2007年10月31日水曜日

イムジンガン

 姜ご住職にお願いをして、北朝鮮との国境まで連れて行っていただいた。国境に行くことは、姜ご住職にとっても非常に珍しいことだという。

 私は当初、田代くんにお願いして一人だけタクシーで行かせてもらおうと思っていた。しかし、姜ご住職は突然の申し出を快く受けてくださって、私に付き合ってくださった。

 ソウルから高速道路を一路、北へ、北へ。1時間ほど走ると、左側にハンガンと、そしてさらにその先にイムジンガンが見えてくる。

 前の項でも書いたが、「世界平和」と毎日ご祈願させていただきながら、こうして訪れた韓国の抱えている問題から目をそらすわけにはいかない。それは日本も密接に関係してきた問題であって、私たちと切っても切り離せない問題だと思う。目の前に横たわる朝鮮半島の現実、不幸な歴史の中で同じ民族が分断され、今でも緊張状態が続き、苦しんでいる人がいるという事実を直視しなければならない。せめて、韓国でご奉公させていただくことになったら、真っ先にこの問題を肌で感じられる場所を訪れたいと思っていた。そして、そこで御題目をお唱えさせていただきたい、と考えていた。

 姜ご住職の運転で、ソウルから北へ向かった。しばらく走っていくと、高速道路の左脇に、北朝鮮との国境に位置する川、「漢江(ハンガン・かんこう)」と「臨津江(りんしんこう)、イムジンガン(韓国読み)、リムジンガン(北朝鮮読み)」が、何とも自然に、あっという間に見えてきた。

「あぁ、こんなに近くに、北朝鮮との国境があるんだ」

 とつくづく実感した。地図の上ではソウルが北朝鮮国境に近いことなど知っていたのだが、実感というのは行ってみないと分からない。この位置関係、この風景、こうした問題を抱えて生きてきた人々、そのことを思っていた。近くて遠い。遠くて近い。それが南北に分断された方々の思いなのだろうから。

 実際、私は少しだけ御題目を上げさせていただきたいだけだった。こうした場所に立って、韓国の方々が抱えている問題を肌で感じさせていただきながら、御題目をお唱えさせていただきながら南北の融和や平和を願いたかった。そして、その地で苦しんでいる家族、特に子どもたちのためにもご祈願させていただきたいと思った。

 そんなことしても意味はない、と言う人もある。韓国の方と話をしていて、「北朝鮮と融和などしてもらったら困る」という人もいる。南北統一など言っているだけだ、本音は貧しい国と一緒になったら韓国が迷惑する、韓国経済の足を引っ張る、もう放っておいてくれと思っている、等々。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の現政権のままで南北統一など出来るはずがない、と。私も、先日の佐渡でジェンキンス氏とお会いして、また彼の著作を読み返しながらどれだけ恐ろしい現実が北の大地を覆っているか学ばせてもらった。拉致問題をはじめ、多くの人から「生きること」を奪っている恐怖の国家体制が現在なお存続していることを思い知らされた。

 しかし、現実的な、政治的な問題は多々あるとしても、私はお祖師さまのお教え下されたとおり、上行所伝の御題目を以て朝鮮半島に横たわる問題について考え、御題目をお唱えさせていただくことによって、「何かが起こる」と確信していた。それが私たちのご信心ではないか。

 検問所があって上手に場所が見つからない。ゆっくりとお看経出来る場所を探していた。南北の問題を象徴する場所として「板門店」があるが、29日と30日は何と6カ国協議の経済・エネルギー協力に関する作業部会が開かれており、一般人に対しては閉鎖されていた。もちろん、板門店に行っても御題目が唱えられなければ意味がない。やはり、姜ご住職のご案内をいただいてよかった。場所を見つけるだけでもパスポートチェックや事前のツアー登録がなければ入れない場所が多く、逆に外国人は良いが韓国人は厳しい事前チェックがあって入れない地域や施設というものもあり、本当に難しい。しかし、高速道路を行ったり来たりしながら、1992年9月にオープンした「オドゥ山統一展望台」に場所を定めて、そこから北朝鮮に向き合い、御題目をお唱えすることが出来た。

 簡単な模型と展示があって、この展望台から3200メートル対岸が北朝鮮であると書かれていた。左側の川がハンガン、左側がイムジンガン。

 この展望台には観光客がたくさんきていて、特に韓国の人にとって気軽に北朝鮮を見られる場所はこのくらいしかないということで、大勢の方が見学に来ておられた。もちろん、日本人の観光客もいた。

 私たちは、展示室から展望台に上った。500ウォンを入れて北朝鮮側の農村、畑、集合住宅などが立っているのが見えた。「人がいないですね」と姜ご住職が仰ったと思ったら、私の目に大きなワラを背負った男性が畑のあぜ道を歩いていくのが見えた。その他、どこに望遠鏡を当てても誰も見つけられなかったから、あの村で歩いていたのは彼一人だった。ちょうどお昼の12時くらい。子どもたちはいないのだろうか。他のみんなは何処に行っているのだろう。集合住宅は少なくとも20くらいはあった。大きな幹部さんの家のようなものも2~3棟あった。人影がないことが不気味に感じた。それでも、男性の姿を見ることが出来たのは幸せだった。

 展望台の一番上で、懐中御本尊をお掛けさせていただいて、小さな小さな一座の法要を勤めさせていただいた。この地で正法が興隆し、南北が平和になりますように、苦しむ人々に一日も早く幸せが訪れますように、と。姜ご住職と一緒に御題目をお唱えできたことが嬉しかった。

