はじめて、会った日。2011年4月29日。陸前高田の高寿園。たくさんの方々が避難されていた避難所でした。
佐々木松男さんからお声をかけていただき、ずっとお食事もままならなかった皆さまに向けて1000名規模の炊き出しをさせていただいた日。
松男さんのご子息・高志さんには、細々とした手配や裏方でのサポートをいただいて、そして、炊き出しをする高寿園の、テラスの角でお会いしたのでした。
東日本大震災から、今月で2年9ヶ月。昨日、月始総講に高志くんがお参詣してくださいました。妙深寺の、震災以来の支援について、自分の口から直接お礼が言いたいと、岩手からわざわざお参詣してくださったのでした。そして、本当に236名のお参詣の皆さんに対し、丁寧なお礼の言葉をいただきました。胸がジーンとしました。
実は、高志さんは10月1日に大変な手術をしました。脳腫瘍の手術と聞いて、僕たちは慌てました。何も出来ないけれど、遠くからでも、しっかり、しっかり、高志くんのために、ご祈願させていただこう!秋山ご住職と話をしました。
秋山ご住職は病室の高志くんを訪ねて、話をしてくださいました。みんなの思い、みんなの願い。
無事に手術が終わり、こんなに早く会えるなんて、思ってもいませんでした。しかも、妙深寺までお参りしてくださるなんて。懐中御本尊さまを大切に胸に掛け、お数珠をお持ちしている姿に、思わず手を合わせました。本当に有難いです。
はじめて、会った日。高田の街は壊滅していました。唯一の希望は、みなさんとの出会いであり、皆さんの笑顔でした。それを見るために、必死に通い、必死に出来ることをさせていただこうと励んできました。
あの日、はじめて会った高志くんと、こんな風に人生が交差して、こんな風に握手できる幸せを思います。
忌まわしい大災害。でも、もがきながらも、真っ正面から受け止め、そこから学び、気づき、みんなで乗り越えようとした2年9ヶ月。素晴らしいご縁、かけがえのないご縁が、たくさん生まれました。
負けてなるものか。忘れてなるものか。
高志くん、ありがとうございます。はじめて会った日、陸前高田の空に、ハート型の雲が浮かんでいたんです。リーダーの謙志くんが撮ってくれていました。
あの日の僕たちを、空から見てくれている気持ちがしたり、応援してもらっている気持ちがしたり、褒めてくれている気持ちがしたりしました。感動しました。今もずっと続いています。
高志くんのお参詣、ハート型の雲。有難いです。
2013年12月2日月曜日
2013年12月1日日曜日
『精一杯を取り戻す』 妙深寺報 平成25年11・12月合併号
環境が整うと人間ボーッとするものです。
便利な世界、何でも揃っていて、至れり尽くせりの、安全な環境。誰もが夢に描く幸せな暮らしは、実際に自分にとってプラスとなるでしょうか。なかなかそうはいきません。
三食昼寝付きで、若い女の娘に傅かれ、呼べば必ず応えてくれる、誰かが飛んできてくれる。そんな環境はないかしらと探してみたら、「病院」しかなくなります。
ワゴンで三食を運んでくださり、若い看護師さんがお世話くださり、枕元のボタンを押せばナースステーションから必ず声が返ってくる、どなたかが来てくださる。
いくら便利で快適と言われても、自分から進んで病気になり、入院したいと思う人がいるでしょうか。
人間は幸せな環境を追い求めて生きるものですが、実際にそれが幸せをもたらすかは分かりません。
今や世の中は便利になりました。しかし、不便な時代よりも圧倒的に人間は弱くなりました。
お年を召した方、身体の弱い方、病気の方が、不自由なく、安全に暮らせる社会は必要です。しかし、そんな社会を作ってみたら、元気な人まで弱くなってしまいました。緊張感や向上心、持久力まで失う。これが現代社会の矛盾です。
「バリアフリー」は優しい世の中を象徴する言葉でした。しかし、これに慣れると逆に老化が進み、ほんの小さな段差で転んでしまうお年寄りが増えたというのです。体力も、気力も、奪われてしまう。最近では、「バリアアリー」を取り入れる施設や「引き算の介護」という概念が生まれています。
福祉ジャーナリストの村田幸子さんは、上げ膳、据え膳は御法度、安全主義に徹していると生命力が輝かなくなるとお話されています。適度な負荷と運動が大事なのです。
便利な社会で活力を失っている若者がたくさんいます。朝は眠いものです。二度寝をして遅刻した経験など、誰にでもあるものです。
