ありがとうございます。
十二月は別名「極月(ごくげつ・ごくづき)」と呼ばれます。「師走」という呼び方は平安時代からのことで、その名の通り僧侶(師)が仏事で走り廻る忙しさに由来にしていると言います。
僧侶が忙しいかどうかは別として、日本人は平安の昔から一年の終わりを仏さまに感謝して、無事に新年が迎えられることを祈って、ご先祖さまをご回向して過ごしてきたのです。現代に生きる私たちも、こうして過ごすことの大切さを思い直さなければいけないと思います。
みなさんの十二月。自分も家族も、周りのご信者さんにも、年末の御礼と、越年迎春のためのご祈願参詣をしっかりと勧めましょう。年末の忙しさに追われて、一番大切なことを忘れないように、忘れたままにさせないようにご奉公させていただきましょう。
十一月のスリランカ開教十五周年記念団参。無事にご奉公させていただくことが出来て、本当に有難かったと思っております。
教区御講でご披露させていただきましたが、参加された方々はスリランカのご信者さまと触れあって、様々なことを感じたそうです。
たとえば、スリランカのご信者さんたちが、相手の目を見て、「ありがとうございます」とご挨拶されると、感激した声を聞きました。考えてみると、私たちも同じようにご挨拶をしているのに、本当に相手の目を見ているか、しっかり「ありがとうございます」と言えているか、考えさせられたと言われたのです。この大切な言葉やご挨拶を軽くしていないか。「あざーす」などと省略して言っているようでは恥ずかしい限りなのです。
考えてみると、外国の人にとっては「南無妙法蓮華経」と同じように、「ありがとうございます」も自分の国の言葉ではありません。きっと御題目と同じくらい大切な言葉として、「ありがとうございます」を「お唱え」しているのかもしれません。ブラジルのコレイア御導師をはじめ、海外の方々は握手しながら「ありがとうございます」とご挨拶してくださいます。すてきなご挨拶、握手も、笑顔も、みんなで見習おうではありませんか。
また、青年会の益美ちゃんはコロンボ別院に宿泊して準備ご奉公をしてくれていました。どんなことに感動したか聞くと、素晴らしい法要ではなく、スリランカの青年会の女の子たちが、「あ、私まだお看経をしていないわ」と言って、女の子五人で、御導師役をケネカちゃんがして、ごく自然にさせていただいたお看経が、何とも有難かったとのことでした。国も、言葉も、人種も違うのに、ごく普通にできたお看経。一緒にお唱えできる御題目。やっぱりこのご信心は本物だ、すごいんだ、と感激したと話してくださいました。本当に有難いです。
教区御講の御法門でご紹介いたしましたが、ゴール市に住むナンダさん(六〇才)の家の近くには、大きな川が流れています。その川には橋が架かっていません。
ナンダさんは、このご信心で御利益をいただき、助けていただいたことを忘れず、御講の時は必ずお参詣されるのですが、お参詣をするということは、橋の架かっていない川の、水の中に入って、渡るということです。この意味が、インフラの整った日本に住む私にはすぐに理解できませんでした。すごいです。日本では、橋の架かっていない場所に住んでいる方は滅多にいません。その不便さを乗り越えて、お参りとご奉公を続けておられる。本当に、負けてしまいます。
十二月の教区御講の御教歌です。
「そろそろと改良せんといふものゝ 死んで参詣すると思ふか」
今年も二度と戻らない一年です。永遠の時の中にある、二度と戻らない一年。十二月。今日です。
悔いの無いように、毎日、毎年、精一杯のご奉公をさせていただきましょう!
2013年12月1日日曜日
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