2008年11月25日火曜日

Y先生の体験談!!

 昨日、勤労感謝の日の振り替え休日となった月曜日、神奈川布教区の婦人会やファミリー会が中心となって、『女性の集い』が開催された。世相もあり、家族の絆を考えるというテーマを設けて企画され、ご奉公が進められてきた。本当に、こうした行事を企画し、実行できることが有難い。
 その中で、我らが先生が体験談の発表をされた。もう、これが聞きたくて聞きたくて、私はウズウズしながらカメラを構えて待っていた。もう、原稿の段階で爆笑してしまっていたので(いや、細かく入るギャグが面白くて。内容には感動したんです)、どうしても聞きたかったのだ。
 しかし、時間の関係で、先生はドッと内容を割愛してお話ししておられた。しかも、「あー、あ、あ、うー」と大平元首相のような独特のテンポで、聴く者を引きずりこもうとし(いや、逆に引くけど)、時間がなくなってゆく。残念!と思ったので、ここに原稿を載せさせていただいて、誰にとっても、とても為になる信行体験談をお読みいただきたい。ちょっと長いけど、読み終わったら、あなたのご信心が増進していることは間違いなし。目から鱗が落ちるかも。
=====================
1 妙深寺でご信心をはじめて
 ありがとうございます。本日はこのような機会を与えていただきまして、心よりお礼申し上げます。
 さて、私がご信心を始めたのは2005年でした。青年期以降、30年近く、ご信心はしておりませんでした。中学生の、だんだん生意気になっていくころ、佛立宗の表面・表層だけをみて、誤解してのことですが、嫌になってしまって、完全否定へと走りました。
 佛立宗の御信心のあり様は各家によって微妙に異なるでしょうが、うちの大阪の実家では「あれだめ、これだめ」というのだけが、妙に記憶に残ってしまったのでした。ご宝前にあしをむけては駄目とか、神社にいっては駄目とか。親はいつも「駄目、駄目」とばかりいっているわけではありません。しかし、なぜかそれだけが佛立宗だと勘違いしてしまって、それでおもしろくなくなって、やめてしまったわけです。作法は大事だし、ご宝前への正しいお給仕はすごい大事だと今でこそおもいますが、初心の、とくに斜(しゃ)にかまえた現代青年に、いきなりこれをつきつけると、嫌になってしまうのではないでしょうか。わたしは、嫌になりました。
 誤解無きよう申しますが、両親がそれほど謗法で私を叱っていたわけではないし、大阪のお寺も、そんな減点主義の指導をされていたわけではなく、今新しいHPを拝見させていただいてもわかりますが、楽しい活動をたくさん展開されておられます。なぜか「くんげ会」「青年会」の楽しい活動には参加しないまま、わたしの頭が勝手にマイナスの印象で固まってしまいました。
 3年前から、妙深寺に参詣させていただくようになりました。そこで、ひろしさん(このブログでは「ひろし君」と書いている)が、同時期にご信心を始めておられました。これは信心開始の、大きな要因です。同時期というか、わたしよりちょっと早かったと思いますが、グランデ・ファミリア(2006年5月)のお手伝いのご奉公が転機となって、ひろしさんは一気に御信心を強められたようです。それで、佛立宗の従来のイメージがぶっとびました。
 なんといっても、ひろしさんは、かっとんでおられます。言葉も悪い(当初は)。「わたしは、どんどん商売を発展させて、億単位でお布施を寺にぶちこむぞー!」と。「ぶちこむ」「ぶちこむと」と、何度もおっしゃるものだから、やがてご住職も「あのね、<ぶちこむ>じゃない。<奉納させていただく>とか、ほかに適切な表現があるよ。それに、<寺>じゃなく、<お>寺!<御>をつけましょう、たのむから」と、お折伏というか、半ばあきれておられました。
 あまり細かい注意はされません。おおらかで、細かい作法より、まずは気持ちが最優先です。人助けをしたいという熱い気持ちを最優先に、われわれ「不良青年」をご教導されたと思います。むろん、作法も大事です。
