京都。長松寺の庭に落ちる光がまぶしかった。
昨晩、横浜に飛んで戻って、今朝は10時から御総講を奉修させていただいた。また、今朝から清顕師が福岡御導師の随伴としてスリランカに出発した。毎日毎日、様々なご奉公がある。メールも毎日40通は軽く超えるので、返信が遅くなる。その一つひとつが有難い。本当に毎日がありがたい。
長松寺の庭は開導聖人が心から愛された庭。そこを守らせていただいているのだから、どれほど有難いことだろう。16日の夜の御総講でも、こんなに有難いことはない、だからこそ「御弘通の思い」をもっともっと強くして、ご奉公させていただかなければ勿体ない、とお話させていただいた。
先週で横浜での御講が終了した。特に、集合写真を撮った横浜港北地域での御講について書いてみたい。その御講席は川崎のインターから近く。港北地域には「新横浜」「緑」「青葉」という3つの教区がある。その方は「新横浜教区」に所属されている。
先日、「絆」という本でもご紹介したのだが、その方の家で御講を奉修することが出来るのは、貴子ちゃんの御講とはまた違った感慨・感激があった。それは、私にとって一つの忘れ得ぬエピソードがあったからだった。
何年前になるだろう。そのお宅の長男、友介が高校生だった頃のこと。私は神奈川布教区の住職会という会議に出席していた。突然、私の携帯電話にお寺から連絡が入った。友介が包丁を持って家で暴れているという。確か、お姉さんからお寺に連絡してくれたのと思う。
それを聞いて住職会を飛び出した。お寺に連絡をし、清康にも川崎まで向かうように指示した。
家に到着すると、玄関にガラスの破片が散乱していた。家のドアの一部にガラスが使われていたのだが、それが割れて散乱していたのだ。そこには血痕がいくつも落ちていた。
「誰かを刺してしまったのだろうか」
と不安になったが、聞いてみると自傷して友介が血を流しているということだった。ひとまず安心した。
「友介はどこにいる?」
と家族に聞くと、包丁を持ったまま2階の自分の部屋に閉じこもったという。家族は動転し、涙を流していた。そのまま1階にある御宝前に向かい、ご挨拶をさせていただき、これから友介の部屋に行かせていただく、お守りください、と御祈願して、階段を上がった。点々と血痕が部屋のドアまで続いている。そのままドアをノックして友介の部屋に入った。部屋に鍵がかかっていたか、開けてくれたのかは覚えていない。
当時、私は友介のことは知っていたが、親しく話をしたことはなかった。ただ、「千春ちゃんの弟さん」という程度の認識だったと思う。後で本人から聞いたところでは、友介も私のことを余り知らなかったという。
友介はベッドの横で包丁を握ったまま座り込んでいた。何度か呼びかけると顔を上げたが、ゾッとするような冷たい眼が見えた。いまの友介からは想像できない。友介の手から血が流れていた。どういう内容を話したかは定かではないが、何かを話しかけながら包丁を渡してくれるように言った。何分かが過ぎて、友介は私に包丁を渡してくれた。
話が前後するが、包丁を渡してくれる前か後、何を言ってもダメだと思って友介を抱きしめたのを覚えている。抱きしめながら背中をさすって、御題目をお唱えしていた。
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、、、、、、友介、どうした。何があった。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、、、言ってご覧。大丈夫だ。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、、、、」
何分かして、友介をベッドの上へ座らせて、彼からの言葉を待った。じっと動かないまま、何も言わなかった彼の口がモゾモゾと動いて、学校での出来事、家の中のこと、その中で悶々としていて不満があること、悲しいこと、苦しいこと、部活のこと、いろいろなことを聞かせてくれた。私はただ黙って聞いていた。
しかし、十分に彼から話を聞いた後で、一つだけ聞いてもらいたいと思って言葉をかけた。
「友介、お前全部人のせいにしてるな」
この言葉は、いまでも誰かにご信心についてお話しする時に伝えているのだが、仏教の大原則は「人のせいにしない」ということであって、どれだけイライラ、ムカムカしていても「誰かのせい」にしている間は解決の糸口が見つからない。光が見えてこない。
