2008年11月26日水曜日

M先生の体験談!!!

 Y先生の奥さまはM先生。「先生」とはM先生の場合は「ドクター」という意味で、内科医の先生なのである。この不健康な私が海外出張の際などは、先生として色々とご配慮いただいている。どうしようもなくなった時には点滴を打っていただいたこともあった(先週もインフルエンザの注射をしていただきました。ありがとうございます)。
 M先生が韓国の団参の方々が来られた際、韓日交流会で、ご自分の信行体験をお話ししてくださった。もう、感激、感謝。ありがたい。
 だってね、文中にもありますが、M先生、怖かったんですから。Y先生の奥さまです。Y先生ご自身は私も気軽にイジワルしたりできるキャラクターで、先日のスリランカでもとびっきり面白いおみやげを買ってきて、お渡ししたほどなのですが、数年前のY先生の奥さま、M先生ったら、心を開いてくれることもなく、「トホホ」と感じていたほど。
 でも、忘れもしない。1年前かな?12月に東京駅から二人で電車に乗った。ドア近くのイスに座って、横浜まで帰ってきた。東京駅でご奉公があり、そのご奉公も有難かったのだが、それ以上にM先生と一緒に電車に乗って帰ってきたということが、僕にとっては、その会話、雰囲気、すべてが新鮮で、温かかった。今でも忘れられない。あんな時間を過ごすことも滅多にないからかな。
 そのM先生は、もともと感受性が強く、それだけではなく宗教的感性を持っておられたと私は勝手に思っているのだが、ご信心に前向きに取り組まれるようになり、すぐにご信心の妙味を感得された。真髄を掴んだと言わせていただいてもいいと思うが、いろいろなことを通じて現証の御利益、サインを感得されることも多く、すでに三人の方をお教化され、本当のご信心を実践されている。
 今回、ここにM先生のスピーチも、許可をいただいて載せさせていただく。是非是非、読んでいただきたい。絶対に、読み終わったら、ご信心が前に進むに違いない。ご信心をいただくまでのプロセス、素直な声と、ご信心の進む時の気持ちの変化、本当にありがたい御利益の感得がある。ありがたい。
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1 はじめに
 私は実家は曹洞宗(禅宗系)ですが、嫁いだ家が本門佛立宗ということで、最初のうちは主人に連れられてという感じでお寺に参詣しておりました。心の底からの信心という感じでは、正直いって、ございませんでした。どちらかといいますと、途中から「お題目が何よ。そんなに信心って大事なの?」というくらいの勢いで、疑問をもっておりました。今思い出すと、お恥ずかしい話ですが、懐中ご本尊は洗濯機で洗ってしまい、柔軟剤までして、さらには天日干しまでしてしまいました。
 御住職には、「ご信心する意味が分からない。なんか、いいことがあるんですか」などと暴言を吐き、もう最悪の状態でした。そのような暴言に対しても、御住職は「いろんな意見が聞けて有り難い」との暖かいお返事をしてくださいました。「何なの?」と思いつつも、忘れもしない去年(2007年)の除夜法要です。これはお寺の年越し祈願のことで、大晦日の真夜中をはさんで奉修されます。これに参詣させていただいて、なんだか不思議に心中のもやもやが消え、本堂ですっと体が軽くなり、何かに包まれていく体感をいたしました。本当に何か解らないものが降りてきた感じでした。
 それからは、ご信心を有り難いと感じるようになりました。
2 職場で
 私の職場は病院なんですが、医療現場は、下種そのものが難しい環境ではあります。とにかく、看護師さん、薬剤師さんなど同僚に、「お寺って良いよ」と、声をかけています。以前の私は「瞬間湯沸かし器」の如く、気が短くイライラすることも多くあったんですが、今では嫌なことでも有り難いと言って乗り切っるように、心がけています。昔の自分が恥ずかしくてなりません。まあ時には「湯沸かし器」が爆発しそうにはなりますが。
 毎日のように「朝参詣良いよ」とか、「お題目最高!」なんて言っていると、こっそり「お寺行きたいんだけど」なんて、職場で声をかけらるようになりまして、3人お教化させていただくことが出来ました。おそらく除夜法要の後、1ヶ月間の寒参詣を頑張ったから御利益いただけたんだなあと、本当に「御法様有り難うございます」という思いで一杯です。
 3ブラジルへ渡って
 私たち家族は、今年の3月下旬から約4ヶ月間、ブラジルのクリチバというところで、主人の仕事の都合でしたが、生活いたしました。住むところが決まるまではホテル暮らし、そして慣れない環境と言葉の壁に日々悩み、いろんな経験をいたしました。子どもも、しばらくしてから幼稚園に通うことになりました。おむつが取れる少し前でしたので、トイレ探しや些細なことで、泣きたくなることも正直ありました。でも、だからこそ、心強かったのはご信心があるということです。
 ホテルにチェックインするとすぐに、日本の阿部信仰師からお借りした御厨子に懐中御本尊を収め、枕元のテーブルに御本尊を奉安させていただきました。ささやかですがお花もおいて。驚いたのは、花がかなり長く持ち、枯れたり痛んだりしないのですが、それは気候と花の種類によるのでしょう。そして、心配ごとや怪我をしたときは、とくに家族で御宝前にむかって、祈願言上させていただきました。そのかいあって、大きなトラブルもなく、過ごすことが出来ました。
 ところで、滞在中のわたしのポルトガル語の先生が、生年月日が完全一致の方で、穏やかな優しい女性です。名前がベレニス・マハーナというのですが、マハーナはマハヤナに近く響き、「マハヤナ」はご存知のように「大乗仏教」という意味です。有り難いご縁です。とにかく彼女にも声おかけようと、たどたどしいポルトガル語なのでどこまで伝わるかはわからないけどけれど、クリチバのお寺に誘ってみました。一度だけですが、お寺にも来ていただくことができ、またコレイヤ御住職の書かれた本も、興味があるから読んでみるとのお返事をいただけました。