 小泉さんも、ここでネタにつかって申し訳ないのですが、最近は言葉も、上品な言葉にかわってこられました。今では、「将来もうかったら、たっぷり寺にぶちこませていただきます」と、<いただきます>が、つきます。わたしも、作法はできてません。はたから見ていて、不十分なことが多いと思いますし。
 「御講附け」は、お新香など御講のときのご供養でいただく漬け物のように聞こえるし、いったい何だろうかと長らく疑問でした。佛立宗の御講のときって、必ず漬け物がでるように、思っていたのです。
 憲史さん(このブログでは「憲史くん」)という、小泉さんの会社の、有能で新進気鋭の若手社員がおられます。「わたしはグズグズしていて、駄目社員だから、お寺で弘通部、つまり<グズの部>の配属になった(涙)」と、ある日しょげておられました。佛立宗、言葉が難しい。
 「先生、団参(だんさん)いきませんか」と、誘われた時がありましたが、「わたしは、まだ若いです。旦那さんじゃないです(汗)」と、これは笑いとるためにつくったネタで、さすがにそこまでボケませんでしたが、「ダンサン」って何のことか、すぐに漢字が浮かびません。
 とにかく、困った人を助けるには、佛立宗が一番いいのですが、その熱い気持ちが一番大事です。細かい作法も大事なのですが、われわれ20代~40代の初心の段階で最優先すべきは、作法より気持ちではないでしょうか。映画制作会社の社長で、ハリウッド映画もつくられ、米国にブラジルにイタリアにと、世界中をビジネスでとびまわって超多忙のなか、ひろしさんは睡眠時間をけずって1年間で3回も百本祈願を成就され、お教化をあっという間に60人もされ、また育成にもがんばっておられます。
 彼と、「あれが謗法だとか、これが謗法だ」とか、そんな話をしたことがありません。「とにかく動いてるものがあれば、みなお寺に連れてくる!」、その意気込みあるのみです。どうやって佛立宗を弘めて、人助けをしようか。そればかり考えておられます。本庁の上層部の会議で、「あの、マンネリポスターは、なんですか」と批判されたり、さすがにひろしさんを本庁へ紹介された長松ご住職も、「場所をわきまえて」と、一瞬冷や汗をかかれたようですが、ひろしさんのすごいところは、口先だけでなく行動されるところで、ちゃんと映画界やTV界の映像やデザインのプロを紹介されて、おしゃれなポスターをつくるというご奉公を成就されています。
 お寺にかぎらず、日本社会では「出る杭は打たれる」がありますが、「(ご弘通にプラスになることであれば、つまり困った人を助けるためであれば)、出過ぎた杭は打たれない」。どんどん、「出る杭」になればいいと、教わりました。ただし、お題目を通じての人助けの話に限ってのことです。
 ブラジルのクリチバの如蓮寺で、炊き出しのご奉公でスキヤキをつくってました。どうも、砂糖をいれすぎた。ブラジル人は塩味が好きで(岩塩が主)、甘いスキヤキは苦手。こういうときに、「出る杭」には、なりません。わたしはさっと引きました。「郷にいれば郷に従え」――ブラジル風の味付けに、すぐにしたがいました。
 ご奉公では多くの場面で「調和と協調」が大事だと思いますが、ご弘通のご奉公という点では、まだお寺にきて3年の若輩ですが、出まくってます。浅知恵のアホな人間ですが、その話をきいてわずかでも信心増進に励みになるようでしたら、どこへでも行かせていただいてます。大阪の親は、慎重なタイプなんで、「ご信心の篤い諸先輩が多いなか、若輩が人前にでるな」と、わたしの動きを小耳にはさんで、「やめとき」です。冷や冷やでみているようです。わたしは同年代とか、わたしと同じ入信3年くらいの人をはげまし、また互いにはげましあおうという気持ちで、お引き受けしてます。