しかし、枕元で目覚まし時計が鳴っているのに、全く止めようともせずに寝入っているのはどうでしょう。あまりにも疲れ果てて、深い眠りについているというわけではないのです。安全な環境の中で生きていると、危険を察知する機能が低下するか、回路が切れてしまうのかもしれません。毒虫が往来する地域やアフリカの草原では生き残れません。
恐怖がない。怖いことがない。目の前に生命を脅かすことがない。あるのは、自分が求めた時にだけ二次元の世界から取り出す知識や情報ばかりです。鍛えようもなく、それでもいけてしまう。これでは、心身のバランス、内的世界と外的世界の折り合いがつかなくなるに決まっています。
何よりもかけがえのない生命。生きている間にだけ許されていることがたくさんあるものなのです。「今しかない」「今しか出来ない」と思って、もっともっと動くこと、生命を輝かすために、便利さや、快適さや、安全の中で満足せずに、向上心を持ち、失敗しても挑戦し、体験してゆくべきです。それこそ、生きている価値です。
「少年老い易く、学成り難し」と言いますが、「中高年も老い易く、学成り難し」のはずです。人間は生涯勉強であり、生きている間は成長することが出来るはずです。年齢にマッチした適度な向上心を持って、生命を輝かせてください。
日本に比べてスリランカという国はまだまだ不便な国です。ですから、いろいろな面で、不便だと強くなり、便利になると弱くなるということを、二つの国を比べて感じることがあります。
八年ほど前、コロンボで九三才の上座部仏教の高僧とお会いしました。その方は名刺を渡しながら、
「これは私のメールアドレスです。最近パソコンを始めてね。相棒はコンパック。メールをくださいね。」
と言いました。生きている間に、世界中の人と出会い、交流しようという情熱、その飽くなき向上心に心底驚きました。
スリランカに限らず、今生人界にいる間の可能性を、毎日毎夜、時々刻々と大切に、鍛錬している方を見受けると感激します。
私たちの開導聖人も、そもそもそのような御方でした。一年前に書いた文章を見ると少しまだ甘い、と七十才を過ぎても自身の成長を俯瞰してご覧になった御方でした。こんな生き方、すてきです。
若年寄のようになるのは、生命に関して甘いか、安全で、快適な環境に甘んじたか、誰かに甘えているか、のいずれかです。生きている間、私たちは無限の可能性を持っています。それを使わぬ手はありません。
今日も、精一杯生きられたか。お仕事でもお勉強にしても、家庭のことであっても、「いつかする」「徐々にやる」「今度やってみる」と言うのは簡単ですが、結局いつまで経っても出来ない、やらない、ということが多いのです。これは生命の可能性を自ら奪ってしまう、勿体ない選択です。
便利で快適で安全な世界の中で、精一杯やるという気持ちが薄れて、精一杯生きよう、学ぼう、働こう、尽くそう、耐えよう、頑張ろう、という気持ちが弱くなるのは残念です。その罠から抜け出さなくてはならないと思います。
スリランカ南部のゴールという街に、ナンダさんという六十代の女性がいます。彼女は様々な問題を抱える中でお教化され、御本尊をご奉安、御題目によって見事な御利益をいただかれました。
御利益をいただいた後、彼女は御法さまに助けていただいたことを忘れず、御講には必ずお参りし、ご奉公を欠かさなりました。
しかし、このナンダさん。家の近くに大きな川があり、その川には橋が架かっていません。つまり、毎回お参詣する時には、川に入り、川を渡って来なければ、お参詣することが出来ないのです。あまりにもすごいお話で、聞いた直後はピンと来ませんでした。
日本では、橋の架かっていない場所に住んでいる方は滅多にいません。その不便さを乗り越えて、お参りとご奉公を続けておられる。本当に、負けてしまいます。
その光景が思い浮かばなかったので良潤師に写真を送ってもらいました。みんな川に入ってお助行に伺っていました。
御教歌
そろそろと改良せんといふものゝ
死んで参詣すると思ふか
今年も終わりが近づいています。さて精一杯生きられたでしょうか。今こそ精一杯を取り戻しましょう。
便利な世界、何でも揃っていて、至れり尽くせりの、安全な環境。誰もが夢に描く幸せな暮らしは、実際に自分にとってプラスとなるでしょうか。なかなかそうはいきません。
三食昼寝付きで、若い女の娘に傅かれ、呼べば必ず応えてくれる、誰かが飛んできてくれる。そんな環境はないかしらと探してみたら、「病院」しかなくなります。
