2007年10月12日金曜日

大津・佛立寺へ

 地域代表者会議、8日は朝から由緒寺院を巡るツアーを行った。出発時は予報通りの雨。傘の手配をしなければならないかと朝から慌てたが、松本海外部長の冷静な判断でOK。8時45分にホテルを出発して、大津佛立寺へと向かった。

 大津佛立寺。本門佛立宗の最初道場と言われる。そこには、つまり本門佛立宗のご弘通の原点があり、海外の方にとって資するところが多いはずとの理由で由緒寺院を巡ることとなったのだ。

 スリランカからの代表者にとって、特に最初道場である大津・佛立寺は興味深い訪問となると期待した。なぜなら、安政4年1月12日に開講された本門佛立講は、「お寺」を持っていなかった。集会所も持っていなかった。ただただ、ご信者方のお宅を「御講席」として解放・設置し、そのご信者宅を「ご弘通の道場」として全国へと広宣流布のご奉公を展開していった。それは、来日してからスリランカの方々が再三言っておられたように、「お寺の無いスリランカ」にとって、開導聖人時代のご弘通を再現・再確認し、どのように本門佛立宗の教講が寺院を建立したか、寺院を持つに至ったかを知る素晴らしい機会となるのであった。

 安政4年(1858)、ほんの数人でご弘通を開始した開導聖人。その時から3年後(1861)、大津中大谷俵屋・小野山勘兵衛宅に於いて、大々的に御門流繁栄の道場、法華堂を建立することになった。発願から一年足らずの文久2年(1862)4月、法華堂は落成し開導聖人の御宝前を御遷座するに至った。

 ここに、本門佛立宗は最初の道場、後の「お寺」を持つに至ったのであった。

 昨今、日本では自殺が増加の一途を辿っている。一年で30000人が自殺によって命を絶っている。実に一日に100名にも上ろうという人々が、静かに自ら命を絶っている恐ろしい状況である。ごく最近には、このインターネットを介して自殺者希望者を募り、お金を支払わせて女性を窒息死させたというおぞましい事件も起こった。本当に世も末、まさに末法だと思う。

 しかし、実はこの大津・佛立寺は「自殺」という恐ろしい人間感情をきかっけにして発足した。

 大津で商人として大成していた小野山勘兵衛氏は、難治の病に伏していたという。生きる希望を失い、病苦から逃れたい一心で自ら命を絶とうと思い至った。その様子を小野山邸に植木職人として入っていた高橋儀三郎氏が発見する。義三郎氏は勘兵衛氏を懇々と諭し、自殺を思い止まらせると共に京都の開導聖人らに連絡をし、お助行を開始していただいた。

 すると、あれほど何をしても治らなかった勘兵衛氏の病が快方に向かい、何も受け付けなかったのにも関わらず、御題目をお唱えした後には「お腹が空いた」と言えるほどになった。これほどの現証の御利益を目の当たりにして、心の底から小野山勘兵衛氏は随喜し、その有難さの余り、「人助けのために、ここに佛立講を立てていただきたい」と申し出られた。

 小野山氏の親戚でもあった御牧卯兵衛氏は、佛立信心に随喜し、所有していた茶園を御有志。ここに法華堂の建立を発願し、寺院建立の第一歩を踏み出した。明治12年(1879)10月28日、大津・法華堂は「佛立寺」と寺号公称したのであった。これが、「最初道場」といわれる由縁。

 お寺のないスリランカの方々にとって、これは大変重要なストーリーであった。資金的なことや政治的なことで「お寺」が建つのではないということ。苦しみ、悩み、生きる希望を失った人を、上行所伝の御題目をお伝えすることによって、苦悩する人の為のお助行と現証の御利益によって、本門佛立宗のお寺は建つのだ、ということを分かって下さったに違いない。

 また、スリランカの方々のみならず、全佛立信徒がこのことに改めて思いを馳せなければならない。「最初道場」の原点は「自殺」だったのだ。今の日本には「自殺」の問題が大きな影を落としている。そこに光明を与える使命を、私たちが負っているのではないか。自殺希望者を募ってお金を取り、殺人を犯すような者がいる現代に於いて、私たちこそ自殺を思い止まらせ、その人の心の闇に光を当てなければならない使命を担わなければならないのではないか。

 自殺は、「自分」に対する「殺人」に他ならない。変な言い方だが、自殺を希望する本人は「死」という選択をして「生きよう」と思っているのかもしれない。生きていることは死ぬことよりも苦しく辛いから、死んで生きようと思っている。しかし、それは「殺人」なのである。一人で乗り越えられないことも人生には多々あるが、上行所伝の御題目と同信の支えをいただいて生きなければならない。生きれるのだ。

 また、スリランカの方が感激した話がある。私が同時通訳をしていたので、御導師からのお話をどれだけ正確に伝えられたかは疑問だが、御導師からのお話があった後、彼らは「私たちスリランカの者にとって、このお話は大変に有難い。学ばせていただいた」という言葉があった。

 大津・佛立寺には、開導聖人が自らデザインされた「大燈籠」がある。この大燈籠は、京と地方を結ぶ重要な道路、東海道沿いにあったため、この大燈籠を灯すことによって道中の方々の光明となることと下種結縁を目指されたのだろう。

 御牧邸の裏に林甚太郎というご夫婦が住んでおられた。ご信者となったが家は極めて貧しく、身体も大変に弱く、5人の子どもを抱えて困窮しておられた。社会的な大変革の当時、大津も世情の混乱に巻き込まれていたのであろう、東海道を行き交う者にも変化があり、大燈籠は久しく明かりを灯されずにいた。本来、「常夜灯」というように、油を差し差しして、一晩灯し続けるのが通例であった。それが出来ずにいたのだった。

 それを知った林甚太郎氏は、家が貧しく、身体が弱いにも関わらず、毎晩の御有志を申し出て、毎夜毎夜この大燈籠に明かりを灯すようになった。
 あるご信者が彼に尋ね、提案した。

 「あなたばかり御有志しなくても、毎月交代で御有志やご奉公させてもらいたい」

 それを聞いた林甚太郎氏は、

 「あなたは貧乏でもなく、また身体も丈夫ですね。私は貧しい上に身体も弱いのです。きっと、それは過去の果報がないからでしょう。だから、今生で是非功徳を積ませていただきたいのです」

 と応えたという。そして、林氏は、また独りでそのご奉公をさせていただいた。この経緯を開導聖人にご報告してされたのは佛立第五世日風上人であるが、続けて、

 「此人、大いに達者に相成、又今日を送るに不思議に安楽に暮らせり。今迄は食わずにありし日も折々は有りし由、今はなし」

 と御利益をいただかれたことをご報告されている。開導聖人のこのことへの御指南に、

 「されば、我身を大事と思ひ給はん人は、御奉公を大事にし下ふべし。信行の功徳、御守りと申すものは、凡夫の欲深き了見とは裏上なる事、此の如きもの也」

 スリランカは貧しい国。しかし、だからこそ、さらに努力をし、功徳を積み、ご奉公をさせていただいて、罪障消滅・御利益感得してゆくことの大切さを、その励まし方、指導の仕方について、彼らは感激したに違いない。

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