明日は師父・松風院日爽上人の祥月ご命日。
21年が過ぎました。
この数日、父のことを想い、想って、想って、想って、少しおかしかったかな。
厳しい師であり、最愛の父でした。
60才の誕生日を迎えて、8ヶ月後に亡くなられました。
あまりにも早い別れでした。
しかし、もし、あの時、亡くなられていなければ、私は教務を辞めていたと思います。
ですから、見方を変えれば、私が死なせてしまったと思っています。
先住は、いつも命がけで、私を導いてくださいました。
平成5年と平成12年。
それはきっと僕のような愚かな者を教え導くためでした。
本当に短い時間でした。
実際に語り合ったり、一緒に過ごした時間なんて、驚くほどほんのわずかでした。
でも、強烈で、鮮明で、永遠の想いがあります。
1991年の写真。今の僕と同じ年。
この書斎のテーブルの上、文箱の中に、どこかのコースターの裏に書いた、私宛のメモがありました。
私宛なのか、どうかすら分からないですね。
僕の名前、「長松清潤」としての文章。
最後の入院の前に、きっと細くなった腕、震える手で書いていたから、誤字があります。
そして、自分の顔を切り抜いた写真が添えてありました。
忘れないように、忘れないように、生きます。
相変わらずバカですが、また会えるように、なんとか頑張ります。
南無妙法蓮華経ー。
0 件のコメント:
コメントを投稿