だから、「自分」という枠の中で、自分の抱えている問題を処理しなければならないということになる。そして、そうは言いながらも自分たちは弱い「人間」なのだから、御題目をいただいて、ご信心をいただいて、お縋りしたり、お願いしたり、御懺悔したりさせていただく。そして、「他人のせい」にして悪循環を繰り返していた人生、考え方を断ち切る。それは佛立信心の直道、御利益をいただく王道なのだ。
それを彼に伝えて、彼がその時点で理解してくれたとは思っていない。ただ、どのくらいの時間が経ったか分からないが、彼と一緒に部屋を出て、下で待ってくれていた清康師やご家族と一緒にお話をした。そして、御宝前の前でお看経をさせていただくことができた。また、清康師には、彼がどれだけ理解しているか分からないため、今後一週間の詰め助行をしていただくことになった。
現在、あれから何年経ったか。高校生だった友介は成人式も終えて、立派な社会人となった。彼女がいないのが悩みの種だが、聞いている限り仕事の面でも頑張っている。私も、彼の成長を見る度に、ご奉公させていただいて良かったと思う。これが佛立教務の真骨頂だと思っている。ありがたい。
私たちは御法さまの下で家族であり、何かあったら駆けつけるのは当たり前のこと。そこが葬式仏教や観念的な宗教とは違うところであり、だからこそ自ら「僧侶」という役割もお経を読むだけ、説教するだけとは違う。そんなのと一緒にされたら、「バカにすんなよ」と元ヤンキーとしては言わせていただきたくなる。命を張って、命を削ってご奉公させていただくのが私たちの使命だと信じている。
あの時、友介に刺されなくて良かった。あれから数年は、友介に会う度に「友介、お前に刺されなくて良かったよー」と笑い合った。彼が御宝前係をしてくれたり、泊まり込みでご奉公してくれているのを見るに付けて、嬉しさが込み上げてくる。「お前は宝物だ」と思う。何としても幸せになってもらいたい。そして、誰かを救えるような器になってもらいたい。
御講席で、私の隣に座る友介。真面目そうな顔をしている。嬉しいなぁ。うれしかったよ、友介。どんなに嬉しいか分からないだろうなぁ。
ご家族の幸せそうな顔。お父さんの顔。そう、友介、頑張るんだぞ。ほんと、刺されなくて良かったよ。
昨晩、横浜に飛んで戻って、今朝は10時から御総講を奉修させていただいた。また、今朝から清顕師が福岡御導師の随伴としてスリランカに出発した。毎日毎日、様々なご奉公がある。メールも毎日40通は軽く超えるので、返信が遅くなる。その一つひとつが有難い。本当に毎日がありがたい。
長松寺の庭は開導聖人が心から愛された庭。そこを守らせていただいているのだから、どれほど有難いことだろう。16日の夜の御総講でも、こんなに有難いことはない、だからこそ「御弘通の思い」をもっともっと強くして、ご奉公させていただかなければ勿体ない、とお話させていただいた。
先週で横浜での御講が終了した。特に、集合写真を撮った横浜港北地域での御講について書いてみたい。その御講席は川崎のインターから近く。港北地域には「新横浜」「緑」「青葉」という3つの教区がある。その方は「新横浜教区」に所属されている。
先日、「絆」という本でもご紹介したのだが、その方の家で御講を奉修することが出来るのは、貴子ちゃんの御講とはまた違った感慨・感激があった。それは、私にとって一つの忘れ得ぬエピソードがあったからだった。
何年前になるだろう。そのお宅の長男、友介が高校生だった頃のこと。私は神奈川布教区の住職会という会議に出席していた。突然、私の携帯電話にお寺から連絡が入った。友介が包丁を持って家で暴れているという。確か、お姉さんからお寺に連絡してくれたのと思う。
それを聞いて住職会を飛び出した。お寺に連絡をし、清康にも川崎まで向かうように指示した。
家に到着すると、玄関にガラスの破片が散乱していた。家のドアの一部にガラスが使われていたのだが、それが割れて散乱していたのだ。そこには血痕がいくつも落ちていた。
「誰かを刺してしまったのだろうか」
と不安になったが、聞いてみると自傷して友介が血を流しているということだった。ひとまず安心した。
「友介はどこにいる?」
と家族に聞くと、包丁を持ったまま2階の自分の部屋に閉じこもったという。家族は動転し、涙を流していた。そのまま1階にある御宝前に向かい、ご挨拶をさせていただき、これから友介の部屋に行かせていただく、お守りください、と御祈願して、階段を上がった。点々と血痕が部屋のドアまで続いている。そのままドアをノックして友介の部屋に入った。部屋に鍵がかかっていたか、開けてくれたのかは覚えていない。
