どうしてイスラエルに向かったかといえば、同時多発テロ後の世界で明らかになったように、世界に巨大な影響力を持ち続ける宗教の本質を知りたいと思ったからである。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であるエルサレムに行き、それらの宗教を育んだ空気、信仰する人々、教えを肌で感じようとしたからであった。
とにかく、当時「渡航禁止勧告」の出ていたイスラエルに行くしかないと思っていた。寺院を預かる住職としては間違っていたかも知れない。しかし、テロや紛争が激化しつつあり、「文明の衝突」を掲げて宗教対立が煽られていた9.11後の世界にあって、仏教徒が感じるべき矛盾は何かを知りたかった。
テルアビブの空港で、飛行機のタラップから降りると、私一人が止められた。「何しに来た」というわけである。その場で名刺を取り出し、さまざまな言い訳をしながら入国許可をしてくれるように依頼した。既に乗客を乗せたバスは出ていた。別の車で入国管理のデスクに行き、また同じ質問。どうなることか、さすがに心配だった。入国できるのか、できないか。必死に説明して、ようやく入国を許可していただいた。しかし、若い兵士たちの緊張感が伝わり、それを察知して私の肌に鳥肌が立った。
次の日の朝、緊張して朝早く目が覚めた。今でも、その時、バルコニーを開けて、夜明けのエルサレム旧市街を撮影しながら自分でレポートしている映像が残っている。朝食を食べて、旧市街に入り、ダビデの塔から塀の上を歩き、オリーブ山を見下ろした。アル・アクサー寺院が見えて、嘆きの壁に肉薄した。そして、その後、イエスが磔刑にかけられたゴルゴダの丘の跡に作られたという、聖墳墓教会へと向かい、中に入った。

教会の入り口から右の上がゴルゴダの丘とされている段であり、イエスの祭壇、向かって右側にマリアの像があった。入り口の正面にはイエスが横たえられたという石版があり、左の奥にイエスの墓がある。その内部は大理石で出来ているのだが、数え切れないほどの人によって踏み、削られ、小さな鉢のように反っていた。墳墓の入り口に立つ管理者(どちらの教会派か、権限を持つ人なのかも分からないが)に許可をもらって内部の写真も撮影させていただいたが、今回は掲載しないでおく。
明日、明後日と、高祖会。「立正安国」をテーマとさせていただいて奉修させていただくが、今という時代だからこそ、1つの聖書から生まれたユダヤ教、キリスト教、イスラム教ではなく、仏教。その仏教の中でも、お祖師さまが立正安国論で判じられたように、御仏の御本意を説かれた法華経の教え、上行所伝の御題目を立てて、世界の平和・安定を確立したい。
1 件のコメント:
最近西欧という一地方の歴史があまりに大きく見えていたことに気が付きました。1-3世紀、ガンダーラではギリシャ人によりアポロ像から仏陀像が造られ、仏陀像の下にはアトラスが天を持ち上げ、仏陀の脇にはヘラクレスが居る。ヘラクレスは仁王となって、エロスは愛染明王となり日本にまで既に飛鳥時代に来ていたことです。ゲルマン族はギリシャなど何も知らない時代です。気が付けばギリシャ文化はその辺の何処にでもあるようです。全て共存の日本、ギリシャのおかげでしょうか。
コメントを投稿