4 寺内に移り住んで
 ある日、クリチバのコレイア御住職から、「お寺の裏にあるお部屋が一つ空いているので、もし良かったら、住んでください」と、お声をかけていただきました。主人と驚きながらも、また御利益だねと喜び、お言葉に甘えさせていただきました。お寺のお部屋には、ご住職のお父さんがお戒壇を置く棚を作ってくださったりと、もう有り難いことばかりでした。このころから、とくに子どももお戒壇に向かって手を合わせて大きな声でお題目、無始已来…をお唱えするようになりました。たまにすすんで御導師をしていました。本人なりには一生懸命でしたが、幼児なのでかっこよくできませんから、なんだか微笑ましく思えました。
 ところで、ブラジルの生活では、もちろん我が家は車はなく、移動手段はバスとタクシーでした。そのことで主人はかなりスリムになり、日々いかに運動不足かということです。まあ、私は恥ずかしいですが、ブラジル料理がことのほか大好きで、見てのとおり変りませんでした。
5 長男(4歳児)の下種活動
 話が前後しますが、一ヶ月くらいしてからだったと思うのですが、長男がタクシーの中で、何を思ったか、いきなり日本語の分からない運転手さんに、顔をのぞき込むようにしながら、お題目を唱え始めたのです。気分が乗ると、「無始已来…」を最後まで唱えておりました。運転手さんも、キョトンとしながら、耳を傾けてくれます。タクシーのミラーの所にキリストの十字架があるにもかかわらず、お寺までの車中、お題目を唱え続ける子どもを嫌がらず、ニコニコして聞いてくれました。なんて有り難い。そうして最後に「いかしてるぜ」というときにブラジル人が親指を立てるポーズをしてくれることさえありました。ポルトガルの出来ない子どもでも――子どもだからかもしれませんが――、お題目をコミュニケーションの一つにしてしまうことが出来るんだなあ、こういうつながりもあるんだなあと、感じました。
 コレイア御住職と飛行機でお助行も行かせていただけました。声をかけていただき、本当に温かく接するお人柄に、言葉では言い表せないほど感謝しています。ただ子どもに対しては、親ながら、タクシーでの必死な感じの下種には「何でそこまで頑張るの?」という疑念をもっておりました。コレイアご住職に、子どものタクシー内でのことをお話しすると、「これも下種になるよ」とのことでした。
6 おはからいをいただく
 そのことに大きな意味があったということを、のちに思い知らされました。クリチバのお寺では、年3回から4回の大きなフェスタ(すき焼きフェスタ・魚料理のフェスタなど)を開きます。われわれ婦人会が中心となり、前の日から200人分くらいの分量の料理の仕込みをします。当日も、朝から料理を作り、男性は食卓テーブルなど食事場所の準備をします。ご近所や信者さんやお友達に、日本円だとおよそ1000円から1500円くらいのチケットを買っていただいて、お寺にお誘いします。そして手作りの料理をいただき、ビンゴ・ゲームもします。
 ある時、すき焼きフェスタの時の仕込みの時だったと思います。ブラジル人はとにかく陽気でワイワイおしゃべりしながら料理を作るのですが、いろんな人の声が飛び交う中、私がかなり刃先の鋭い包丁をもって、野菜を切っていました。長男は、退屈して、てっきりお兄ちゃんたちと遊んでいると思っていました。そのときのことです。「ママ!」と私を呼ぶ声がしました。私の気がゆるんでいたせいかもしれませんが、とっさに振り返ったとき、手に持った包丁の先に、丁度長男の眼が!私は「しまった!」と思いました。手に何かが刺さった感触がありました。と同時に、子どもは顔を押さえ、痛い痛いとうずくまってしまいました。着ていた洋服が赤い色だったので、血なのか服の色なのか、判断がつきません。私は血の気が引きました。私は混乱して泣きながら、子どもの頭をなでて、おそるおそる手をどけ、顔をのぞき込みました。目頭からほんの2~3ミリ離れたところが、少し切れているだけでした。
 私は涙が止まらず、包丁の先が当たったのが眼でなくて良かったと、「ごめんね」と抱きしめてしまいました。その直後、妙なのですが、いつの間にかコレイヤご住職がいらして、優しく「日々のお題目とお助行頑張ったからだよ。今までの貯金、全部使っちゃったね、これからも頑張ろうね」と、長男の頭をなで、だっこしてくださいました。本当に、このことがあることが解っていたかのような、タクシーや家でのお看経でした。偶然ではなく、この子にとって、今までのことは必然だったのだなあと、心の底から思い、ご信心のありがたさを親として身につまされる思いで、経験いたしました。目頭の傷は、今では完全に消えました。どんなときでも、どこに行っても、相手が仏教徒でなくても、ご信心を伝えることは大切なんだと思いました。
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 このような言葉を語ってくれるM先生。本当に、ありがたい。ナガマツ家は家族そろってM先生には感謝していて、妙深寺の尊い90才の尼僧・妙清師の看護や治療についてもM先生にご相談するようになった。本当に、ありがたいのだ。
 もちろん、M先生だけではなく、M先生と同じ世代の方々が、お互いに励まし合いながら、ご信心に悦びを感じてくださっている。全員、ご紹介したーい(涙)!今度、シリーズで、させてもらおうかな(汗)。
 M先生、ありがとう!

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