ワゴンで三食を運んでくださり、若い看護師さんがお世話くださり、枕元のボタンを押せばナースステーションから必ず声が返ってくる、どなたかが来てくださる。
いくら便利で快適と言われても、自分から進んで病気になり、入院したいと思う人がいるでしょうか。
人間は幸せな環境を追い求めて生きるものですが、実際にそれが幸せをもたらすかは分かりません。
今や世の中は便利になりました。しかし、不便な時代よりも圧倒的に人間は弱くなりました。
お年を召した方、身体の弱い方、病気の方が、不自由なく、安全に暮らせる社会は必要です。しかし、そんな社会を作ってみたら、元気な人まで弱くなってしまいました。緊張感や向上心、持久力まで失う。これが現代社会の矛盾です。
「バリアフリー」は優しい世の中を象徴する言葉でした。しかし、これに慣れると逆に老化が進み、ほんの小さな段差で転んでしまうお年寄りが増えたというのです。体力も、気力も、奪われてしまう。最近では、「バリアアリー」を取り入れる施設や「引き算の介護」という概念が生まれています。
福祉ジャーナリストの村田幸子さんは、上げ膳、据え膳は御法度、安全主義に徹していると生命力が輝かなくなるとお話されています。適度な負荷と運動が大事なのです。
便利な社会で活力を失っている若者がたくさんいます。朝は眠いものです。二度寝をして遅刻した経験など、誰にでもあるものです。
しかし、枕元で目覚まし時計が鳴っているのに、全く止めようともせずに寝入っているのはどうでしょう。あまりにも疲れ果てて、深い眠りについているというわけではないのです。安全な環境の中で生きていると、危険を察知する機能が低下するか、回路が切れてしまうのかもしれません。毒虫が往来する地域やアフリカの草原では生き残れません。
恐怖がない。怖いことがない。目の前に生命を脅かすことがない。あるのは、自分が求めた時にだけ二次元の世界から取り出す知識や情報ばかりです。鍛えようもなく、それでもいけてしまう。これでは、心身のバランス、内的世界と外的世界の折り合いがつかなくなるに決まっています。
何よりもかけがえのない生命。生きている間にだけ許されていることがたくさんあるものなのです。「今しかない」「今しか出来ない」と思って、もっともっと動くこと、生命を輝かすために、便利さや、快適さや、安全の中で満足せずに、向上心を持ち、失敗しても挑戦し、体験してゆくべきです。それこそ、生きている価値です。
「少年老い易く、学成り難し」と言いますが、「中高年も老い易く、学成り難し」のはずです。人間は生涯勉強であり、生きている間は成長することが出来るはずです。年齢にマッチした適度な向上心を持って、生命を輝かせてください。
日本に比べてスリランカという国はまだまだ不便な国です。ですから、いろいろな面で、不便だと強くなり、便利になると弱くなるということを、二つの国を比べて感じることがあります。
八年ほど前、コロンボで九三才の上座部仏教の高僧とお会いしました。その方は名刺を渡しながら、
「これは私のメールアドレスです。最近パソコンを始めてね。相棒はコンパック。メールをくださいね。」
と言いました。生きている間に、世界中の人と出会い、交流しようという情熱、その飽くなき向上心に心底驚きました。
スリランカに限らず、今生人界にいる間の可能性を、毎日毎夜、時々刻々と大切に、鍛錬している方を見受けると感激します。
私たちの開導聖人も、そもそもそのような御方でした。一年前に書いた文章を見ると少しまだ甘い、と七十才を過ぎても自身の成長を俯瞰してご覧になった御方でした。こんな生き方、すてきです。
若年寄のようになるのは、生命に関して甘いか、安全で、快適な環境に甘んじたか、誰かに甘えているか、のいずれかです。生きている間、私たちは無限の可能性を持っています。それを使わぬ手はありません。
今日も、精一杯生きられたか。お仕事でもお勉強にしても、家庭のことであっても、「いつかする」「徐々にやる」「今度やってみる」と言うのは簡単ですが、結局いつまで経っても出来ない、やらない、ということが多いのです。これは生命の可能性を自ら奪ってしまう、勿体ない選択です。
便利で快適で安全な世界の中で、精一杯やるという気持ちが薄れて、精一杯生きよう、学ぼう、働こう、尽くそう、耐えよう、頑張ろう、という気持ちが弱くなるのは残念です。その罠から抜け出さなくてはならないと思います。