当時、私は友介のことは知っていたが、親しく話をしたことはなかった。ただ、「千春ちゃんの弟さん」という程度の認識だったと思う。後で本人から聞いたところでは、友介も私のことを余り知らなかったという。
友介はベッドの横で包丁を握ったまま座り込んでいた。何度か呼びかけると顔を上げたが、ゾッとするような冷たい眼が見えた。いまの友介からは想像できない。友介の手から血が流れていた。どういう内容を話したかは定かではないが、何かを話しかけながら包丁を渡してくれるように言った。何分かが過ぎて、友介は私に包丁を渡してくれた。
話が前後するが、包丁を渡してくれる前か後、何を言ってもダメだと思って友介を抱きしめたのを覚えている。抱きしめながら背中をさすって、御題目をお唱えしていた。
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、、、、、、友介、どうした。何があった。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、、、言ってご覧。大丈夫だ。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、、、、」
何分かして、友介をベッドの上へ座らせて、彼からの言葉を待った。じっと動かないまま、何も言わなかった彼の口がモゾモゾと動いて、学校での出来事、家の中のこと、その中で悶々としていて不満があること、悲しいこと、苦しいこと、部活のこと、いろいろなことを聞かせてくれた。私はただ黙って聞いていた。
しかし、十分に彼から話を聞いた後で、一つだけ聞いてもらいたいと思って言葉をかけた。
「友介、お前全部人のせいにしてるな」
この言葉は、いまでも誰かにご信心についてお話しする時に伝えているのだが、仏教の大原則は「人のせいにしない」ということであって、どれだけイライラ、ムカムカしていても「誰かのせい」にしている間は解決の糸口が見つからない。光が見えてこない。
だから、「自分」という枠の中で、自分の抱えている問題を処理しなければならないということになる。そして、そうは言いながらも自分たちは弱い「人間」なのだから、御題目をいただいて、ご信心をいただいて、お縋りしたり、お願いしたり、御懺悔したりさせていただく。そして、「他人のせい」にして悪循環を繰り返していた人生、考え方を断ち切る。それは佛立信心の直道、御利益をいただく王道なのだ。
それを彼に伝えて、彼がその時点で理解してくれたとは思っていない。ただ、どのくらいの時間が経ったか分からないが、彼と一緒に部屋を出て、下で待ってくれていた清康師やご家族と一緒にお話をした。そして、御宝前の前でお看経をさせていただくことができた。また、清康師には、彼がどれだけ理解しているか分からないため、今後一週間の詰め助行をしていただくことになった。
現在、あれから何年経ったか。高校生だった友介は成人式も終えて、立派な社会人となった。彼女がいないのが悩みの種だが、聞いている限り仕事の面でも頑張っている。私も、彼の成長を見る度に、ご奉公させていただいて良かったと思う。これが佛立教務の真骨頂だと思っている。ありがたい。
私たちは御法さまの下で家族であり、何かあったら駆けつけるのは当たり前のこと。そこが葬式仏教や観念的な宗教とは違うところであり、だからこそ自ら「僧侶」という役割もお経を読むだけ、説教するだけとは違う。そんなのと一緒にされたら、「バカにすんなよ」と元ヤンキーとしては言わせていただきたくなる。命を張って、命を削ってご奉公させていただくのが私たちの使命だと信じている。
あの時、友介に刺されなくて良かった。あれから数年は、友介に会う度に「友介、お前に刺されなくて良かったよー」と笑い合った。彼が御宝前係をしてくれたり、泊まり込みでご奉公してくれているのを見るに付けて、嬉しさが込み上げてくる。「お前は宝物だ」と思う。何としても幸せになってもらいたい。そして、誰かを救えるような器になってもらいたい。
御講席で、私の隣に座る友介。真面目そうな顔をしている。嬉しいなぁ。うれしかったよ、友介。どんなに嬉しいか分からないだろうなぁ。
ご家族の幸せそうな顔。お父さんの顔。そう、友介、頑張るんだぞ。ほんと、刺されなくて良かったよ。
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