2012年9月30日日曜日

かぐや姫

台風が近づいていてそれどころではないかもしれませんが、今年の中秋の名月は今日9月30日。台風が過ぎた西日本では綺麗に見えるかもしれません。

僕は、昨日の深夜、あまりにもカーテンの外が明るくて、立ち上がって窓の外を見てみました。まるで外に誰かが来ているような、何か特別なことが起こっているかのような不思議な明るさでした。

カーテンを開けて外を見てみると、夜空に見事な月が浮かんでいました。藍色の空、月の光りに照らされている世界。とっても不思議な光景です。

中秋(仲秋)の名月は旧暦の8月15日。お盆の中日に当たります。古来日本人は、こんなにも煌々と輝く月の光りの下で、亡くなられた方々に思いを馳せていたのですね。その気持ちが、少し分かったように思いました。

カーテンの外の光り。灯りの乏しい世界では、もっともっと、不思議な、特別な気持ちになったはずです。愛する人が帰って来てくれたような、戻ってきてくれたような、そんな気持ちになったのではないでしょうか。

闇夜を照らす満月の夜は、この世とあの世の境界を淡くするものなのかもしれません。お盆とお月さまは、本当は切っても切れない特別な関係がありました。太陽暦、太陰暦という話ではなく、月夜に抱く人間の心として、そんなことを思いました。

『竹取物語』は中秋の名月に照らされた夜を、物語のクライマックスにしています。世の羨望を集めたかぐや姫は、帝や翁の制止も虚しく、月の世界から来た人々に連れ帰られてしまいました。

中秋の名月を眺めていると、物語にあるその不思議な情景が、本当にあったことのように思えます。『竹取物語』は『源氏物語』よりも古い物語です。この古い物語の中では、富士山はまだ噴火していました。「富士の山」という名前の由来も『竹取物語』で明かされています。

台風の被害が心配ですから、それどころではないのですが、『竹取物語』をもう一度読み直してみると、日本人が持つ素晴らしい感性に気づけると思います。ファンタジーとアイロニー、政治的なメッセージまで隠されています。

私たちも、見える世界と見えない世界に、功徳を見たり、罪障を見たり、業を見たり、寂光を見たりします。想像力の無い人は目先のことばかりが先行して、右往左往してしまいますし、後悔する生き方に終始してしまいます。でも、ご信心に出会った私たちは、御法さまを見て、ご宝前に向かって、因果を見て、現在から過去、現在から未来を見て、罪障消滅、積功累徳のご信心修行に励みたいものです。

2012年9月29日土曜日

菩薩行データベース

昨年から着々と進められてきた妙深寺の極秘プロジェクト(笑)。ついにフェーズ2まで完成。今日は御講師、総務部門や寺務所の職員が集まりデモをお願いしました。

すでに妙深寺には素晴らしい信徒名簿がありました。でも、今回特に「ご弘通に資するプログラム」という大テーマを掲げて開発を進めました。

ほぼ、求めていた機能に近づいています。これからのフェーズ3が最も重要で、10月末までの完成を目指しています。ご信者さんの菩薩行の現場で役立つデータベースでなければ意味がありませんから。

いよいよです。有難いです。

2012年9月28日金曜日

ブルース・チャトウィンやその他のこと

旅を綴る紀行文に読みやすさを求めてはいけない。名著『パタゴニア』は、ブルース・チャトウィンの五感を通じてパタゴニアを旅する本だ。豊かな感性で世界を眺めた彼は48才で世を去った。

この世は、ある者が見れば天国で、ある者が見れば地獄だ。金持ちが天国の住人で、貧しいから地獄にいるとは限らない。健康も、病気も、成功も、失敗も、出会いも、別れも、その価値や意味が分かる人と、分からない人とでは、その目に映る世界、その住む世界は、全く異なっているだろう。

いや、この宇宙も大自然も、元来悠然とそこにあるだけだが、人間の心は、それを様々に受け止め、様々に映し出してしまう。それだけなのだ。だから、何より大切なのは、自分の心の磨き方、感性の在り方となるのだろう。

人間は思考を用いて時空を超えることができる。旅をしながら、現在から過去、そして未来を行き来する。

旅人は、ゴールより過程の大切さを知っている。そこで、何を見て、何を思い出し、何を発見して、何を始めるか。

「旅は賢者をさらに賢者とするが、馬鹿をもっと馬鹿にする。」

至言だろう。海外旅行や留学が容易なっても、さほど賢者が増えたわけではない。腑抜けも慢心者も増えた。愚か者にとって、旅は薬よりも毒になる。非日常に焦がれるよりも現実を見据えて責任を果たせということか。