スリランカ南部のゴールという街に、ナンダさんという六十代の女性がいます。彼女は様々な問題を抱える中でお教化され、御本尊をご奉安、御題目によって見事な御利益をいただかれました。
御利益をいただいた後、彼女は御法さまに助けていただいたことを忘れず、御講には必ずお参りし、ご奉公を欠かさなりました。
しかし、このナンダさん。家の近くに大きな川があり、その川には橋が架かっていません。つまり、毎回お参詣する時には、川に入り、川を渡って来なければ、お参詣することが出来ないのです。あまりにもすごいお話で、聞いた直後はピンと来ませんでした。
日本では、橋の架かっていない場所に住んでいる方は滅多にいません。その不便さを乗り越えて、お参りとご奉公を続けておられる。本当に、負けてしまいます。
その光景が思い浮かばなかったので良潤師に写真を送ってもらいました。みんな川に入ってお助行に伺っていました。
御教歌
そろそろと改良せんといふものゝ
死んで参詣すると思ふか
今年も終わりが近づいています。さて精一杯生きられたでしょうか。今こそ精一杯を取り戻しましょう。
班長さん、ありがとうございます。平成25年12月 役中テキスト
ありがとうございます。
十二月は別名「極月(ごくげつ・ごくづき)」と呼ばれます。「師走」という呼び方は平安時代からのことで、その名の通り僧侶(師)が仏事で走り廻る忙しさに由来にしていると言います。
僧侶が忙しいかどうかは別として、日本人は平安の昔から一年の終わりを仏さまに感謝して、無事に新年が迎えられることを祈って、ご先祖さまをご回向して過ごしてきたのです。現代に生きる私たちも、こうして過ごすことの大切さを思い直さなければいけないと思います。
みなさんの十二月。自分も家族も、周りのご信者さんにも、年末の御礼と、越年迎春のためのご祈願参詣をしっかりと勧めましょう。年末の忙しさに追われて、一番大切なことを忘れないように、忘れたままにさせないようにご奉公させていただきましょう。
十一月のスリランカ開教十五周年記念団参。無事にご奉公させていただくことが出来て、本当に有難かったと思っております。
教区御講でご披露させていただきましたが、参加された方々はスリランカのご信者さまと触れあって、様々なことを感じたそうです。
たとえば、スリランカのご信者さんたちが、相手の目を見て、「ありがとうございます」とご挨拶されると、感激した声を聞きました。考えてみると、私たちも同じようにご挨拶をしているのに、本当に相手の目を見ているか、しっかり「ありがとうございます」と言えているか、考えさせられたと言われたのです。この大切な言葉やご挨拶を軽くしていないか。「あざーす」などと省略して言っているようでは恥ずかしい限りなのです。
考えてみると、外国の人にとっては「南無妙法蓮華経」と同じように、「ありがとうございます」も自分の国の言葉ではありません。きっと御題目と同じくらい大切な言葉として、「ありがとうございます」を「お唱え」しているのかもしれません。ブラジルのコレイア御導師をはじめ、海外の方々は握手しながら「ありがとうございます」とご挨拶してくださいます。すてきなご挨拶、握手も、笑顔も、みんなで見習おうではありませんか。
また、青年会の益美ちゃんはコロンボ別院に宿泊して準備ご奉公をしてくれていました。どんなことに感動したか聞くと、素晴らしい法要ではなく、スリランカの青年会の女の子たちが、「あ、私まだお看経をしていないわ」と言って、女の子五人で、御導師役をケネカちゃんがして、ごく自然にさせていただいたお看経が、何とも有難かったとのことでした。国も、言葉も、人種も違うのに、ごく普通にできたお看経。一緒にお唱えできる御題目。やっぱりこのご信心は本物だ、すごいんだ、と感激したと話してくださいました。本当に有難いです。
教区御講の御法門でご紹介いたしましたが、ゴール市に住むナンダさん(六〇才)の家の近くには、大きな川が流れています。その川には橋が架かっていません。
ナンダさんは、このご信心で御利益をいただき、助けていただいたことを忘れず、御講の時は必ずお参詣されるのですが、お参詣をするということは、橋の架かっていない川の、水の中に入って、渡るということです。この意味が、インフラの整った日本に住む私にはすぐに理解できませんでした。すごいです。日本では、橋の架かっていない場所に住んでいる方は滅多にいません。その不便さを乗り越えて、お参りとご奉公を続けておられる。本当に、負けてしまいます。
十二月の教区御講の御教歌です。