 いずれにせよ、佛立宗はこんなに明るい、積極的な活動の場だったののかと、感心しました。もっと早くから、大阪のお寺でもいろいろ活動をさせていただいておれば、よかったと思います。
2 海外弘通に参加させていただいて:
 第2に、まだ日本の佛立宗がよくわからないうちに、どんどん「海外に行け!」といわれて、海外に出ました。また、ご住職のブログにも、海外の様子がたくさん写真入りで出ております。イタリア、スリランカ、ブラジル…。
 わたしは、インドにまずいかせていただきました。まずはダライ・ラマ14世とのセッションです。昔風にいえば、大謗法ですが、ついにダライ・ラマさんにまで下種いたしました。ダライ・ラマさんも、数千人の前で、わたしたちと一緒に「南無妙法蓮華経」とお唱えになったわけです。
 わたしは、いま、ローマ法王の正法帰入を祈願しようと思っています。打算や計算ではありません。キリスト教のトップをお教化したら、芋づる式にたくさんの人を一度に改宗できるのではないかというような、計算ではありません。彼を救ってあげたいからです。まちがった教えのトップになってしまった人です。最悪の人生じゃないでしょうか。現世ではたとえ無理でも、来世で正しい教えに生まれるよう、祈ってあげたいと思います。
 さて、海外弘通部長を拝命しまして、ブラジル国に4ヶ月間住みました。この経験も強烈でした。ブラジルは広く、ちょっとした移動も100kmです。100km離れた村で佛立宗のご信者さんのお葬式がありました。しかし、カトリックの国ですから、葬儀場もカトリック方式で、十字架が固定されており、その前に棺桶が安置されており、その近く御本尊をおかけして、お看経をさせていただきました。何が謗法かを丸暗記しているようでは、海外でご弘通はできません。
 コレイア御導師に、「先生、この御本尊の延長に十字架がみえるように御本尊を配置しましたから、御本尊のむこうに十字架すけてみえていると思いこんでください。雑乱勧請(ぞうらんかんじょう)ではないと考え、すべての神が御本尊の中にはいっていると考えてください。そのように御本尊を拝見しながら、お看経してください」ということでした。
 勧請様式についての生半可な理解では海外弘通はできないと思いました。正しい教学と、佛立宗こそがあらゆる宗派に勝るのだという強い確信が必要です。あれは駄目とか、これは駄目といった知識より、「佛立宗がベストだ」という、強い気持ちが最優先です。「強い気持ち」は、「自然な確信」とイコールです。無理して信じているのでは、いつか反動がきます。「自然な確信」こそ「強い確信」です。別に、わたしは無理してません。佛立宗が世界一というのは、1+2=3と同じで、どっちかというと、信じる必要すらない、当然のことで、ごくごく自然な確信です。
 お葬式もそうですが、とにかく、ブラジルでは謗法ものの中で生きるわけです。ちょっと歩けば、教会のある広場(プラザ)です。やっぱりカトリックもいいかなとか、そういうフラフラした気持ちでは、ブラジルでご弘通はできません。コレイア御導師はTVで、司会者に聞かれました:「仏教では悪魔をどう理解しますか?」。コレイア御導師は「悪魔は、お教化の対象です」と即答されたそうです。『妙深寺報』(8月号)で、そのお話(ご法門)の全文が掲載されています。これにはまいりました。
3 父親として
 第3ですけど、父親としては、長男に佛立宗のよさを伝える努力をしています。0歳のころから、とにかくお寺に連れてきています。いまやっと4歳です。作法については、4歳児ですから、やかましいことを言わないようにしています。彼はいつも、ご宝前にあしを向けて寝るんです。昼間は、ボールを投げて、たまに球がご宝前に飛んでいきます。ご宝前にボールが当たるのはやばいと感じているようで、頭をちょこんと下げて、謝っています。でも、あしは、きっちりご宝前に向けて寝るんです。