尊敬する先輩に聞かせてもらった話がある。深夜の第三京浜。保土ヶ谷料金所を過ぎたサービスエリアに車を停めて、先輩は米国大陸を横断した時の話を聞かせてくれた。確か私が18才の頃のことだったと思う。

1970年代。大学に通うか、世界を見るか。大学の入学と同時に先輩は親から4年分の学費を渡された。好きにしろと言う。

大学に通いながら、彼は渡米を思い立った。一人でアメリカに渡り、西海岸でバイクを買った。様々な街を訪れながら、ニューヨークを目指した。

東を目指して、延々と真っ直ぐな道を走る。真っ直ぐな道では集中力も散漫になる。暇だからバイクを運転しながら曲芸もしたくなる。そんなことをしていると、砂漠のど真ん中で大事故を起こした。当然と言えば当然だ。

気がついたら病院のベッドで寝ていた。ひどい身体だった。通りがかった人が近くの街の病院に運んでくれたらしい。歯も、足の骨も折れていた。バイクは街で直してくれているという。そのままその名前も知らない田舎町で過ごすことになった。

少し動けるようになると時間を持て余す。松葉杖をつきながら、病院の近くにあった池を眺めるのが日課になった。そこで、ある高齢の老婦人に出会った。

「あなた、どこから来たの?」

「日本から来ました。」

「へえ、そうなの。で、その日本というのはどこにあるの?」

「えー?おばあちゃん、日本も知らないの?おばあちゃん、何もしらないんだなー。あのね、日本っていうのはね、、、、』

先輩は日本が目覚しい発展を遂げている国であることをはじめ、色々な角度から日本について説明したんだという。

その話を優しく微笑みながら聞いていた老婦人は、話が一段落した後で、言った。

「そんな遠くから来たのー。すごいねー。私は、80年生きているけど、この街から一度も出たことが無いんだよ。でもね、私はね、愛する家族に囲まれて、本当〜に幸せなんだよー。」

なぜか、老婦人の無知を諭すように日本について勢いよく説明していた先輩は、この老婦人の話を聞いて、言葉が出なくなったのだという。

自分は日本を離れて、こうして遠い国を旅している。若い自分は、世界中の情報を知ることが出来る。決断さえすれば世界中に旅することができる。しかし、果たして、それは幸せなことだろうか。人生にとって、本当に大切な、知るべきことを知り、学ぶべきことを学んでいるだろうか。おばあちゃんが無知なのではなく、自分が無知に思えたのだ。

先輩は、その後バイクに乗ってニューヨークに着いた。バイクに「For sale」と書いてバイクを売り、帰国便のチケットを買った。帰国してから大学を卒業し、今も社会の最前線で活躍されている。いずれにしても、私は18才の時に聞いたこの話が忘れられないでいる。

その後、僕も世界中の色々な場所を訪れるようになった。あれから25年近く経つが、今でも行く先々でこの話を思い出す。

旅先で感じたことを、どこかに書き留めておきたい。イスラエルの空港で入国拒否されそうになったこと。最初にスリランカの空港に着いた時の心境。ガンジス川の夜明け、メキシコ湾の夕暮れ。

そこで出会った人との会話を、何十年経っても、忘れずに憶えておきたい。

2012年9月27日木曜日

「銭はあの世にもっていけない」

京都佛立ミュージアムの開館を記念し第一回企画展示として開催させていただいた「俗画さとし絵」展。

幕末維新の仏教改革者であり稀代の開発僧、長松清風独自の視点で世の中の賢と愚、善と悪、虚と実を気持ちよく切り裂く言葉、そして現代の漫画の原型とも言える「俗画」を描き、仏教の教えを平易に、万民に伝えていく独特の手法。

じっくりと見れば見るほど、シニカルな笑いや思わず唸りたくなる内容が一枚のパネルに込められています。

「これは面白い!」と何度も足を運んで見に来て下さるような来館者もおり、新たに4作品を追加して延長公開させていただく運びとなりました。

前回の展示を見逃がされた方、またお知り合いの方をお誘い合わせのうえ、さらに充実した内容の「俗画さとし絵」展に是非足をお運びください。

募集

2日目の佛立研究所の会議が終了して、引き続き京都佛立ミュージアムの展示入れ替え作業。

また、海外弘通の展開についてスリランカ、インド、シンガポールについて原稿を提出しなければならないということで、とりいそぎ書き上げました(涙)。

神奈川布教区やミュージアムの会議の日程調整のお願いも送信終了。

ミュージアムのホームページの活用が十分されていないので、改善策についてメールしました。

いま、ずっと思っていることなのですが、秘書を募集したいと思うのです。お給料をお支払いして、男性でも女性でもいいのですが、一緒にご奉公していただける方が欲しいのです。

