2007年10月20日土曜日

守口・義天寺へ

 地域代表者会議のレポートが後回しになってしまっている。残念ながら、今月も指が痛くなるほどキーボードを打っているが、お伝えしたいことの10%もご報告できていない。くやしー。

 いつも、「本門佛立宗の、菩薩の誓いを立てた方々は、人類の浄水器にならなければならない」とお話ししている。悪いことは自分で止める、良いことは地球の裏側までご披露する、これが私たちの生き方でなければならないと思う。悪口や愚癡を誰かに伝えても良いことなどない。逆に、良い話を自分だけで止めていては罪だとすら言える。だから、私たちは悪いことは自分で止めて、良い話は世界の裏まで」というような気持ちで、言葉を発したり、物を書いて発信したりしなければならないと思う。多くの人がそうした生き方が出来れば、地球も人類も、私たちの社会も、もっとマシになると思える。

 地域代表者会議の一行は、伏見を後にして守口に向かった。あの伏見港から川を下って、開導聖人がご遷化された場所まで移動するという、ちょっとした巡礼の旅。遠い国を代表する佛立信者の方々に、開導聖人の御一生を追体験しながら肌で知っていただくことにより、きっと多くの海外信徒が本門佛立宗の「ism」を感じてくださるに違いない。

 開導聖人は、この日のために秦氏が建造してくださった三十石船に乗船して川を下って行かれた。その情景が「御遷化略記」に詳しく書かれている。

「流るゝ水を見てのたまはく、昨日の水に非ずして流は絶えず、随緑不変・一念寂照・生々世々の菩薩行は、又楽しひ哉とて、すこしの間横にならせ給ひしが、やがて枚方うち過ぎる頃は十二時前にてありければ、師、仰せに、すこしあつさを覚えたれば、此の辺にて舟を止め、茶屋へあがり休息して、又風の涼しくなりて大阪へ行かんとありしかば、、、、、」

 開導聖人とご一行は、川が幅を広くして行き交う船や旅客が休憩を取る茶屋を見つけてお休みになられた。それが、森田伊六(大伊)の茶屋であり、ご配慮をいただいて奥座敷へ通され、そこを借りられた。そして、夏の暑い日差しを避けて休まれ、5時を過ぎたところで隣の部屋に休む開導聖人を八尾と現喜が声をかけた。

 その時、開導聖人は今晩一期74才にて化導を終えられ、安らかにご遷化されていたという。明治23年7月17日のことであった。

 創価学会の池田氏監修の本の中に「本門佛立宗」について述べた項目があり、この開導聖人のご遷化の様子について書かれていたのを見たことがある。そこには、長松日扇の死後、死相が悪くて多くの幹部が離れた、というようなことが書かれていた。長松八尾さんや品尾さんの気持ちを考え、私自身長松家の者として強い憤りを覚えた。一般の人でも、父親や母親、先祖の清らかな「臨終」について知ったようなことを書かれて怒らないはずはない。

 同時に、いくら新興宗教とはいえ全く事実と異なることを書き、明らかに単なる「誹謗」や「中傷」を重ねているということ、その宗教的な「DNA」を哀れに感じた。「御遷化略記」など数々の書物にも残され、同時に御遷化の地にも立派な寺院が建立されている事実をしても、きっと彼らは認めないだろう。そして、いつも思うのだが、文中の何といっても恐ろしい言葉づかいには辟易する。こうした中傷合戦を今は内輪でやっているようだが、これも仕方ないことなのだろう。哀れでしかない。

 それはさておき、開導聖人のご遷化後、後継となられた佛立第二世講有日聞上人の下、大規模な報恩教化・ご弘通ご奉公が展開され、各地の教線は大いに伸びていった。もちろん、異体同心のご奉公が実り、奮起して励む中で、この守口のお茶屋も本門佛立宗の教講で護持することとなった。明治29年の頃、この開導聖人ご遷化の地に「宥清寺出張説教所」と題した道場(通称「守口道場」)が建立された。

 昭和8年、開導聖人ご入滅の御座敷を永世に記念保存するために、日雲上人が森田家に保存されていた材料を使用して、あらためて茶屋の奥座敷が「義天閣」として再現建立された。つまり、この義天寺にある開導聖人ご遷化の間、「義天閣」は当時の材料を使い、御入滅の時と同じ空間を保存してくださっているのであった。

 その義天寺に、海外信徒の多くがお参詣させていただき、本堂で御題目をお唱えし、奥座敷である「義天閣」にまで上がらせていただいたことは、何より素晴らしい機会であったと思う。スリランカのお二人も大変に感激していた。

 前回も書いたが、開導聖人はブッダや高祖日蓮大菩薩(お祖師さま)と同じように、ご奉公の旅の途中でご遷化を迎えられた。この天下万民への慈愛と、ご弘通への思い、実践を忘れることは許されない。同時に、開導聖人はご遷化の直前に、

「清風は どんなおやじと人問はば 何にもしらぬ真の俗物」

と遺されておられ、あくまでも「凡夫」として上行所伝の御題目にお縋りし、「信」の一字をもってご弘通させていただいたに過ぎないという御意を表されている。事実、ご存命中に何の称号も、僧侶としての位階も求められなかった。

 昨今、生きている間に数え切れない程の称号を得ようとする者や位階を求めて止まない僧侶も多いが、この開導聖人の御意はもちろん、ブッダやお祖師さまもされなかったようなことを末弟である私たち佛弟子がして良いわけがない。それ以上に大切なことを忘れては何の価値もない。

 事実、「生き恥かいても死に恥かくな」である。生きている間に神のように敬われ、ありとあらゆる称号を得ても、死んでから蔑まれ、疎んじられ、貶められる者の多さは歴史書を見れば枚挙に暇はない。生きている間は権力を駆使して何でも出来るが、死んでからこそ真価が現れるのではないか。

 開導聖人は、ご遷化当時何の称号も位階も持っておられなかったが、ご遷化後から徐々に多方面から認められるようになられ、最終的に法華宗は大僧正位を追贈、その教えはじっくりと世界への広がりを見せている。近年は、開導聖人という幕末の偉大な宗教改革者、芸術家、書家としての側面に、大変な注目が集まっている。「これぞ、仏教」と感じるのである。

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