 一応、ご不敬だよとは指摘しますが、執拗にはいいません。まだ4歳です。あれは駄目、これは駄目では、お寺が嫌になるでしょう。むしろ、いいことをすすめています。ご祈願がわかるようなので、なにか心配事があるときは、ご宝前で御祈願をさせますと、よろこんでしています。かれから、「おとうさん、明日遠足だから、天気がよくなるようにご法様にたのんでくれ」と、わたしに依頼してきます。それと、その結果をかならず、後日忘れないうちに、彼に話します。「昨晩ご祈願したから、いいことあっただろ。あれはご祈願のおかげやで」と。本人も、感得してくれます。とにかく、否定文、つまり「あれするな」「これはだめ」は、いわないようにしてます。ご宝前に足向けて寝てますが、いいんです(ねいってしまえば、わたしのほうで、向きを逆さに変えてます)。
 お看経は、帰宅も遅いし、夜中の2時、3時からが多いのですが、しかし可能な日は本人が起きている、夕食後の8時台にお看経をいただいています。本人がみている前で、夫婦でお看経をさせていただくよう、努力しています。むろん、できれば本人も一緒に。でも、疲れてか、一緒のお看経を嫌がるときは、強要せず、われわれをみているだけでOKです。親が、できれば両親がそろって信行をしている姿を本人に見せることが、大事だと思います。佛立宗は、ご信心が目に見えるので、そこが実にすばらしい。目に見える行為は、子どもにみせるように心がけております。佛立宗は、見えるので、本来は子どもに伝えやすいのではないでしょうか。
 ときどき御導師役をしたがりますので、してもらっています。お水を持ってこい、参詣者リスト(参詣者名を言上するため)を持ってこい、とんとんと叩くやつ(拍子木じゃなくて木琴のことだが、まだ名称を知らない)を持ってこい、最後起立して「宗歌をうたえ!」などと、うるさい。フルセットさせられます。歌など、時間がないときには困るのですが、うちに限らず一般に子どもはよく御導師を観察しますよね。みなさんのお子様も御導師の癖まで真似ておられませんか?小学校に行く前に、妙講一座で、漢字を読むという行為のまねごとができるので、まさに寺小屋。教育にもなり、ありがたいです。
4 夫として
 第4に、夫としてです。結婚は1998年。当時は私も家内も無信心で、ただ懐中御本尊(本来「お守り」ではない)だけを神社の「お守り」感覚で護持させていただいてました。親に押しつけられたようなものです。家内にも護持させてました。もともと家内のほうが感受性が強く、家内から「これ、すごい効果ある」と言い出したのです。そういうことが積み重なり、長男誕生時の初参りが直接のきっかけとなって、ご信心を始めました。
 もともとは家内のほうが感受性が強いのですが、佛立宗のご信心、お看経の信行をはじめたのは私です。仏道は、感受性だけではないわけで、口唱業という修行、お寺参詣、ご法門の聴聞が大事です。それを家内にもして欲しいと思いました。同じ方向を向きたいですし、家で一緒に二人でお看経をいただいたほうが、御利益のパワーも違います。しかし、しばらくは私一人だけが信行をはじめ、家内はみているだけでした。お寺参詣は一緒にきてくれますし、くんげ会も参加してますが、『妙深寺報』をよむわけでなく、口唱業にも励みません。佛立宗はいいと評価してくれますが、信行を始めません。
 私は家内の「信心増進」を1年以上毎日ご祈願しつづけました。わたしのご祈願だけでなく、お寺の同年代の女性信者さんとの交流もあって(彼女らが家内を励まし、奨引してくださって)、家内も理解もすすみ、お寺参詣、ご法門聴聞、『妙深寺報』の拝読、そして朝夕の家でのお看経を始めるるようになりました。とくに昨年末の除夜法要、もう1年くらい前になりますが、そこで一気に「はじけた」そうで、それ以降あっという間に御教化を3人成就し、そして自宅でも最近では2時間ほど、お線香でいえば3本ほど、つまり私より長く御看経をいただいている日もあります。
 二人でお看経をいただき、また御祈願をいたしますと、「効果」は倍増でございます。