どなたか、いないでしょうか?いろいろなことが重なり、一人では処理し切れないことと、次の展開を考えると、どうしても、もう一人、一緒にやってくれる人がいたら、と思うのです。

出来れば、横浜かその近郊に住んでいて、パソコンのスキルを持っておられる方がいいです。

どうでしょう(涙)。

2012年9月26日水曜日

ミュージアムのご奉公

今日は、研究所の会議からミュージアムの展示の入れ替え作業をさせていただきました。

ミュージアムについては、まだまだコンセプト、機能を考えて、詰めてゆかなければなりません。

夜遅くまでご奉公くださったスタッフのみなさまに、感謝です。

ありがとうございます。

天女

京都に向かっています。

静岡を過ぎて、9時には京都に着けるはず。そのまま本山にお参詣させていただいて、会議までゆかさんの手術成功のご祈願、お助行をさせていただきます。

また、今日は小菅さんの再検査。樋口さんが付いていってくださるとのことですが、とにかくご祈願させていただきます。

今日の空、今日の富士山、とっても綺麗でした。天女が羽衣をなびかせて、舞っているような。みんなで踊りの練習してるみたいに見えました。

こんな素敵な日の手術も、検査も、必ずお見守りいただいていると思います。

よろしくお願いいたします。

ありがとうございます。

2012年9月25日火曜日

まっすぐ生きて

この数日間で見たこと、聴いたこと、お話したこと、とても大切なことばかりでした。

哀しいことも、楽しいこともある。正しいと思ってたこと、間違っていたこと。すべて含めて、馬鹿な自分を自覚して、まっすぐに生きたいだけなのだと思う。それだけなのだと思う。そのために、悩み、もがき、苦しんできたのだと思う。でも、その苦しみは大切なことだと思う。まっすぐにに生きたいだけなのだから。

だから、頑張れるのだと思う。頑張ろう。

2012年9月22日土曜日

坂本龍馬の菩提心

今日は、まるで猛暑が何処かへ行ってしまったかのような涼しい一日になりました。昨日までの雨も止み、肌寒さも感じたほどでしたが、盛大に秋季総回向を奉修させていただきました。

今日の御法門では、坂本龍馬の仏教徒としての一面をご紹介しました。龍馬は、当時の人々がごく自然に持っていた先祖への孝養心でご回向や供養を行っていました。

上手にお伝えできたか分かりませんが、私たちは第一に先祖回向の大切さと伝え、第二に正しいご回向の方法を伝えなければなりません。まず、第一に、龍馬の姿勢から、自分がそういう気持ちを持っているか、お彼岸などに先祖に手を合わせたか、考えてみて欲しいと思います。

小美濃先生の『龍馬八十八話』という著書でも紹介されていますが、龍馬の作った次のような和歌があります。

「面影の見えつる君が言の葉を かくしに祭る今日の尊さ」

この歌の題には「奈良崎将作に逢し夢見て」とあります。楢崎将作とは、龍馬の妻となったお龍さんのお父さんのことです。青連院宮の侍医だった将作は、頼三樹三郎らと親しくしていた勤王家で、安政の大獄で捕縛されました。その後、釈放されますが、身体を壊して亡くなっていました。

お龍の夫となった龍馬は、義理の父に当たる将作に生前一度も逢ったことがありませんでした。しかし、その龍馬が彼に夢の中で逢ったと歌に詠んだのです。


「面影の見えつる君が言の葉を かくしに祭る今日の尊さ」

その意味するところは、夢の中で聞いた義理の父の言葉を大切にして、その霊を祭って回向する尊さよ、、、というものです。龍馬は、そうして亡くなった近親者の霊を祭り、回向する大切さを知っていたのです。

さらに、「父母の霊を祭りて」と題した和歌も詠んでいます。

「かぞいろの魂やきませと古里の 雲井の空を仰ぐ今日かな」

「かぞいろ」とは「かぞいろは」という古語の略で、両親、父母、という意味です。両親の霊を祭って、父母の霊が来てくれるように願い、古里・土佐高知の空を仰ぎみている、そんな今日この頃です、という意味の歌です。

全国を飛び回っていた龍馬ですが、両親を思って、お盆やお彼岸の頃に詠んだのかもしれません。

ここに龍馬の数首の歌を出しましたが、なんか開導聖人の御教歌のようですね(笑)。そうです。龍馬の家も豪商らしく国学や和歌に通じていて、お父さんの八平も兄の権平も、お祖母さんの久も、和歌を詠んでいました。

龍馬のお母さんは、龍馬が12才の時に49才で亡くなっています。この頃まで龍馬は泣き虫だと言われていました。しかし、このお母さんとの別れから、ピタッとそういう話がなくなります。お母さんの死は、龍馬にとって決定的な出来事だったに違いありません。