 実は、姜ご住職はアシスタントとしてHeiranという鶴松寺の女の子をご奉公に連れてきてくださっていたのだが、この時ばかりは「恥ずかしいから知らんぷりしてよー」っと言っていた。さすが女子大生。でも、写真だけはキチッと撮ってくれていた。ありがたい。

 ほんの僅かな時間だったが、この御題目口唱の功徳は火にも焼けず、水にも漂わない。もっともっとご弘通に気張って、菩薩行を実践し、いつか本当に平和と安穏が訪れますように、と願う。とにかく、ハンガン、イムジンガンの向こう岸にある北朝鮮に向かって、御題目をお唱えさせていただいた。

 お看経が終わった後、周りで見ていた日本人観光客の方から「修行ですかー?」と言われたので、笑って「はい、そーでーす」と答えた。

 先日、盧 武鉉(ノ・ムヒョン)韓国大統領が北朝鮮の金正日書記長と会った。政治的なパフォーマンスと受け取られて賛否両論があったようだが、この展望台でのお看経に引き続いて、彼が渡った韓国と北朝鮮に掛かる橋にも行かせてもらった。もちろん、私たちがそこを渡ることは出来ないが、この場所を訪れられたことも私にとっては非常に意義深かった。

 私たちがこの場所にいた時にも、後ろからアメリカ軍の車列が猛スピードで通り抜けていった。すぐ近くの板門店で6ヶ国協議の作業部会が行われているのだから、いろいろな動きがあったのだろう。

 この場所でも降りて写真を撮らせてもらった。この先にあるのが北朝鮮。本当に近い。近いのに、韓国の人たちはこんなに遠い国はないと感じている。感情としては統一を望んでいる。しかし、それが極めて難しいことも知っておられる。

 韓国の青年たちには軍に入隊しなければならない。徴兵制度がある。姜ご住職も100日間勤務したと言っておられた。その場所が、この地域だったということで、ここに案内してくださったのだ。

 国が分断されている、ということを眼で、肌で実感することが出来た。この200年弱の間、全世界は、特にアジアは、まさに「社会的ダーウィン主義」さながらに弱肉強食、ぶんどり合戦、生存権の争奪戦に巻き込まれ、それぞれが危機感を持ったり、煽ったりしながら、不幸な戦争に突入していった。

 韓国の現在(問題)について、日本の統治があったからこのような不幸な分断が生まれたという人もいる。「日本のせいだ」と言う人もある。

 しかし、過去の清算や謝罪と同じ、いやそれ以上に大切なのは、今を生きている者同士の理解と協調であり、単なる批判や評論では仕方がない。日本人であると同時に、本門佛立宗の、仏教徒である私たちが、「バラバラになったものを一つにする」教えである上行所伝の御題目のご信心を伝えたいと思うのは自然だと思う。グランデ・ファミリアでも、ずっと言い続けたこと。「バラバラになったものが、元の姿に戻る」。

 この場所を後にして、また高速道路に戻った。そして、姜ご住職がイムジンガンに降りられる場所を探してくれた。鉄条網の外から見るのではなく、分断の象徴ともいえる「イムジンガン」を、実際に目の当たりに出来る場所はないか、土手まで入れる場所はないかと言っていたので、姜ご住職が探してくれていたのだ。そして、姜ご住職の案内で、私たちは少し国境からは逸れているが、土手まで出られる場所に行った。そこも、土嚢が積まれていて、砲台か機関銃を置く場所が作られていたが、警備の兵員はいなかった。淋しいが、綺麗な川面が広がっていた。

 映画「パッチギ!」で取り上げられた在日朝鮮人と日本人の姿。とても素晴らしい映画だったし、若者たちに色々なことを考えさせた映画だったと思う。

 あの映画の舞台は京都だった。主人公の家はお坊さん、そして在日朝鮮人と日本人の間を結ぶかのように、彼は綺麗な声で「イムジン河」を歌い上げた。この歌は、発売中止に至った経緯など因縁が深いのだが、分断された方々がどのような哀しみを抱いているか、イムジンガンを見つめる人々の心がどのようなものか、少しでも感じ、学ばせてくれる。

 少なくともイムジンガンを前にして、私の脳裏ではこの旋律が流れていた。

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イムジン河

松山 猛 訳詞
朴世永 原詩
高宗漢 作曲

イムジン河水きよく
とうとうとながる
みずどり自由に
むらがりとびかうよ

我が祖国南の地
おもいははるか
イムジン河水きよく
とうとうとながる

北の大地から南の空へ
飛びゆく鳥よ自由の使者よ
誰が祖国を二つに分けてしまったの
誰が祖国を分けてしまったの

イムジン河空遠く
虹よかかっておくれ
河よ思いを伝えておくれ
ふるさとをいつまでも忘れはしない

イムジン河水きよく
とうとうとながる

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 ずいぶん長い文章になってしまった。

 この後、16時くらいにホテルに戻って、そのまま私の部屋に入っていただいて、姜ご住職と19時くらいまでゆっくりと話が出来た。本当に有意義だった。そして、夕食は団参の方々と合流、それは大変に盛り上がった。

 なんと、姜ご住職のファンクラブが出来るらしい。すごい。

 そして、30日14時前、無事に日本に帰国した。本当に有難い、貴重なご奉公となった。



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