2008年11月1日土曜日

月始総講 御法門

御教歌 平成二十年十一月 月始総講
「今こそは うきゝあらしに吹かるれど花さく春を たのしみにして」
和国陀羅尼 教歌集 八二ウ
 佛立開導日扇聖人、お示しの御教歌です。

 今はこうして、苦労の多い日々を送っているが、ここで踏みとどまり、正しく前に進めば、必ずうららかな春のような運命がめぐってくる。それを楽しみにして、努めなさい、イヤになった、嫌気が差したと、逃げず、怠らず、負けるのではない。冬は必ず春となる。斯様にお示しの御教歌で御座います。


 御教歌を再拝いたします。

「今こそはうきゝあらしに吹かるれど 花さく春をたのしみにして」

 「うきき」とは、「浮木」とも、「泥」とも、「憂い」=「つらいこと」「思うようにならないで苦しい」「悩ましい」「せつない」といただくこともできます。「花咲く春」、よく「うららか」と申しますが、「空は晴れ、日が柔らかく、のどかに照っている」「心に声にわだかまりがなく、あたたかく、穏やかな状態」と拝察します。

 この御教歌、「今こそはうきゝあらしに吹かるれど 花さく春をたのしみにして」とは、「今は、これほど思い悩む、苦しいあらしのような強く、冷たい風に吹かれているけれども、うららかな春を楽しみにしようではないか」と詠まれております。

 みなさまは、いま、どのような心境でしょうか。何か苦しいことはありませんでしょうか。思い悩む、答えが見つからない、先が見えない、という気持ちはありませんでしょうか。そういう方に対しての御教歌、辛く、苦しい状態にある人への御教歌、あるいはご信心の上で、ねたみ、そねみ、憎まれ、誤解され、陰口や邪魔など、「怨嫉」の中にいる人に対して、開導聖人が大いなるお慈悲をもって教えてくださる、励ましてくださるのが、今日の御教歌です。

 「いま、苦しい人」と申しましたが、世間の状況こそ非常に厳しいわけですから、安閑としている人はおられないと思います。そういう人がおりましたら、「ちょっと、もう少し真剣に考えたら」と注意したくなります。

 今の私たちの社会。思っている以上に厳しく、これから本当に苦しい時代が迫ってきています。

 世界経済の危機など、もう目の前に、家計の中に飛び火してもおかしくない状態です。追加支援や金利の利下げなど、いろいろなことが報道されていますが、実際それは全て対処療法で、問題の先送りにも見えます。いつ何時、お年寄りから若者まで、仕事もなくなり、食べ物もなくなるという状況がきてもおかしくない。恐ろしい時代が迫っています。

 こんな世界、こんな状況ですから、困難な時代に備えなければなりません。

 こういうお話をすると、いつも「住職は難しい話ばかりしている」と思うかも知れませんけれども、言っておかなければなりません。イヤな話ばかりする気持ちはありません。今が危機でもチャンスにできます。こちらの心がけ、行動次第。しかし、ほとんどの人が、まだまだ安心しきっていて、本気になっていない。どこか、呑気に構えて、ご信心の面でも、真剣にできていないように思います。

 私たち妙深寺は、「平成二十一年 立正安国論上奏七五〇年」を掲げてご奉公を進めてまいりました。なぜ、お祖師さまは「立正安国」と、命を賭けて世に警鐘を鳴らされたのか。それは、この厳しい現代と、お祖師さまの生きた時代とが、同様、あるいはそれ以上の厳しい状況だったからです。その混迷の原因も知らず、備えも、本当の対処もできていない人々に、救いの道、困難を乗り越える術、国や世界をより良くする希望を与えるために、「立正安国」と高らかに、命がけで御法門されました。