お父さんの八平は龍馬が21才の時、59才で亡くなりました。龍馬が江戸で2回目の修行をしている最中のことでした。つまり、死に目には会えなかったのでした。

龍馬は、早く別れた両親への切ない気持ちを抱いていました。お龍へのインタビュー、「反魂香」の中には、長崎でのお盆のご回向のお話があります。

「慶応三年八月十六日、長崎元博多町のコゾネと云ふ質屋の奥座敷で、お良の父・奈良崎将作と自分の父母の霊を祭りました。あぁ、この魂祭りが龍馬存生中の最後の手向けでした。」

「手向け」とは、「◇ 神仏や死者の霊に物を供えること。また、その物。◇ 別れる人へのはなむけ。餞別」という意味です。

この少し前、龍馬は土佐の実家に手紙を出しています。

「廊下の茶座敷の上のところに、お父さん、お母さん、そしてお祖母さんが書いた短冊が飾ってあるから、その裏に没年月日を書いて送って欲しい」

その短冊を龍馬は自分の懐に入れていたと言います。時には取り出して、お祭りして、ご回向したということでしょう。

死ぬか生きるかで走り廻っていた幕末の志士・坂本龍馬が、両親のご回向、お龍の両親のご回向、弔いまでしていることを、覚えておいていただきたいと思います。本当に、それはそれは、とっても大切なことです。

龍馬に憧れる人は多いのですが、そういう人間としてのごくごく自然な、大切な気持ち、大切な行いまで、しっかり受け継いで欲しいと思います。

佛立仏教徒であれば、なおさら、正しいご回向の
仕方もお伝えしてゆけるようにならなければなりません。

今日は、そんな坂本龍馬の菩提心についてお話をして、御法門を説かせていただきました。

2012年9月21日金曜日

明日は秋季総回向です

明日は、午前10時から妙深寺の秋のお彼岸、秋季総回向を奉修させていただきます。

今日は朝から準備ご奉公をさせていただきました。各教区からたくさんのご出仕をいただき、ありがとうございました。

明日のお参詣を、お待ちしております。

ありがとうございます。

2012年9月20日木曜日

空の日

今日は、空の日だったのですね。妙深寺に戻り、望ちゃんから教えてもらいました。

近くの公園から、今日の空を見上げてみました。さすが、空の日にふさわしい空でした。

ピンク色の空

清啓寺には素晴らしい青年会があり、第2回 青少年の一座でのお助行のお話、第4回 青少年の一座でも涙せずにはいられないご奉公のお話を聞かせていただきました。

また、佛立青少年グローバルネットワーク(HBSY)のチーフマネジャー・米津くんは清啓寺の所属です。清啓寺のご奉公は、若い世代に対する近年のご奉公に大きな力を与えてきてくれました。

その清啓寺で青年会のご奉公に当たり、米津くんの教化親でもあるのが鵜飼清晋師です。一生懸命、真っ直ぐに、ご奉公される御講師です。

その鵜飼師のお母さまが、亡くなられたという突然の訃報を受け、お通夜と告別式に参列させていただきました。突然のことで、言葉が見つかりません。お母さまが清啓寺を陰で支えておられたのは誰もが知っていました。

ただ、ひたすらご霊前に御題目をお唱えさせていただき、鵜飼師やご家族の背中をさする気持ちで参列させていただきました。

鵜飼師から電話をいただいた時にもお話しましたが、すべてに意味があると信じます。教えていただいていることを胸に、ご本意に叶うようご弘通に努めるしかありません。

植松局長の弔辞、深く心に沁みました。衣美ちゃんから大好きなおばあちゃんへのお別れの言葉、思わず涙が溢れてしまいました。

昨夜は、何度も目が覚めてしまいました。何とも言えない気持ちで胸がいっぱいでした。また、ご信心を、教えていただいているのだと痛感しました。そして、これからのご奉公の方向について、考え続けました。

昨日の静岡の空は、本当に美しくて、空全体がピンク色に染まり、天から何かが次々と降りてきているような雲の形でした。とても、きれいでした。

鵜飼師のお母さまが寂光に帰られるのを知らせてくれているような、あるいは、寂光からお迎えの方々がここに集まってくださっているような、そんな空でした。

お通夜の直前、静岡駅のホームから、思わず写真を撮りました。

これから横浜に戻ります。

2012年9月19日水曜日

静岡へ

静岡に、向かっています。

最後の海外弘通特別委員会

昨日は総修大法要の会議、今日は今期最後の海外弘通特別委員会・海外弘通研究委員会でした。2期6年間のご奉公がほぼ終了しました。

松本海外部長の下でご奉公させていただき、海外弘通の重要な転換点でご奉公できたことを有難く思っています。引継書にも書いてありますが、この6年で海外弘通の環境は劇的に変わりました。もはや海外のための海外弘通ではなくなり、信徒間の交流は国際化の一途をたどっています。

