2007年10月23日火曜日

イスラエルに触れたので、

 イスラエルに触れたので、ちょっと思い出していた。
 イスラエルに行ったのは2003年11月16日から22日までのことだった。どうしてもユダヤ、キリスト、イスラムという三大宗教の聖地なる場所を自分の眼で見て、肌で感じて、物申したいと思ったからだ。
 あの頃、テレビの報道で、日本の仏教界や僧侶らがカトリックの僧侶らとイタリアのアッシジに集まり、『平和』のための集会を開いて植樹をしているのを見た。「なんて呑気なことをしているのだろう」と単純に思ってしまった。
 その頃の私はニューヨークのテロやアフガニスタン、イラクで始まった戦争と宗教のおぞましい関係や背景について心から憂えていたし、その下で傷つく家族、特に子どもたちのことを毎日毎夜考えていた。
 平和について宗教や思想の垣根を越えて語り合うことは必要だろう。しかし、あの1つのバイブルを基にして派生した3つの宗教同士の相克や憎悪の連鎖を知らずして、全く異なるアプローチが出来るはずの『仏教』が、単純に「お互いに仲良くしましょう」と言っているようでたまらなくなったのだ。「為すべきことは違うだろう」という思いがずっとあった。
 もちろん、だからといって私のような行動をすることは馬鹿げていると思う。しかし、この世界の惨状の中で、私たち仏教徒が守られた壁の中で平和や教えを語ったりするだけで良いのか、という思いは今も同じだ。そんな坊主と一緒にされたくない。
 すでに、私がイスラエルに行った時の模様は『イスラエル渡航記』として妙深寺報とHBS NETWORKに連載させていただいた。いま読み返すと文章が稚拙で、これまた恥ずかしいが、読んでいただければと思う。これも途中になっているので、あの旅を思い返しながら書き足さないといけない。
 一人旅が大好きで、これも困ったもの。家族からは呆れられている。もう一度、あの場所、この場所に行きたい、と思っている。
 前の文章で書いたコバンの写真を探したので、載せてみた。いい男。エルサレムの旧市街から東、遠くに死海が見える丘の上でタクシーを止めて写真を撮った。実は、イスラエルで私はレンタカーで移動していた。このコバンと会って、ベツレヘムに行ったのは最終日だった。まったく時間の無い旅だったので。
 だから、丘の上に車を停めて、タクシーからレンタカーに乗り換えて、急いで空港に向かった。もう一度、コバンにも会いたいなぁ。誰かに似てるんだけど、思い出せないんだなぁ。

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