここから、本当に何があってもおかしくない。天災、人災が、相次ぐ世の中です。来週はじまってもおかしくない。明日あってもおかしくない。ヤバい時代です。
だからこそ、あらゆる意味で本質的な生き方が求められるし、あらゆる意味で本当の人間関係、ファミリー、絆が求められます。イミテーションやデコレーションは全く意味をなさない。本物しか残らない。本当に、恐ろしい時代です。よろしくお願いします。
妙福寺をお守りくださっている教講みなさまのご奉公に感激し、また遠方から団参くださった方々に大感謝して、怒涛の一週間が終わりました。
完全にアゴが上がっていますが、かけがえのない家族、親族、そして大切な方々、大好きなみんなとの、今生人界の素晴らしい一日、ご奉公でした。
歴史を大切に振り返り、僕たちも誰かの思い出や歴史になっていく。中途半端なことはできません。
ありがとうございます。



















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