現在、実に宗門の総信徒数の約2割の方々が海外のご信者さまです。近い将来、さらに信徒構成は変わるはずです。この事実と重要性を、一人でも多くの方に理解していただかなければなりません。

また、弘通局予算の実に30%〜40%が海外弘通のために充てられているのは何のためであるか、その目的や内容について吟味し、その重い責務を果たすために如何なることが求められているか明らかにしなければならないでしょう。

一刻も早く、海外教区から宗会議員を選出し、宗会に参加する日が来ますように。推戴選挙の選挙権が与えられていないことも再考されるべきだと思います。

海外教区の代表者会議は各国から大好評でした。次の扉が開かれようとしています。「海外(oversea)」ではなく「国際(international)」という概念で、相互交流の中継役、国内弘通への随喜の還元が期待されています。海外旅行部ではいけません。

今日は次期宗務総長や弘通局長、海外部長、その他の役員の方々にもご出席いただきました。今後、さらにステップアップしてゆくに違いありません。

ありがとうございました。

2012年9月17日月曜日

お誕生日会

昨日はマルコス大使のご長女の1才のお誕生日会でした。大使の公邸で家族だけのお祝い会があり、ご招待を受けたので駆けつけました。

はじめて妙深寺に来てくださった時は、まだ奥さまのお腹の中にいたプリンセス。大きく、かわいくなりました。

8月にはエチオピアのメレス首相が亡くなられ、国葬が行われたばかり。色々と政情も変化があるかもしれませんが、マルコス大使は何かあるたびに親しく声をかけてくれる大切な人です。

神田さんからご紹介いただいた不思議なご縁ですが、大切に、ゆっくり育ててゆきます。親しい方々だけの会に呼んでいただくのはとても光栄なことでした。ケニアの大使も来ておられましたし、モザンビークの大使館員の方とも親しくなることが出来ました。ありがとうございます。

とにかく、早くアフリカ、特にエチオピアに行きたいですー。

中外日報さま

中外日報さまに新刊書籍のご紹介をいただきました。

広告料をお支払いしているわけでもないのに、取り上げてくださるだけでも本当に有難いです。

http://goo.gl/GoYnR

先日、大阪のご信者さまからお手紙をいただきました。1930年生まれとのことですから82才。時折麩屋町にお参りくださる白髪の素敵な、上品なご婦人です。そのお手紙の内容は拙著についての感想でした。

私の本は、字が小さくて、インクも薄くて(笑)、とっても読みにくいと思うのです。82才の方にお読みいただくには、とても不親切な本です。でも、その方は丁寧に、しっかりと読み込んでくださっていました。

明治維新の裏面史。宗教と思想の狭間にあった権力闘争。平田篤胤のこと。お手紙の中でその方はご自分のことを「軍国少女」だったと書いた上で、戦時中は偉人伝などで平田篤胤のことなどを見聞きしていたが、敗戦後はその他の人の名前は聞いても平田篤胤だけは全く聞かなくなった、変だと思っていた、とありました。その理由がうっすら拙著で分かったと書いてくださいました。

さらに、続けて「63頁の3行目〜」と書かれ、その孤独についての記述は自身の心情と重ねているのではないか、とありました。63ページに何を書いたか自分でも忘れておりましたが、読み返して、思わず落涙しました。そこまで深く読んでくださるご信者さまがいることに、心から感激し、感謝いたしました。

読みにくい、小さな字を追いながら、こんな自分のことを思いやってくださるなんて。本当に、感激しました。まだお返事をお送りできていませんが、心から感謝しています。ありがとうございます。

教区御講を奉修させていただく中で、いろいろなお声をお聞きできました。読み易い本で無いことを著者も重々承知しているのですが、一生懸命読んでくださっている方もいて、とても嬉しく思います。

いま、領土問題など、国家の主権が問われています。中国でのデモも一気に先鋭化し、国家間の武力衝突にまで発展する懸念もあります。一部のタカ派と呼ばれる政治家は明らかにそれを容認しているか歓迎している。「一度、武力衝突にまで事態が進行し、日米安保が発動されないと、この国の平和ボケは治らない」などと、賭け事のような恐ろしい話も聞こえてきます。

そんなことを含めて、『仏教徒 坂本龍馬』には書いたつもりです。「国防」ということ、「軍」について、「戦争と平和」。いろいろなことが混乱の度を増す中で、読みにくいとは思いますが、読んでいただきたいと思います。

知る人ぞ知る妙深寺の伊藤政子さんは、「もう読み返して、今は3回目です!」と言っておられました。伊藤さんは87才です。もう、言葉がありません。ありがたいです。

どうか、よろしくお願いいたします。ありがとうございます。

2012年9月16日日曜日

妙深寺の坂本龍馬?

