2007年10月11日木曜日

ようこそ、妙深寺へ

 私には英語力が無い。少なくとも、本人はそう自覚しているし、そう思ってご奉公している。

 世界各国から本門佛立宗の地域代表者が参集して、10日までのプログラムを各地で行った。このような機会は宗門にとっては初めての試みということで、新たなご弘通の1ページを刻み、そしてエポック・メイキングな現場に立ち会えたことを嬉しく思っていた。

 1日、スリランカのアベイ氏とガマゲ氏は日本に到着し、妙深寺にもお参詣された。今回の妙深寺滞在中については、新設された事務局の各部門、海外部などが垣根を越えてご奉公を企画してくださり、本当に私の出る幕など無く頑張ってくださった。1日~4日まで、スリランカの方々は妙深寺に滞在し、ご奉公してくれた。

 有難いことに、妙深寺には通訳が出来る人が4名以上もいてくださる。海外部の部長である山崎先生をはじめ、武田さんや憲史くんは仕事の合間を縫って(いや、ほとんど仕事もしないで)通訳のご奉公をしてくださった。これは、お年を召したご信者の皆さまでも海外の方と交流していただけるようにという配慮からである。また、山崎先生が「同時通訳キット」を持ってきてくださり、彼らが耳にイヤホンを付けただけで御法門やスピーチを英語で聞けるようにしていた(これは、通訳をするものが小さな機械に向かって話をすると2本のケーブルを通じてイヤホンから聴けるようになっている)。

 1日の夕方、彼らは日本に到着し、清康師と清顕師が成田まで迎えに出た。夕方、妙深寺に到着し、そのまま一座のお看経、御礼を言上した。お看経の後、予定には無かったが彼らから感激の短いスピーチをいただいた。次の日にも言っておられたが、妙深寺の本堂、本当に素晴らしい、涙が出た、と。有難い、本当に有難い。

 2日には月始総講。スリランカの方々は、当初の予定では3日来日だった。しかし、チケットの都合なので1日の来日となってしまった。妙深寺では、教務部や幹部の方々の提案もあり、通常は1日に奉修される月始総講を2日に変更した。そこが妙深寺の有難いところだと思うのだが、非常にアクティブで、軽快。「良いことであったら、そうしましょう」という雰囲気がある。前向きに捉える。

 時間のない中での変更、平日ということもあったが、2日の月始総講には朝早くから200名を超すお参詣者があり、彼らを暖かく迎えてくださった。そこで彼らからスピーチをいただいた。何度も打ち合わせをしていて、分かっていたつもりだが、安心しすぎていた。私は、これだけ通訳の方がいるから、僕の出番はないと勘違いしていたのだ。本堂の後ろで彼らのスピーチをゆっくり聞こうと思っていたのだけれど、スピーチが始まると「ごじゅーしょくしょく、ご住職!」と呼ばれた。なんと、私が通訳をすることになっていたのだった。

 英語の堪能な人たちの前で同時通訳するのは気が引ける。あ~、イヤ。そう思いながらも、ど根性で何とか。いや、何とかならなかったかなぁ。しかし、素晴らしい内容で誰もが感激したはず。海外の方々は、いつも言っているように私たちの心を映す鏡。本門佛立宗のご信心が、どれだけ尊いものかを映してくださる鏡。スピーチをお聞きし、通訳しつつ、それを強く感じた。私がスリランカに行っていても教えてくれなかったことを言うんだもん。ドキドキしながら通訳したよ。でも、そのお話が実に感動的だった。ありがたい。

 いつも感じることの一つに、特にスリランカの方々は「ブッダと近い」と感じる。というのは、距離的なことではなくて、感覚的なものとして「ブッダに近いんだなぁ」と思えるのだ。私たちにとっては、「御題目を唱えるということは、ブッダの慈悲や御力をいただくことです」「ブッダのスピリットとシンクロすることなんです」と聞いてもなかなかピンと来ない。そうではないだろうか。ところが、彼らにとってブッダは非常に身近な存在であり、御題目をお唱えする姿を見ていても、何かが違う。本当に御題目をお唱えすると言うことがどういうことなのか、彼らの姿勢、気持ちから感じられる。

 アベイ氏と話をしていたのだが、お教化についてもそうだ。お教化をする際、様々な問題が起こる。それはスリランカとて一緒だ。家族の反対もあり、無神論者の意見、無宗教者の意見、さまざまなことがある。何より「怨嫉」があって、ご信心をしようとする本人が迷うこともある。それをアベイ氏と話していた。

 私がカタラガマに行った時、ご信心をはじめようとした女性に、次々に悪いことが起こった。本人にとっては悪い「サイン」のようなものだ。「変な宗教だから、止めた方がいいんじゃないか」と思うのも無理はない。しかも、前日には足を切ってしまった。その女性の話をしていた。

 アベイ氏は、私に言った。「長松御導師、こうしたことが起こるのは当たり前のことですよね。ブッダも覚りを開かれる前には、様々な怨嫉、誘惑、障害がありました。それは痛みや葛藤を促します。最後には大蛇まで出てきて、ブッダの前に立ちはだかった。しかし、ブッダはそこで前に進まれたから、覚りに至ったのです。私は、そのことを思い出してくださいと話します。ここで負けてはいけない、躊躇してはいけない」と。ブッダが近い。私は、こうした話をお聞きしていると、分かっているつもりだったことが次々に心の奥底まで入ってくるような思いになる。

 私は3日から京都に入ったが、その後も彼らは夜の歓迎会から朝のお看経、お助行の導師、各ご信者宅でのお助行と精力的にご奉公してくださった。特に、朝参詣終了後のお助行では、連日「導師役」を勤めていただいた。これも妙深寺の強さの一つ。導師役だから、スリランカの方々はシンハラ語で言上される。病気の方、苦しんでおられる方の名前をローマ字で書かせていただき、その部分が言上されるとお助行に参加している方々は「自分のことを言上してくださっている」と気づく。そして、お看経。ありがたいことだ。こうして本当の交流が出来てゆく。

 彼らは4日に妙深寺を離れ名古屋へと向かった。名古屋でも同様に素晴らしい交流が行われ、5日に長松寺にお参詣、宿泊。6日から宗門の公式行事へと突入した。

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