2007年10月23日火曜日

ベツレヘムの写真

 ついでに、写真をアップしてみる。ご奉公に追われて、私自身も写真を見返す時間がないので、こういう機会に見返していた。「星に願いを」からずいぶん話が飛んでいるようだが。
 この写真は、ベツレヘムの「聖誕教会」と呼ばれる教会の入り口。もう少しマシなカメラを持って行けばよかった。
 この写真の真ん中、小さな穴のような部分が入り口である。ここは屈み込まないと入れない。後でも述べるが、何度も何度も改築を繰り返し、ついには要塞化して、敵に攻め込まれないように入り口を狭くしたのだった。すごい、それが教会なんて。これが砂漠の宗教の緊張状態、現実なのだ。
 中の写真もあるのだが、特に見せられるようなものはない。コンスタンティヌスのお母さん、ヘレナが熱心なキリスト教徒で、ローマ皇帝である息子を最初のキリスト教徒にしたのは有名だが、このヘレナがパレスチナに聖地を求めて活動した。中世以降になると、ヴェネチアなどが聖地巡礼をビジネスにするようになり、様々な「聖地グッズ」が販売されるようになる。「聖遺物」のことについてはイスラエル渡航記でも書いたが、イエスが磔にされた十字架まで展示されていたというのだからちょっと笑ってしまう。パレスチナの民が商売熱心というか、何というか。少し考えてみたら分かるのだが、ローマから訪れた巡礼者は、あまりに興奮し、感激して、その十字架に噛みついて、「聖遺物」として削り取ったというエピソードまである。だから、十字架には歯形がたくさんついていたと言うくらいだ。
 この右の写真は、その聖誕教会を振り返ったところ。隣のモスクで午後の祈りを捧げている男性たち。パレスチナ人のムスリム。ここが大変な戦場となったことなど想像もつかないくらい、穏やかに祈りを捧げていた。
 2002年4月、イスラエル軍はベツレヘムに侵攻した。4月2日の夜から、イエス・キリストの生誕地とされる聖誕教会に、武装したパレスチナ人やベツレヘム知事、住民約200人が逃げ込み、イスラエル軍が包囲する状態が続いていた。このニュースを覚えている人は少ないだろう。私がベツレヘムを訪れる1年半前のことだった。
 この教会は、キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌスが建設したといわれている。6世紀に改築されるが、特にその後の十字軍時代(11~13世紀)には要塞化された。そのキリスト教の教会に、イスラム教徒であるパレスチナ人がユダヤ教徒であるイスラエルからの攻撃を避けるために籠城したのである。皮肉というか、何というか、複雑極まりない。
 2002年4月4日、ベツレヘムの聖誕教会周辺では爆発があり、イスラエル軍による銃撃が続いた。私が訪れた頃は穏やかなものだったが、上掲のニュース写真を見ても分かるとおり、教会上空に照明弾と銃弾が打ち込まれており、まさに戦争状態だった場所だ。

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