敬老松風大会には、坂本龍馬さんも駆けつけてくださいました。なんか、いつの間にかお馴染みになっています。

自ら私の本の批評をしながら宣伝してくださいました。

Y先生、ありがとうございます(涙)

妙深寺のすぎちゃん?

今日で教区御講は一段落。13席、無事にご奉公させていただきました。あとは月末の千葉教区の御講を残すのみです。ありがとうございます。

一週間前は敬老松風大会でした。私は体調が悪すぎて歌も披露できませんでしたが、妙深寺の芸達者な方々が頑張ってくださいました。

教務部はすぎちゃん?毎年旬な芸人を登場させてくれます。今年は円蔵が初登場して会場を沸かせました。

清康、清顕、清翔、清朋。すごかった。会場は大爆笑。僕は笑うというか苦笑い。

2012年9月15日土曜日

とにかく空が好き

ボーズバー、閉店しました。大阪、青森、横浜、その出会いに感謝です。

午前のご回向、午後からの教区御講。穂口さんの涙も、浩二さんがわざわざタイから帰国してお席主、そしてお迎えのご奉公をしてくださったことも、田畑さんの大変なご利益も、語り尽くせない思うが、ひとつ一つのご奉公にあるのです。

ボーズバーにご来店くださっていた方の持ってきてくださった本。有隣堂で購入してくださったそうですが、第二刷で驚きました。ありがとうございます。

明日は日曜日。朝は家族参詣の日。そして御講です。

大変申し訳ないことですが、明日の夜の長松寺のお総講は急なご奉公で淳慧師に代行していただくことになりました。どうかご容赦いただきたいと思います。

今日も一日が終わります。今日の空も、とっても綺麗でした。御講の途中で、何度も車の窓を開けて空を見上げましたー。とにかく、空は好きですー。

2012年9月14日金曜日

いのちに感謝する日、秋のお彼岸。

朝から検査のためにお薬を飲み、ようやく内視鏡の検査が終わりました(涙)。7月の検査で再検査するように言われていたのですが、今日ようやく受診出来たのですー。

いくつか気になる箇所もありますが、酷使してるので当たり前ですね。先代のご住職も診ていただいた床井先生。一応細胞検査もしてくださいました。ありがたい。大丈夫。ご心配をお掛けしました。まだまだ頑張ります。

明日は、樋口栄子さんの尽七日忌とご納骨、教区御講が2席、そして夜はボーズバーです。

今月22日は、10時より秋季総回向を奉修させていただきます。この写真は、陸前高田で僕が撮った写真で作ってくれたチラシです。

「いのちに感謝する日、秋のお彼岸。」

ほんと、このテーマのとおり、そうした気持ちでお彼岸を迎え、妙深寺にお参詣いただきたいと思います。この日に合わせた御法門もしっかり説かせていただきます。是非お参詣ください。

2012年9月13日木曜日

千載一遇

昨日、妙深寺に戻ったのは21時過ぎ。片道4時間。御講を待ちに待っていてくださる方々、遠く長野からお参詣の皆さんと会えたから心はホカホカでしたが、さすがに部屋に入ったら全身の力が抜けて電池が切れましたー(笑)。

名古屋駅で重たい身体を引きずりながら、駅弁を買うべきか家まで我慢すべきか思案していたら、前から尊敬するSBIの北尾吉孝氏が歩いてこられました。感動しました。

海外出張からお戻りになられたばかりということで、お疲れだったと思いますが、ご挨拶させていただき、持っていた第二刷の『仏教徒 坂本龍馬』をお手渡しすることができました(涙)。

今の日本で、最も論理的で、見識や志の高い北尾さまに、もし拙著を読んでいただけるならば、これほど光栄なことはありません。

海外出張からの帰路、お荷物になったと思うのですが、快くお受け取りいただき、本当に有難かったです。気さくにお話してくださり、本当に素晴らしい方でした。論語や安岡正篤氏、政治や経済に通じた方ですから、ご叱声いただけたら幸いです。ありがとうございます。

千載一遇のタイミングに、ただただご奉公のお陰と随喜しました。

なかなか身体が言うことを聞いてくれませんが、今日の御講3席を無事に勤めさせていただくことができました。

ありがとうございます。

2012年9月12日水曜日

中身が空っぽ?

今日一番納得した話。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」って言うけど、バーッと稲穂が頭を垂れてる中で、変に威張って、突っ立ってるのがいるんだよー。

そんなのに限って、中身が空っぽなのー。

あー、いたー!見つけましたー!