 「佛法やうやく転倒しければ世間も又濁乱せり。佛法は体のごとし世間は影のごとし。体曲れば影なゝめなり」

 国や世界に、正しい佛法、真実の仏教、本物のご信心がない。ご信心が曲がってしまっている。それで良しとしてしまっている。それで仕方がないとしてしまっている。だから、世も人も、濁り、乱れる、悪くなる。正しく佛法、正しくご信心を立ててゆくことで、自分も、家庭も、国も、世界も良くなっていく。だからこそ、「正しい信仰を立てて、家・国・世界を安んじなさい」とお諭しになられているのです。

 ですから、いま苦しい人、いま厳しい世界に生きる人、すべて、私たちは、これまで以上に、厳しく、自分のご信心前を見つめ直さなければならないのです。

本当ですか?

あなたのご信心は本物ですか?

思い上がりはないですか?

思い込みはないですか?

慈悲はありますか?

身勝手さはないですか?

欲やプライドが邪魔してはいませんか?

お看経が足りていますか?

お折伏は出来ていますか?

お給仕できていますか?

ご奉公が出来ていますか?

そのご奉公に、まごころはありますか?

思いやりがありますか?

理解していますか?

理解しようとしていますか?

相手を理解しようとせず、自分の想いや考えを押しつけてはいませんか?

素直ですか?

正直ですか?

御法さまの教えを、本当に、素直に、正直に、いただいていますか?

 何度も申しますとおり、ご信心をしているのに、「自屈」「上慢」「二乗心」では通りません。

 会社が倒産して家がなくなる、重病と診断される、いつもいると思っていた人、いつもあると思っていたものを失う、そういう危機に直面する。そうしたことがなければ気づけないというのでは、本当に情けないことです。愛や信頼は失いたくない。しかし、失うようなことをして平気でいるのが人間です。

 これでは、ご信心をしているのに、勿体ない。これでは、厳しい時代を乗り越えられません。むしろ、もっともっと厳しくなる世の中で、人生もさみしく、つらく、厳しくなるだけです。

 もう一度、ご信心を本物にしなければなりません。そうしないと、春は来ません。もう一度、ご奉公を、「まごころ」のこもったものにしなければなりません。そのために、まず、基本に立ち返り、自宅での朝夕のお給仕、お看経、朝参詣など、精一杯のご信心をさせていただかなければなりません。まず、反省する。今までのご奉公に、まごころがこめられていたか、どうか。同じご奉公でも、全く違います。もっと、思いやりをもって、深く相手の心を感じて、声を聴いて、御法さまの御本意を語れる。そうした、本物のご信心が出来ていれば、それを貫いてゆければ、本当に、まごころからのご奉公が出来ていれば、怖いものはありません。どんな困難でも乗り越えられます。必ず、春がやってきます。

「今こそはうきゝあらしに吹かるれど 花さく春をたのしみにして」

 お祖師さまが社会的に厳しい状況にあった四条金吾さまに宛てて送られた手紙が残されております。ちょっと、そのコピーを配りますので、ご覧いただけますでしょうか?

 四条金吾さんは、大変なご苦労に遭遇していました。ご信心のことがきっかけで、彼を陥れようとしていわれのないことまで主君(上司)に讒訴され、結局法華経の信仰を捨てるという誓いの文章(起請文)を出せと迫られます。そうでなければリストラ、所領を没収する、と。そんな境遇にある四条金吾さまに宛てられたのが、このお手紙、御妙判なのです。