5 大学の教員・研究者として
 最後に第5に、大学教師、研究者としてです。大学教師は、教師と研究者と大学経営者の3つの機能を果たします。(1)講義や博士論文の個別指導や学生との研修合宿などの教育活動、(2)複数の研究プロジェクトの遂行のための調査・取材、(3)大学運営のたくさんの会議、などなどです。最近は運営交付金という、文科省からいただく予算が激減ですので、外部資金獲得のため、あちこちの財団や基金に研究助成金を申請する、そのための申請書類作りが増えています。
 その学生ですが、留年する学生の中でも精神疾患に苦しんでいる者も多い。多くの大学が、精神を病んでいる学生へのケアをどうすればよいか、悩んでいると思います。そこに、カルト組織がはいってきます。うちも、カルトにはいらぬようにとの警告文を、学生がよくみえる場所に掲示しています。
 さて、学生を直接ご信心のお話をして勧誘するというようなことは、公務員の倫理上、できません。してはいけないことだと思っています。では、仕事の関係でご弘通ができないのかというと、そんなことはないんです。日々の口唱とご祈願です。上で述べたように、経済界などからの取材が多いので、それは学生ではないので、ご信心をおすすめしてます。
 先日あるラジオ音楽番組のDJがこられましたが、3時間の面談のうち1時間は、佛立宗の説明になってしまいました。教えをひろめるのは、1+1=3とおもっている人に、それは2ですよと、教えることであり、真実を教えるのですから、なんら問題ありません。当たり前のことを教えるだけです。どんどん、佛立宗をいろいろな人におすすめするといいと思います。別の日に、ポラリス・プロジェクトの代表がこられました。人身売買をストップさせる国際NGOの日本支部で、スタッフは1人です。孤軍奮闘です。彼女にも、佛立宗のお話をさせていただきました。国際マフィア相手の危険な面もある仕事です。警察と協力して動くこともあるそうです。新宿の歌舞伎町などに突入するわけで、お題目をおすすめしました。
 下種結縁のご祈願をしておりますと、突然全然知らない翻訳家からファックスがはいり、経済学用語の翻訳を教えてくれとの依頼です。その結果、この本がでました。数ヶ月で7刷りの、大ヒットです。主要書店で平積みになってます。最後の「あとがき」にわたしの名前も出てるのですが、翻訳者は佛立宗の「ボーズバー」や「秋のコンサート」に来てくださいました。
 ブラジル滞在中、4ヶ月毎日の開門参詣と、一万遍口唱の御祈願のおかげで、なかなか手に入らないような貴重な環境情報を入手できました。こういったことも、ありがたいことでした。
 最後に数学(ベクトルや行列)で仏教を表現するとか、計量経済学・回帰分析で仏教を分析するなどを、考えてます。たとえばロジット・モデルとか、プロビット・モデルとかありまして、信徒さんのどのような属性がお寺参詣<確率>を高めるか、そういう確率計算ができるのですが(ソフト:EVIEWSなど)、それなども考えてます。
 「Chant Globally, Act Locally」=グローバルに口唱し(世界中の人のために御祈願し)、地域で菩薩行に励む、を「合い言葉」として、作りました。これで、きばりたいと存じます。
 今後ともよろしくご教導のほどをお願い申し上げます。
=====================
 フルート。スピーチの後で、演奏を聴かせてくださった。とても素晴らしかった。

0 件のコメント:

佛立アンバサダー・コレイア御導師の来寺

昨日はコレイア御導師に妙深寺までお越しいただき、朝一番のお総講から目一杯のご奉公を頂戴いたしました。 御法門はブラジルHBSの躍動を感じる新本堂建立へ向けたお話、ご帰寂のわずか1週間前に撮影された感動のインタビュー、リオデジャネイロのご信者さまの壮絶な体験談など、千載一遇、またと...