秀子さんも言ってましたが、触ってみたら、本当に軽い、中身がない(笑)。

中身があると頭を垂れる。中身がないから偉そうになる。ふんぞり返る?背伸びする?

笑えました(笑)。

師匠と稲刈り

5月の末に田植えをして、今日は稲刈りをしました!

最高のタイミングで師匠の御席となりました。近隣の稲穂もたわわに実っていました。

教区御講の後、横浜から持ってきた作業着に着替え、お師匠さまの手ほどきで、左手で稲を持ち、右手の鎌でサクッ、サクッと刈ってゆきます。

8つを1つの束にして去年の藁で縛ります。この縛り方が少し難しい。でも、師匠が手を取って教えてくれました。何とか出来るようになりました。

御講も素晴らしい御講でしたが、今日のスペシャルイベントは稲刈りだったなー。

85才の師匠は朝から掃除機をかけたりして、今日の準備をしていたのだと、ご長男のケンちゃんが教えてくれました。忙しく準備して、御講の前に立ちくらみがしたとか。今日の日を、心待ちにして、本当にまごころで迎えてくださったのですね。師匠の体調、心配になってしまいました。

元気でいてくれなければ困ります。田植えから数ヶ月、手入れして、見守ってくれていた師匠。今年も無事に御講が勤まり、稲刈りもできました。来年は一反くらいはやりたいです。農業のイロハを早く身に付けないと。元気でいてくださいっ!

本当に、ありがとうございます。師匠との記念写真を撮りました。いい写真。なぜかTシャツがうごく七夕まつりの沼田のTシャツでした(汗)。

ありがたいです。

日本維新の会?

名古屋から長野県飯田市に向かっています。しかし、名古屋駅の名鉄バスセンターまで来たら、10時発の飯田行が満席(涙)。次の便は11時。インターネットで予約できるみたいなので、次回からはそうします。参りましたー。

しかも、いまバスの中で荷物を席に下ろそうとしたら背中をグキッとしてしまった(涙)。もう完全におじさんだな。トレーニングし直さないと。

まだまだ負けられません。特に、いまはグチャグチャ感が満載の時代に突入しています。お坊さんが言うのは変ですが、生き残りをかけた血生臭い時代に入っていきそうな気配がプンプン。

政治が劣化しています。政治家の背比べ、誰に期待できるでしょう。

巨額の選挙資金を必要とするのはおかしいですが、アメリカの大統領選挙のように2年近くかけて選ばれる大統領は強くなります。派閥の論理や頑迷な長老の思惑で誕生する国家のリーダーなど力が無くて当たり前。むしろ、ここまで飽和して劣化すると、国家の舵取りに致命的な過ちを犯す可能性もあります。

旧知の水戸先生が民主党を離党して日本維新の会に合流すると聞いて、驚きました。全く知らなかったのですが、私の本の書評をホームページの日記に書いてくださったので、お礼のメールをお送りした直後のこと。増税の前にやることがあるだろうとか、民主党の中にあって突出した執行部への批判をされていたのでそんなことについてやりとりしていたのですが。本当に、驚きです。さて、どうなるのでしょうか。

私にとっての水戸先生は、どこにも偏らない、欲深さのかけらもない、国会議員としての驕りも全く感じられない方でした。でも、今回のことは、驚きました。

今日、教区御講を奉修させていただいたら、稲刈りをします。私の農業の師匠・久保田さんのお宅での御講です。春に植えた稲が、実ってくれているかなー。

ありきたりですが、稲穂といえば、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」かな。慇懃無礼じゃいけません(笑)。

高速道路を走っている時間を利用して、思うままに書いてしまいました。

2012年9月11日火曜日

家族の力

夜の住職御講も無事に終わりました。昼間は御講席で大井松田の方まで行かせていただいたのですが、とにかく空が大きくて、綺麗でした。清々しかったです。

夜の住職御講の後、とても嬉しい面会をいただきました。僕は朝の8時半のご面会だとばかり思っていたのですが、夜の8時半でした(汗)。

お話を聞いて、2年越しの現証の御利益に感激しました。2年前、ご相談をお受けしました。ご家族の中のことで、大きなトラブルを抱えておられました。

他寺院の方でしたが、切羽詰まっておられる状態に、とにかくお話をお聞きしました。そして、失礼なことを申し上げたかもしれません。ご家族のこと、ご回向のこと、ご祈願のことなどをお伝えしました。

今日、2年間、ご宝前で、そのご祈願、ご回向を続けておられたことを知りました。そして、どうしようもないところまで行っていたことが、妙不可思議な経路を辿って、ご家族みんなの御利益に変わっていました。家族の力です。諦めなかったご家族の力でした。とてもありがたいです。