 「火はをびただしきやうなれども暫くあればしめ(滅)る。水はのろき(鈍)やうなれども左右無く失ひがたし。御辺は腹あしき人なれば火の燃(や)くがごとし、一定(いちじょう)人にすかされなん。又主(しゅ)のうらうら(遅遅)と言(げん)和(やわら)かにすかさせ給(たまふ)ならば、火に水をかけたるやうに御わたりありぬと覚ゆ。きた(鍛)はぬかね(金)はさかんなる火に入るればとく(疾)とけ候。冰(こほり)をゆ(湯)に入るるがごとし。剣(つるぎ)なんどは大火に入れども暫(しばらく)はとけず。是きたへる故なり。まへにかう申はきたうなるべし。佛法と申は道理なり。道理と申すは主に勝つ物なり。いかにいとを(愛)し、はな(離)れじと思ふめ(妻)なれども、死しぬればかひなし。いかに所領ををししとをぼすとも死ては他人の物、すでにさかへ(栄)て年久し、すこしも惜む事なかれ。又さきざき申がごとく、さきざきよりも百千万億倍御用心あるべし。日蓮は少(わかき)より今生のいのり(祈)なし、只佛にならんと をもふ計なり。されども殿の御事をばひまなく法華経、釈迦佛、日天に申なり。其故は法華経の命を継ぐ人なればと思ふなり。」

 どのような意味かと申しますと、

 「火は、激しく燃えていても、しばらくすれば消えてしまいます。水は静かに流れていても簡単には無くなりません。貴方は、火が燃えるように腹の立ちやすい性格ですから、きっと人に騙されてしまうでしょう。あるいは、主君から穏やかに言葉をやわらげて言われると、火に水をかけたように志も萎えてしまうかとも思えます。鍛えていない金に火を入れ、氷を湯に入れたようなものです。剣などを強い火に入れても簡単に溶けないのは、鍛えてあるからです。日蓮が以前からこう言っているのは貴方を鍛えるためです。佛法とは道理です。道理を以てすれば主君の誤解にも必ず勝つことが出来ます。どれほど愛し、離れまいと思う妻であっても、死が訪れれば別れなければなりません。どれほど領地を惜しいと思っても、死んでしまえば他人のものになります。貴方は、永年領地をいただいて平和に恵まれて暮らしてきたのですから、今それを惜しんで道を誤ってはいけません。これまで何度も言ってきましたが、これまで以上に一層用心しなければなりません。日蓮は幼少の時から、今生の利益を祈ったことはありません。ただ、仏になることだけを願ってきたのです。しかし、貴方のことは、絶えず法華経と釈尊と日天子等、御宝前に御祈願申し上げています。なぜなら、貴方は法華経の命を受け継ぐ、尊いご信者と信じているからです」
 社会人としても、信者としても、今の私たちは、の四条金吾さまほどの御苦労、法難、怨嫉は当てはまらないかもしれません。しかし、同じお祖師さまの信者として、厳しい時代に生きて、ご信心させていただいていることには変わりはない。社会的な苦労、家庭の中、人生の中、ご奉公の中にも、いろいろな壁、問題、課題があります。

 その時々に、こうして、お祖師さまの励ましのお言葉を思い起こす。極めて有難いのは、「腹あしき人なれば」などと、とても厳しいお折伏、お慈悲に満ちたお言葉をお祖師さまからいただけることです。御導師や御講師から、このように教えていただけたら有難いですね。あの時代、「腹」とは「性格」「性質」のこと。ですから、「あなたの性質は悪く、腹を立てやすいですからね、注意しなさい」と言ってくださる、教えてくださる。自分の性質、性格の悪い部分を改良せよと、細やかに、厳しくご指導くださる。何と有難いでしょう。

 この御妙判を思い起こして、奮起して、堪えて、前に進んで、御利益をいただかなければなりません。お祖師さまの仰せの通り、案の定所領を没収され、不遇にあえぐことになった金吾氏でしたが、ついに四条金吾さまはご信心を貫かれました。最終的に主君の誤解も解け、没収された所領も結局倍になって戻ってきた。大変な御利益としか言いようがありません。それが、「花咲く春」、「冬は必ず春となる」というご信心です。

 本物のご信心が出来ていなければ、春は来ません。中途半端な、心境の変化に付き合わされるような信心前では、このような御利益は顕れないのです。

 嵐の前には家を点検します。屋根や雨戸をチェックする。普段は小さな隙間でも、嵐が来たらそこから風が入り込み、屋根が飛び、家を倒すこともあります。だから、嵐が来たら点検をしておかないと、穏やかな春を迎えられません。

