2019年8月22日木曜日

宮沢賢治と日蓮展






昨日、京都新聞さまが「宮沢賢治と日蓮展」について記事を掲載してくださいました。ありがとうございます。


9月21日は賢治さんの祥月命日。86年前、1933年9月21日に亡くなられた国民的童話作家、宮沢賢治。


京都佛立ミュージアムの「宮沢賢治と日蓮展」では、その作品の根底に法華経信仰、日蓮聖人への信仰があったことを、あらためて丁寧にお伝えしたいと思って開催しております。。


丁寧に、12のコーナーに分けているのは、それを上から押しつけるのではなく、賢治さんの生涯や作品(童話、詩、絵画)、そして「雨ニモマケズ」手帳までを丁寧に展示した上で、賢治さんと日蓮聖人、法華経のつながりについて考察していただけるようになっています。


現在、日蓮聖人の教えを奉じる門下は2021年(本門佛立宗は2022年)に迎える日蓮聖人ご降誕800年に向かって慶讃ご奉公を進めています。


賢治さんはちょうど100年前に親友の保阪嘉内に宛てて手紙を書いています。


1921年2月上旬、賢治さんは保阪嘉内に宛てて手紙を書きました。

 

「今月の十六日は大聖人御誕生七百年の大切な大切な日です。それ迄に一寸お出になられませんか。汽車賃は私が半分出します。」


賢治さんは、日蓮聖人の御降誕700年にあたり、電車賃を半分出すとまで申し出て将引※していたのですね。


(※「将引」とは法華経の中にある言葉で「若し一人を勧めて将引して法華を聴かしむることあって言わん。此の経は深妙なり、千万劫にも遇い難しと。」という教えに則り、友人を誘って法華経を聴かしめることを言います。)


世に知られている様々な作品にも日蓮聖人の教えが隠されています。


「銀河鉄道の夜」には「身延山御書」の教え。有名なサソリは日蓮聖人が説いた狐のことであり、「春と修羅」にも日蓮聖人の「観心本尊抄」の一節から想起された詩句が記されています。


『辞世の句』

「病(いたつき)のゆゑにもくちんいのちなり みのりに棄てばうれしからまし」


これは日蓮聖人『佐渡御勘気抄』の一節である「いたづらにくちん身を、法華経の御故に捨まいらせん事、あに石に金をかふるにあらずや。」と符合するものです。もちろん「符号」ではなく賢治は信仰者として日蓮聖人の聖句をいただかれていたのでしょう。


賢治が法華経と日蓮聖人を敬愛していた究極の証左は、実物展示の国訳『妙法蓮華経』です。


賢治は臨終に際して法華経を1000部印刷出版して友人知人に配布するように願い、父の政次郎はそれを実行しました。その一冊を展示しています。


その「あとがき」に記された一文は下記のとおりです。


「私の生涯の仕事は此経をあなたのお手元に届け、

そしてその中にある佛意に触れて、

あなたが無上道に入られんことを御願ひする外ありません。

昭和八年九月二十一日 臨終の日に於て 宮沢賢治」


今回の企画展の究極の展示物は、本邦初公開となる「法華堂建立勧進文」です。


昭和3年、宮沢賢治の叔父・宮澤恒治や町内の有志は、岩手から絶えてなくなっていた法華経を奉ずる寺院を再建しようと発願。恒治は賢治に寺院建立の賛同者(寄進者)を募る文章作成を依頼。これに応えて書かれたのが『法華堂建立勧進文』です。賢治さんはわずか一両日でこの文章を書き上げたといいます。


ほんの僅かな日数で書かれた文章ですが、賢治の日蓮聖人への信仰と造詣の深さが、賢治独特の美しい文体で著された他に類を見ない名著と言えます。


今回、実物が展示されるのは初めてのことになります。


これから季節は夏から秋へ。


是非、錦秋の京都へお越しの際には京都佛立ミュージアムの「宮沢賢治と日蓮展」へお立ち寄りください。


ありがとうございます。

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