ジャン=ポール・サルトルから「二〇世紀で最も完璧な人間」と称され、大好きなジョン・レノンが「世界で一番かっこいい男」と言ったのがチェ・ゲバラ(通称)。フィデル・カストロは「子供たちにどんな人間になって欲しいかといわれれば、私はゲバラのような人間にと答える」と言っている。
チェ・ゲバラはキューバ革命の英雄だが、地位や名声に見向きもしなかった。アフリカや中南米を転戦し、医師として貧しい人々を診察しながら、虐げられ、苦しむ人々のために戦った。一九六七年十月九日、ボリビアで捕らえられ、処刑された。三十九才だった。
信念を貫く彼の生き様は、主義や思想の壁を越え、世界中の若者の心を捉えている。人間的な魅力、彼の純粋さ、彼の無欲さ。彼は、人間の可能性を実証してくれた。名もなき若者は、世界を変えた。か弱い人間の憧れの存在となった。
日本には彼を超える英雄、坂本龍馬がいる。時代も思想も違うが、幕末の革命家として名もなき若者が世界を変えたことには違いない。人間的な魅力、純粋さ、無欲さは日本人の多くを魅了してやまない。
本年、幕末の志士・坂本龍馬の人生を描いた「龍馬伝」がNHKの大河ドラマとして放送される。今年は全国で龍馬人気に便乗したキャンペーンが展開されるだろう。高知も京都も長崎も、龍馬ツアーで賑わうことになる。
坂本龍馬。子供の頃は、泣き虫、はなたれ、寝小便。十一才までは落ちこぼれ。十二才で最愛の母を失う。剣術に没頭し、江戸に修行して多くの若者と交流する中で、目覚ましい成長を遂げる。激動の時代、彼は脱藩して志士となり、東奔西走して薩長同盟、大政奉還という偉業に貢献する人物となる。残念ながら、龍馬もまた三十三才の若さで非業の死を遂げた。
龍馬の生き様や精神性、魅力は、伝説も含めて圧倒的多数の日本人が支持している。今回のドラマで女性ファンも多く生まれることだろう。
高知で生まれた郷士の次男坊が国を変えると志を立てて、実際に大業を成し遂げた。そんな青年の青春に感動を覚えない者はいない。
しかし、「龍馬ファン」は多く、商売の道具のように彼の名を使うことはあっても、彼の真意に迫る者や機会は少ない。きっとドラマでも紹介されないであろう彼の真意を探り、憧れているなら憧れているだけの生き方を知り、実践していただきたいと思う。
坂本龍馬は、生涯を通じて三冊の本を海援隊から出版している。ユニークな一四〇通余りの龍馬の書簡は紹介されることが多いが、推敲を重ね、正式に世に出された三部作、「藩論」「和英通韻以呂波便覧」「閑愁録」が紹介される機会がない。極めて残念なことだ。
中でも、「閑愁録」は龍馬存命中の慶応三年五月、書記の長岡謙吉に執筆させたもので、開国をし、西欧の文物が流入してくる中で、日本人の「心」が崩壊するのではないかと危機感を表明している。キリスト教などに「狐惑」されてはならぬ、そのためには、「仏教」こそ立ち上がらなければならない、再生しなければならない、僧侶よ、何をしているのだ、と述べている。
坂本龍馬は、極めて篤い仏教徒だった。この閑愁録には、
「佛法は國家を保護する大活法」
「独り佛法は無辺の鳥獣草木に到るまで済度すべし、何ぞ況や有縁の衆生に於てをや」
「故に、佛法は天竺の佛法とのみ言うべからず。乃(すなわ)ち皇国の佛法なり」と明記されている。
そこまで述べてから龍馬は幕末日本の仏教界、坊主の堕落を糾弾して、悲憤している。その結びは、
「皇道の衰運に係る是れ実に誰が罪ぞや。是れ実に誰が罪ぞや。此に卑見を録して明識・高徳の指示を待つ。希くは天下満霊の為に、慈悲の法教を垂れよ」
である。坂本龍馬、そして海援隊は、世の宗教者、僧侶たちに公開質問状を叩きつけ、覚醒を促した。しかし、これに応えた僧はなく、閑愁録もいつしか忘れ去られた。
日扇聖人全集の第三巻五一頁と第一六巻一三二頁に「閑愁録」を読み、その文を引用され、所感を述べておられる。しかも、閑愁録の論旨がお祖師さまの立正安国論と符合していると賛辞を送られているのである。
「天下の乱れは、佛法の乱れより起こるの説、宗祖の安国論の御説に合す」扇全三巻五六頁
恐ろしいまでの符号。坂本龍馬とお祖師さま・立正安国論までが符合し、開導聖人・本門佛立宗と坂本龍馬は、特別の御縁を有する。これは歴史的な事実であり、他の宗教者は誰も見向きもしなかった坂本龍馬と本門佛立宗・開導聖人との御縁なのである。
天下の乱れ、世の中の混乱は、仏の法の乱れから起こっていると龍馬は言った。それはお祖師さまが立正安国論で説かれた「正しい佛法を信仰しない限り、あなたが抱えている問題も、世の中にある問題も解決しない、この世に平穏な日々が訪れることはない」との教えと同じこと。そこに、龍馬は気づいているではないか、と開導聖人はお示しなのである。龍馬が好きならこれは知らねばならない。
いま、時代が龍馬を求めているという。混乱と不安、新しい時代の幕開けに当たっては当然である。 しかし、龍馬が求めたのは真実の佛法であり、堕落した僧侶らの覚醒であり、日本人が正しい信仰を取り戻すことだった。単に青春の群像、若者のヒーローではない。
私たちは、本門佛立宗の僧侶や信徒として、これを誇りに思い、堕落した僧侶や生半可な信徒など許されないことを知るべきである。動乱の幕末、龍馬の公開質問状に応えた本門佛立宗の、開導聖人の弟子であり信者であることを忘れてはならないのである。
幸福の科学の大川隆法が龍馬の「霊言」と称して本を書いている。愚かの極みだ。精神に病を抱えた教祖が龍馬を語るなど、龍馬自身が聞いたら呆れて激怒するだろう。それを読む者こそ「狐惑」されている。龍馬が糾弾した葬式仏教に甘んじている者も龍馬を知らない。キリスト教の教会で結婚式を挙げ、単に西欧にかぶれて、正しい仏教への正しい信仰を持つことなく、その実践もしない者など、龍馬が認めるはずがない。
坂本龍馬に憧れる者はいても、彼の本心を知る者は少ない。本門佛立宗の信徒だけが、命を懸けた彼の本懐に応えられる。
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