ありがとうございました。

一本松との別れ

今日は、7万本あった高田松原の中で唯一残ったと言われた一本松が伐採される日。たくさんの人の勇気や希望となり、何度となくその勇姿を見上げました。

保存には諸手を挙げて賛同できかねますが、伐採される前に、清顕師が御題目をお唱えし、一座の法要を勤めてくださいました。

秋山ご住職の手配で、伐採の業者の方も手を止めて下さり、一本松の目の前でお参りがらできたとのことでした。また、かけがえのないご奉公をいただきました。

一日中、本当に、ありがとうございました。

高田FC 仮設グランド

陸前高田の清顕師からメールが届きました。東日本大震災から1年半。清顕と清朋が頑張ってくれています(涙)。ありがたい。

今朝、4時に着いて仮眠の後、そのまま二ヶ所の大塔婆のお参りをしてくれました。

そして、秋山ご住職が菅野さんたちと進めておられる高田FCの仮設グランドの地鎮式を奉修してくださいました。

子どもたちの笑顔をために、本当に、ここまで来たのですね。柴田社長自らローラーを引いていたと聞いていましたが、もう立派なグランドです。

地鎮式の後、柴田建設でのお助行、高田活版へのご挨拶が終わったそうです。切り倒される一本松へも行くと言っていたけど、どうしたのかな?

とにかく、気をつけて帰ってきてください。

ありがとうございます。

1年6ヶ月目

日曜日は長寿者御礼御講、敬老松風大会。昨日は平塚上行寺で布教区の交流口唱会。講義をさせていただきました。夜は事務局会議。

何とか、何とか持ちましたが、ヘロヘロですー。

今日は東日本大震災から1年6ヶ月目。兼子清顕師と清朋師に陸前高田まで行ってもらいました。事務局会議の前に横浜を出発して、朝の4時に着いたとのこと。コツコツと毎月続けてゆくご奉公、有難いです。無事に帰山するように、ご祈願しています。

これから妙深寺の本堂でも例月の口唱会です。今日は米国同時多発テロの起きた日でもあります。ご回向、ご祈願、いろいろな思いを込めて、ご奉公いただきます。

終了後、法正寺の澤田御導師による講義をいただきます。私は教区御講で出なければなりませんが。

よろしくお願いいたします。この数日、体調が戻りませんが、頑張ります。明日は長野です。

ありがとうございます。

2012年9月8日土曜日

横浜港の景色

今日は布教区の会議でした。ひどい頭痛だったのですが、横浜港を眺めていたら、少し良くなりました。

横浜港。この景色、美しいですね。

2012年9月7日金曜日

耳を澄まして

園美さんの手術が無事に終わり、よかったです。たくさんのお助行、ありがとうございます。

3席目の教区御講、始めてのお席主となった87才の矢田さんから、シベリア抑留生活についてお聞きしました。

昭和20年10月の護持御本尊。お母さまが、絶対に戦死していないと信じて、日晨上人にご染筆をお願いされたそうです。そして、長い抑留生活から帰国。本当に、有難いお話でした。

今夜は19時半から局長室会議です。

部屋の中を静かにしてみると、窓の外から虫たちの大合唱が聞こえました。しばし、耳を澄まして、目を閉じてみました。本当に、生きているって、すばらしいです。

教区御講と園美さんの手術

今日は妙深寺の教区御講。激しい雨の後、不思議と暑さが和らいで過ごしやすい日になりました。

御法門の中で、本成寺でお聞きした須田さんのお話をご紹介させていただいています。「お罰とお折伏」。そこが有難いと言えるご信心。見習わせてもらうことがいっぱいです。

今日はこの後も夕方まで御講席ですが、13時から園美さんの手術です。御講の中で、ご祈願言上させていただきます。恒潤師、始まりと終わり、メールで教えてくれるかな。よろしくお願いします。

2012年9月6日木曜日

法友

ちょうど20年前、本山に止宿させていただきいて、佛立教育専門学校に通いながら約20名の同窓生と修行していました。

昨日、その多くが晋位晋山式に参列していて、昨夜は一番親しい仲間と食事をしました。ただの友人ではない、いわば法友です。いろいろな話をさせていただいて、本当にありがたかったです。

いま、支庁・布教区弘通参与合同会議が終了しました。横浜に戻ります。明日から教区御講が始まります。

今年もいよいよ大詰めですー

いよいよ「今年最後」のご奉公が続き、「よいお年を」というご挨拶をさせていただくようになりました。 今年最後の教区御講を終えた日曜日の夕方、横浜ランドマークタワーのスタジオで白井貴子さんをゲストにお迎えしてラジオの収録を行いました。ずっと聴いていたいほど大切なお話が盛りだくさん。 ...