「そろそろと改良せんといふものゝ 死んで参詣すると思ふか」
今年も二度と戻らない一年です。永遠の時の中にある、二度と戻らない一年。十二月。今日です。
悔いの無いように、毎日、毎年、精一杯のご奉公をさせていただきましょう!
十二月は別名「極月(ごくげつ・ごくづき)」と呼ばれます。「師走」という呼び方は平安時代からのことで、その名の通り僧侶(師)が仏事で走り廻る忙しさに由来にしていると言います。
僧侶が忙しいかどうかは別として、日本人は平安の昔から一年の終わりを仏さまに感謝して、無事に新年が迎えられることを祈って、ご先祖さまをご回向して過ごしてきたのです。現代に生きる私たちも、こうして過ごすことの大切さを思い直さなければいけないと思います。
みなさんの十二月。自分も家族も、周りのご信者さんにも、年末の御礼と、越年迎春のためのご祈願参詣をしっかりと勧めましょう。年末の忙しさに追われて、一番大切なことを忘れないように、忘れたままにさせないようにご奉公させていただきましょう。
十一月のスリランカ開教十五周年記念団参。無事にご奉公させていただくことが出来て、本当に有難かったと思っております。
教区御講でご披露させていただきましたが、参加された方々はスリランカのご信者さまと触れあって、様々なことを感じたそうです。
たとえば、スリランカのご信者さんたちが、相手の目を見て、「ありがとうございます」とご挨拶されると、感激した声を聞きました。考えてみると、私たちも同じようにご挨拶をしているのに、本当に相手の目を見ているか、しっかり「ありがとうございます」と言えているか、考えさせられたと言われたのです。この大切な言葉やご挨拶を軽くしていないか。「あざーす」などと省略して言っているようでは恥ずかしい限りなのです。
考えてみると、外国の人にとっては「南無妙法蓮華経」と同じように、「ありがとうございます」も自分の国の言葉ではありません。きっと御題目と同じくらい大切な言葉として、「ありがとうございます」を「お唱え」しているのかもしれません。ブラジルのコレイア御導師をはじめ、海外の方々は握手しながら「ありがとうございます」とご挨拶してくださいます。すてきなご挨拶、握手も、笑顔も、みんなで見習おうではありませんか。
また、青年会の益美ちゃんはコロンボ別院に宿泊して準備ご奉公をしてくれていました。どんなことに感動したか聞くと、素晴らしい法要ではなく、スリランカの青年会の女の子たちが、「あ、私まだお看経をしていないわ」と言って、女の子五人で、御導師役をケネカちゃんがして、ごく自然にさせていただいたお看経が、何とも有難かったとのことでした。国も、言葉も、人種も違うのに、ごく普通にできたお看経。一緒にお唱えできる御題目。やっぱりこのご信心は本物だ、すごいんだ、と感激したと話してくださいました。本当に有難いです。
教区御講の御法門でご紹介いたしましたが、ゴール市に住むナンダさん(六〇才)の家の近くには、大きな川が流れています。その川には橋が架かっていません。
ナンダさんは、このご信心で御利益をいただき、助けていただいたことを忘れず、御講の時は必ずお参詣されるのですが、お参詣をするということは、橋の架かっていない川の、水の中に入って、渡るということです。この意味が、インフラの整った日本に住む私にはすぐに理解できませんでした。すごいです。日本では、橋の架かっていない場所に住んでいる方は滅多にいません。その不便さを乗り越えて、お参りとご奉公を続けておられる。本当に、負けてしまいます。
十二月の教区御講の御教歌です。
「そろそろと改良せんといふものゝ 死んで参詣すると思ふか」
今年も二度と戻らない一年です。永遠の時の中にある、二度と戻らない一年。十二月。今日です。
悔いの無いように、毎日、毎年、精一杯のご奉公をさせていただきましょう!
テラコヤスコラ vol.10【宮沢賢治 × 仏教】ゲスト講師:宮澤和樹氏
テラコヤスコラ vol.10【宮沢賢治 × 仏教】ゲスト講師:宮澤和樹氏
もうアップしてくれました。本当に、素晴らしいテラコヤスコラとなりました。
Ustreamよりもきれいな画質や音声で視聴いただけると思います。
よろしくお願いいたします-。
もうアップしてくれました。本当に、素晴らしいテラコヤスコラとなりました。
Ustreamよりもきれいな画質や音声で視聴いただけると思います。
よろしくお願いいたします-。
新幹線の始発ー
