2012年9月2日日曜日

「坂本龍馬と仏教」

宗教・文化を対象とする新聞・中外日報さまの「論・談」というコーナーに寄稿する機会をいただき、8月末の紙面に掲載していただきました。

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「坂本龍馬と仏教」

「慶応3(1867)年の末、坂本龍馬は京都・近江屋の階上で兇刃に斃れた。彼が率いた海援隊は約半年後に解散。薩長同盟や船中八策、大政奉還など、歴史の舵を切った龍馬の生涯は今や多くの日本人が知っている。だが、龍馬や海援隊の名は彼の死後十数年間は幕末・維新の喧噪の中に消えていた。

龍馬の復活は、明治16(1883)年に刊行された『天下無双人傑・海南第一伝奇・汗血千里駒』による。これは彼を自由民権運動の象徴的人物として描いたもので、単行本化されると50版を重ねる大人気作となり、その名を全国に知らしめた。

さらに日露戦争開戦前夜の明治37(1904)年2月6日、「坂本龍馬」を名乗る浪士が葉山に避寒していた明治天皇皇后の夢枕に現れ、日本海軍の勝利を誓うという出来事が起こる。その真偽は定かでないが、これが当時の全国紙に載り、国威宣揚の一助となった。龍馬は護国忠臣の鑑となり、日本史における地位を不動のものにした。

龍馬は自由民権運動の推進や国威宣揚など、社会情勢に従って復活した。そこには誤解や誇張もあり、それらを是正しようと多くの研究者たちが龍馬の手紙や資料の収集と研究を進めた。だが、海援隊の公開出版物への研究はほとんどなされなかった。

海援隊にとって文書による教育・啓蒙活動は海運や開拓以上に重要な事業で、後に第2代隊長となる長岡謙吉が「船中八策」「新政府綱領八策」などの龍馬の思想を筆記・明文化した。公開出版物には『閑愁録』『和英通韻以呂波便覧』『藩論』の3冊があると言われる。

『閑愁録』は海援隊発足直後、慶応3年5月の出版。「龍馬の英語入門書」と呼ばれる『和英通韻以呂波便覧』は龍馬暗殺から約半年後、長岡のもとで出版された。『藩論』は龍馬の政見を述べたものとされ、その死から約1年後に出版された。これは現代政治にも通じる秀逸な内容の論文だ。

ただし、この『藩論』には「海援隊」「坂本龍馬」「長岡謙吉」の名前は出てこない。様々な状況から龍馬や海援隊と結びつけられた出版物で、3冊の中で「海援隊蔵版」と題名の横に大書されているのは『閑愁録』と『和英通韻以呂波便覧』の2冊、龍馬生存中に出版されたものに至っては『閑愁録』しかない。

ところが、その他の著書が「龍馬が口述し、長岡が文章にした」と言われるのに対し、『閑愁録』だけは「長岡が書いたもの」とされ、龍馬から意図的に遠ざけられてきた。なぜか。これこそ明治維新の誤謬であり、その後、廃仏毀釈や軍国主義の道を歩む、日本を呪縛した狂気の片鱗であると考える。

龍馬存生中に出版された『閑愁録』の内容とは、仏法によって国家を繁栄させ、国民を安穏ならしめようと訴えたものである。

この思想は、岩倉具視をはじめとする明治新政府の権力者らにとって不快極まりないものであった。岩倉の周囲には平田篤胤を奉ずる極端な復古神道主義者たちがおり、事実、新政府は神仏分離や廃仏毀釈を断行する。

こうして維新回天の英雄・龍馬や海援隊の思想は闇に葬られた。そして、『閑愁録』の内容が分かっていても「長岡が勝手に書いたもの」とされてきたのである。

自由民権運動の闘士たちにとっては、龍馬は封建主義の象徴のごとき仏教とは縁遠い人であったと思いたかったであろうし、国家主義が台頭する中では龍馬は軍神として国家神道に近い存在でなければならなかった。さらに戦後は不偏不党かつ無宗教の社会主義者のように語られた。

だが、龍馬の思想の核心は長らく歴史の闇に埋もれていた。実は明治2年5月13日、本門佛立講(現・本門佛立宗)の開導・長松清風がこの『閑愁録』を絶賛した記録が残っている。

清風の遺した著書の中に「此書、京都御府御聞済ニ成テ、出板ス、己レ清風、今年五月十三日、書肆平楽寺ニテ、此書ヲ求メ得タリ、外ニ高野山、會議所ヨリ出ス、勧誡状ト云書モ、同類ノ書ニテ得タレ共、明ル夜平楽寺ヨリ帰ヘシクレヨト、モテカヘレリ、後ニ聞ケハ。其ハ願済ニナラザルニテ、板木トモ、京都御府ヘ召シタリト云リ」とある。

当時、京都には廃仏毀釈の嵐が吹き荒れており、清風が手にした『閑愁録』も仏教を讃える内容であるため、翌日には京都行政府によって出版差し止めとなった。

ここに詳述するには紙面がないが、龍馬らが説いたのは「仏法ハ天竺ノ仏法トノミ言ベカラズ、乃皇国ノ仏法ナリ」「仏日ノ滅没ハ皇道ノ衰運ニ係ル」「此ニ卑見ヲ録シテ謹テ明識高 ノ指示ヲ待ツ、希クハ天下万霊ノ為ニ、慈悲ノ法教ヲ垂レヨ」というものだった。

これはいわば仏教界に対する公開質問状であった。開国に伴いキリスト教が侵食してくることに備えなければならないが、寺院は形骸化し、僧侶らは宗門行政にのみ終始して本来の使命を忘れている、仏法こそ国家を保護する大威力があることを僧侶自身が忘れているではないか。そう龍馬らは説いたのである。

清風は「清風此二篇ノ所詮ヲ見ルニ、閑愁録云、○人情時世ニ合ヒタル甚深不可思議ノ法教ヲ垂レヨ、○天竺ノミノ仏法ニ非ズ、皇国ノ仏法ナリ、天下ノ乱レハ、仏法ノミダレヨリ起コルノ説、宗祖ノ安国論ノ御説ニ合ス」として当時無名だった海援隊の主張に対して「宗祖日蓮が著した『立正安国論』の説に合致している」と至上の賛辞を送った。

天下の乱れは仏法の乱れによって起こる、人の心が乱れれば天地のバランスも崩れていく。今こそ、正しい仏法、生きた仏教によって、この国、この国の人々の心を満たすべきではないか。この主張こそ、日蓮と龍馬、海援隊に共通する思想であったと私は考えている。

東日本大震災以降、わが国は国家の存亡を賭けた復興の渦中にある。震災後、日本人の新たな幸せの価値観が問われているが、残念ながら、そうした問いは先送りされている感が強い。

その意味でも『閑愁録』に埋もれてきた龍馬らの真実のメッセージを読み解き、仏教の可能性を再確認するべきと考える。一人の心が仏教によって豊かになれば、世界は必ずよりよく変わっていく。仏教こそ世界を救い、この国を救うと確信している。」

写真は梅田の紀伊國屋さん。歴史コーナーで平積みしていただいていると清耀師が教えてくださいました。

ありがとうございます。

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