「人生は百年に足らず。汚名は千載を待つとも取り返しはつかず。」
吉川英治の『三国志』にある言葉です。
先日、ミュージアムの学芸員室に置いていた膨大な本を麩屋町の二階に運びました。『仏教徒 坂本龍馬』や幕末関係の企画展に使用した歴史資料。本当に膨大な量です。
歴史の本は様々な角度から史実を知るために必要で、調べているだけで楽しいものです。
もう一つの楽しみが歴史書には「人間の典型」というか「人生の典型」が発見できて、そこから多くを学べること。
いろいろな時代に、生きていた人たち。
百年足らずの人生の、様々な所作振る舞い、様々な性格、様々な成功と失敗、問題や課題。
先の言葉は『三国志』の主要人物の言葉ではなく、満龍が徐晃という武将に語った言葉です。
「人生は百年に足らず。汚名は千載を待つとも取り返しはつかず。」
これも一つの人間の典型、こういうことを考えて、こういう思想をもって生きていたんだなー、という感慨を抱きます。
日蓮聖人の『報恩抄』の一節は座右に置いて拝すべき人生訓、信行観です。
「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」
楽な環境、楽なポジションで修行するよりも、問題の多いこの娑婆で、困難な環境で一日修行することの方が尊い、功徳になる、という教え。
だから、今なんだ、ここなんだ、と立ち向かう勇気が湧いてくる。
好き嫌いで言えば好き、損か得かで言えば得な方、楽か面倒かで言えば楽な方ばかりを選んでいたら、「なんのこっちゃ」ということになりかねません。
「気持ちいいことだけやっていこう」と思っても、それだけだともったいないのも事実だから。
極楽百年よりも娑婆の一日。
人生はテレビやネットに流れているフィクションのようなことでは済まないから、人間の失敗や成功が赤裸々に、如実に表れている歴史から学ぶことが大切だと思います。
息子にも言っていますが「なんとか史観」などではなく、歴史の中から人間の典型を学び、人間を知り、人間を磨き、人間力を高めてもらいたい。
今生人界。限られた時間、たった一度の人生だからこそ。
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