新幹線の始発に乗って横浜に戻ります。京都は6時14分発、新横浜駅は8時08分に到着。どんどん短縮されてます(汗)。1時間54分で着いてしまうんですねー。
眠たいけれど、京都の朝の凛とした空気は気持ちよかったです。ホームで深呼吸して、背筋を伸ばしてから、乗り込みました。
12月は、このような感じでスタートしましたー。よろしくお願いしますー。
眠たいけれど、京都の朝の凛とした空気は気持ちよかったです。ホームで深呼吸して、背筋を伸ばしてから、乗り込みました。
12月は、このような感じでスタートしましたー。よろしくお願いしますー。
『生徒諸君に寄せる』
『生徒諸君に寄せる』
生徒諸君
諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である
諸君はこの時代に強いられ率いられて
奴隷のように忍従することを欲するか
今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば
われらの先祖乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や徳性は
ただ誤解から生じたとさへ見え
しかも科学はいまだに暗く
われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ
むしろ諸君よ
更にあらたな正しい時代をつくれ
諸君よ
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山麓でなければならぬ
宇宙は絶えずわれらによって変化する
誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言っているひまがあるか
新たな詩人よ
雲から光から嵐から
透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ
新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て
衝動のようにさへ行はれる
すべての農業労働を
冷たく透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踏の範囲にまで高めよ
新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変へよ
新しい時代のダーウィンよ
更に東洋風静観のチャレンジャーに載って
銀河系空間の外にも至り
透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ
おほよそ統計に従はば
諸君のなかには少なくとも千人の天才がなければならぬ
素質ある諸君はただにこれらを刻み出すべきである
潮や風・・・・・・
あらゆる自然の力を用い尽くすことから一足進んで
(あらゆる自然の力を用い尽くして)
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ
ああ諸君はいま
この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る
透明な風を感じないのか
宮澤賢治 作
高村光太郎 宮澤清六 編
ーーーーーーーーーー
今日、宮澤和樹さんから見せていただいた、ちくま書房に掲載されている『生徒諸君に寄せる』とは異なる、断片でしなかった賢治の言葉を紡いだ、最も初期の、高村光太郎と宮澤清六氏による『生徒諸君に寄せる』。
賢治さんの、若者に向けた愛情、信念、情熱が伝わってきました。
ありがとうございます。
生徒諸君
諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である
諸君はこの時代に強いられ率いられて
奴隷のように忍従することを欲するか
今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば
われらの先祖乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や徳性は
ただ誤解から生じたとさへ見え
しかも科学はいまだに暗く
われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ
むしろ諸君よ
更にあらたな正しい時代をつくれ
諸君よ
