2008年2月5日火曜日

本当の『お助行』

 長松寺での御総講に、一志(ひとし)くんがお参詣してくれた。大変な肝臓手術からを経ての『御礼参詣』。

 考えてみると、一志くんの肝臓に腫瘍があると聞いたのが12月31日。相馬病院から京都大学病院に転送され、検査の結果、そこで悪性の可能性が高いと担当医から伝えられた。

 1月4日。長松寺の御総講にお母さんとお兄ちゃんがお参詣され、お母さんは「助けてください!」という嘆願のようなご披露があり、そのままお助行が始まった。

 そして、手術当日。7時間以上となった手術の間中、一志くんのためにお助行が各地で行われていた。まさに、こうした動きも、お助行のネットワーク、輪も、山崎先生が提唱してくれている「Chant globally, Act locally」を象徴している。

 その手術では、結果として肝臓を半分摘出、腫瘍を含めてソフトボール大のものを摘出したという。驚くべき事に、その腫瘍には『膜』のようなもので包まれていたという。このお話は、長松寺でイタリアのダニエレ・良誓師とティッツィアーノ氏からお聞きしたお母さまの癌の手術と体験談と酷似している。ご信者さんでもないイタリアの医師は、それを『まるで、何者かが手で握って転移を止めているようだ』と表現したという。何と有難いことだろう。

 さらに驚くべきことに、病理検査の結果、その腫瘍は血腫と膿によるもので、悪性の細胞は発見されなかったという。本人はもちろん、ご家族にとっては何より有難い現証の御利益となった。お助行に参加した人は、現証の御利益の証人となる。証人となれたのである。

 ただ、実はこの騒ぎというか入院・手術を通じて大がかりな検査が行われたのだが、そこで一志くんの甲状腺に腫瘍が見つかった。そして、その腫瘍の病理検査を行った結果、そちらの結果は良くなかった。つまり、悪い状態の病気が発見されたと言うこと。残念なことだし、ホッとする間もないのかと思ってしまうが、逆に肝臓の病気があったからこそ悪い病気が放置されずに発見できたのだから、猶一層、御法さまにお縋りすべきだと思う。油断は禁物なのだ。

 そして、長松寺の御総講。御法門の前に一志くんが前に立った。お参詣者の皆さまに、本人からの御礼のご披露とお母さまからの御礼と詳細な経過の説明、新しい甲状腺の病気と治療について継続してお助行していただきたいとのお願いがご披露された。

 御総講終了後、そのままお助行をさせていただいた。「一志くん、こっちにおいで」と言い、導師座のおしとねを外して、私の前に座るように言った。「同じように、ご家族も来てください」とお伝えした。

 本来の仏教、本門佛立宗の教えで大切なことは、単なる「祈り」「祈祷」で世界を結ぶということだけではなく、何事も『本人』がカルマを変える『修行』をしなければならないということだ。つまり、『他の人のために祈る』ということは大切なのだが、それ以上に『本人の行動を変えさせる』『本人に御仏の教えを実践させる』『本人に御題目をお唱えさせて、悪いカルマを変え、悪い縁を良い縁に変える』ということを促すのが大切なのである。

 だから、『助行(お助行)』なのであって、それはあくまでも『正行』を「助ける」ために「行う」のである。今回、一志くんが退院をし、こうしてお参詣をして、ご披露までしてくれた。次のオペに向けたお助行のお願いもしてくれた。だとしたら、私たちに出来ることは「彼の正行(ご信心、御題目口唱)」を「助ける」という本来の『お助行』が出来る。「いいかい、一志くん。お助行をするからね。つまり、お前がしっかりと御題目をお唱えして、ご利益がいただけるようにするということだぞ。そのために、みんなが今から御題目をお唱えするからな」と伝えた。

 私が後ろに座り、御題目をお唱えする。18才という若さで、あれだけの大手術を終え、これからも大変な手術を控えている。どれだけ不安だろう。いろいろなことが頭に去来して仕方なかったが、それも含めて御題目にお縋りするしかない。御題目のバイブレーションが、彼の身体を突き抜けるように、彼の背中を押してくださるように、お唱えし続けた。

 多くの方々が御総講に引き続いてお助行に参加してくださった。本当の『お助行』、本来の『お助行』をしてくださって、本当に有難かった。

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幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...