 この厳しい時代、自分の人生でも苦しい状況であるならば、本物にしよう、改良しよう、直そう、気づこう、という新しい気持ちで、生きていこう、信心しよう、ご奉公させていただこう、と思わなければなりません。

 開導聖人の指南に、教区御講でも御法門させていただいた宮本武蔵についての記述があります。

 「宮本無三四は寝處に寝て居ながらも剣術の形ち作りてありしとか。書家、画工、歌人、茶人、等も、その道に心を用ふるに暫時も忘るるひまなし。終に皆是等の人は名人也。此の信心の道は猶さら。経云。以何令衆生得入無上道速成就仏身。」扇全一一巻三頁

 きまぐれな、自分勝手な、遊びのように、思ったり思わなかったり、というご信心ではダメだということを教えてくださいます。続けて、

 「しかるに、信者に種々あり。柿の甘、渋に譬へる。かげひなたの雑り信者。純金の金むく信者等、御利生の有無云々(真実の御弟子旦那こそ当宗の宝也)。(中略)。信行ほどの楽しみはなし。信行に怠る人は、まだ味ひのわからぬ人也。人を助くる道と思へば我も助かる。御法の為に身を労するも、それが真の楽しみとなる。故に、二世安楽」扇全一一巻三~四頁

 ご信者と言ってもいろいろな種類に分けられる。大きくは二種類。それらは、外側からは、なかなか分からない。同じ柿でも、甘い、渋いがあるように。表裏のある、思い込みの強い人、陰口、言葉で信心を曲げる、自分だけではなく相手の信心も落とすようなご信者もある。それとは逆に、表も裏もない、御法さまが見ていてくださる、なにか問題があっても、真実だけを見て、まごころでお話をし、お折伏もし、ご奉公する純金無垢のご信者もある。ここに、御利益、御利生の違いが出る。御利生の有無がある。真実の、本物のご信者さんこそ、本門佛立宗の宝物。真実の御弟子旦那。

 ご信心ほどの楽しみはないのですよ。ご信心に怠りは間違いが生じる人は、まだ本当のご信心の味わいを知らない人なのです。人を助ける、人を支える、人に対してご奉公させていただけば、全部、すべて、自分に返ってきます。だから、楽しくて、うれしくて、ご奉公はやめられなくなる。苦労した分、自分が幸せになります。

 御妙判の御意、御指南の御意、深く心に染み通さなければなりません。

 どうか、ご信者の皆さまは、苦労の多いこと、辛いことの多い時期、壁が立ちはだかり、思い悩むような時、時期、時代だからこそ、何度も申しますが、もう一度、ご信心を本物にする、もう一度、ご奉公を、「まごころ」のこもったものする、と決心、決定、改良を心がけていただきたい。

 基本に立ち返り、自宅での朝夕のお給仕、お看経、朝参詣など、精一杯のご信心をさせていただけば、気づくことができるはずです。二種類のご信者の中で、私はどっちか。御法さまに「自分をこうしてください」「あの人をこうしてください」と何かを願って向き合っているだけではなく、自分のマイナス、悪しき「腹」、戸惑いやすいご信心前、へこんでいる所、出っ張っている所に気づかせていただけるくらい、素直に、正直に、御宝前に向かい、御題目を唱え重ねることです。必ず、自分の改良点が見えてくるはずです。

 素直に、正直に、真実のご信心ができますように。

 そうした、本物のご信心が出来ていれば、それを貫いてゆければ、本当に、まごころからのご奉公が出来ていれば怖いものはありません。どんな困難でも乗り越えられる。必ず春はやってくる、備えよ、改良せよ、とお戒めくださる御教歌です。

 故に御教歌に、「今こそはうきゝあらしに吹かるれど 花さく春をたのしみにして」

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