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山麓でなければならぬ
宇宙は絶えずわれらによって変化する
誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言っているひまがあるか
新たな詩人よ
雲から光から嵐から
透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ
新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て
衝動のようにさへ行はれる
すべての農業労働を
冷たく透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踏の範囲にまで高めよ
新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変へよ
新しい時代のダーウィンよ
更に東洋風静観のチャレンジャーに載って
銀河系空間の外にも至り
透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ
おほよそ統計に従はば
諸君のなかには少なくとも千人の天才がなければならぬ
素質ある諸君はただにこれらを刻み出すべきである
潮や風・・・・・・
あらゆる自然の力を用い尽くすことから一足進んで
(あらゆる自然の力を用い尽くして)
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ
ああ諸君はいま
この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る
透明な風を感じないのか
宮澤賢治 作
高村光太郎 宮澤清六 編
ーーーーーーーーーー
今日、宮澤和樹さんから見せていただいた、ちくま書房に掲載されている『生徒諸君に寄せる』とは異なる、断片でしなかった賢治の言葉を紡いだ、最も初期の、高村光太郎と宮澤清六氏による『生徒諸君に寄せる』。
賢治さんの、若者に向けた愛情、信念、情熱が伝わってきました。
ありがとうございます。
「賢治さん」
和樹さんとお食事させていただいて、深い、深いお話をすることができて、夢のような時間でした。
「賢治さん」と優しく語る和樹さん。有難いです。
お嬢さまともご一緒できて、本当に貴重な時間でした。
今日の来館者は立ち見が出るほどで、約100名だったそうです。ご奉公くださった皆さま、ありがとうございました。
京都も寒さが増していますー。もう0時を回り、12月になりましたね。早いものです。
「賢治さん」と優しく語る和樹さん。有難いです。
お嬢さまともご一緒できて、本当に貴重な時間でした。
今日の来館者は立ち見が出るほどで、約100名だったそうです。ご奉公くださった皆さま、ありがとうございました。
京都も寒さが増していますー。もう0時を回り、12月になりましたね。早いものです。
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秋に咲く桜
今日はお祖師さまの祥月ご命日。法華経の行者、法華経を生きた、法華経そのもののご生涯、その凄さ、凄まじさ、優しさ、思いやり、大慈大悲。 行動力、忍耐力、不屈、情熱、慈悲深さ。同じ人間であることが本当にありがたい。人間の可能性をお示しくださいました。私たちもそのように生きたい。生...
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6月が終わった。本当にありがとう。感謝しかない。終わりそうもなかった。でも無事にご奉公させていただくことが出来た。 去年から今に至るまで、人生で最も深く思考した。これまでの人生を振り返り、いくつもの分岐点、愛する人、大切な友人、恩ある方々を想い返し、今まで見たことのない景色が...
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多くのお問い合わせをいただいております。お見送りの日時と小泉家の供花についてご披露させていただきます。 本通夜 11月 9日(日)18時~ 告別式 11月10日(月)11時~ 式 場 妙深寺 第二本堂 (11月8日(土)18時から仮通夜を営みます) 【供花 一基 15,...


















