2008年11月27日木曜日

研究所の会議

 今日は研究所の会議。
 京都は、訪れる度に寒さを増している。山の紅葉を見ることはできていないので、赤くなっていく姿も知らない。これほど、紅葉を訪ねて京都に来る人が多いのに、トホホである。
 研究所の役割は、本当に大きいと思う。その使命を果たすために、充実した内容の研究を進めるべきだと思う。事実、そういう研究成果が出るように、ご奉公させていただきたいと思う。なかなか、ご奉公が重なってしまい、時間に余裕もないために、研究に割く時間がないが、しっかりとしなければならないと思う。
 研究員、それぞれが研究をされていて、今回は札幌・信廣寺の石岡師の発表や横浜・照隆寺の前島師、妙経寺の吉川師の小発表があった。それぞれ、しっかり研究されていて敬服。私もしっかりせねば。

2008年11月26日水曜日

M先生の体験談!!!

 Y先生の奥さまはM先生。「先生」とはM先生の場合は「ドクター」という意味で、内科医の先生なのである。この不健康な私が海外出張の際などは、先生として色々とご配慮いただいている。どうしようもなくなった時には点滴を打っていただいたこともあった(先週もインフルエンザの注射をしていただきました。ありがとうございます)。
 M先生が韓国の団参の方々が来られた際、韓日交流会で、ご自分の信行体験をお話ししてくださった。もう、感激、感謝。ありがたい。
 だってね、文中にもありますが、M先生、怖かったんですから。Y先生の奥さまです。Y先生ご自身は私も気軽にイジワルしたりできるキャラクターで、先日のスリランカでもとびっきり面白いおみやげを買ってきて、お渡ししたほどなのですが、数年前のY先生の奥さま、M先生ったら、心を開いてくれることもなく、「トホホ」と感じていたほど。
 でも、忘れもしない。1年前かな?12月に東京駅から二人で電車に乗った。ドア近くのイスに座って、横浜まで帰ってきた。東京駅でご奉公があり、そのご奉公も有難かったのだが、それ以上にM先生と一緒に電車に乗って帰ってきたということが、僕にとっては、その会話、雰囲気、すべてが新鮮で、温かかった。今でも忘れられない。あんな時間を過ごすことも滅多にないからかな。
 そのM先生は、もともと感受性が強く、それだけではなく宗教的感性を持っておられたと私は勝手に思っているのだが、ご信心に前向きに取り組まれるようになり、すぐにご信心の妙味を感得された。真髄を掴んだと言わせていただいてもいいと思うが、いろいろなことを通じて現証の御利益、サインを感得されることも多く、すでに三人の方をお教化され、本当のご信心を実践されている。
 今回、ここにM先生のスピーチも、許可をいただいて載せさせていただく。是非是非、読んでいただきたい。絶対に、読み終わったら、ご信心が前に進むに違いない。ご信心をいただくまでのプロセス、素直な声と、ご信心の進む時の気持ちの変化、本当にありがたい御利益の感得がある。ありがたい。
=====================
1 はじめに
 私は実家は曹洞宗(禅宗系)ですが、嫁いだ家が本門佛立宗ということで、最初のうちは主人に連れられてという感じでお寺に参詣しておりました。心の底からの信心という感じでは、正直いって、ございませんでした。どちらかといいますと、途中から「お題目が何よ。そんなに信心って大事なの?」というくらいの勢いで、疑問をもっておりました。今思い出すと、お恥ずかしい話ですが、懐中ご本尊は洗濯機で洗ってしまい、柔軟剤までして、さらには天日干しまでしてしまいました。
 御住職には、「ご信心する意味が分からない。なんか、いいことがあるんですか」などと暴言を吐き、もう最悪の状態でした。そのような暴言に対しても、御住職は「いろんな意見が聞けて有り難い」との暖かいお返事をしてくださいました。「何なの?」と思いつつも、忘れもしない去年(2007年)の除夜法要です。これはお寺の年越し祈願のことで、大晦日の真夜中をはさんで奉修されます。これに参詣させていただいて、なんだか不思議に心中のもやもやが消え、本堂ですっと体が軽くなり、何かに包まれていく体感をいたしました。本当に何か解らないものが降りてきた感じでした。
 それからは、ご信心を有り難いと感じるようになりました。
2 職場で
 私の職場は病院なんですが、医療現場は、下種そのものが難しい環境ではあります。とにかく、看護師さん、薬剤師さんなど同僚に、「お寺って良いよ」と、声をかけています。以前の私は「瞬間湯沸かし器」の如く、気が短くイライラすることも多くあったんですが、今では嫌なことでも有り難いと言って乗り切っるように、心がけています。昔の自分が恥ずかしくてなりません。まあ時には「湯沸かし器」が爆発しそうにはなりますが。
 毎日のように「朝参詣良いよ」とか、「お題目最高!」なんて言っていると、こっそり「お寺行きたいんだけど」なんて、職場で声をかけらるようになりまして、3人お教化させていただくことが出来ました。おそらく除夜法要の後、1ヶ月間の寒参詣を頑張ったから御利益いただけたんだなあと、本当に「御法様有り難うございます」という思いで一杯です。
 3ブラジルへ渡って
 私たち家族は、今年の3月下旬から約4ヶ月間、ブラジルのクリチバというところで、主人の仕事の都合でしたが、生活いたしました。住むところが決まるまではホテル暮らし、そして慣れない環境と言葉の壁に日々悩み、いろんな経験をいたしました。子どもも、しばらくしてから幼稚園に通うことになりました。おむつが取れる少し前でしたので、トイレ探しや些細なことで、泣きたくなることも正直ありました。でも、だからこそ、心強かったのはご信心があるということです。
 ホテルにチェックインするとすぐに、日本の阿部信仰師からお借りした御厨子に懐中御本尊を収め、枕元のテーブルに御本尊を奉安させていただきました。ささやかですがお花もおいて。驚いたのは、花がかなり長く持ち、枯れたり痛んだりしないのですが、それは気候と花の種類によるのでしょう。そして、心配ごとや怪我をしたときは、とくに家族で御宝前にむかって、祈願言上させていただきました。そのかいあって、大きなトラブルもなく、過ごすことが出来ました。
 ところで、滞在中のわたしのポルトガル語の先生が、生年月日が完全一致の方で、穏やかな優しい女性です。名前がベレニス・マハーナというのですが、マハーナはマハヤナに近く響き、「マハヤナ」はご存知のように「大乗仏教」という意味です。有り難いご縁です。とにかく彼女にも声おかけようと、たどたどしいポルトガル語なのでどこまで伝わるかはわからないけどけれど、クリチバのお寺に誘ってみました。一度だけですが、お寺にも来ていただくことができ、またコレイヤ御住職の書かれた本も、興味があるから読んでみるとのお返事をいただけました。
4 寺内に移り住んで
 ある日、クリチバのコレイア御住職から、「お寺の裏にあるお部屋が一つ空いているので、もし良かったら、住んでください」と、お声をかけていただきました。主人と驚きながらも、また御利益だねと喜び、お言葉に甘えさせていただきました。お寺のお部屋には、ご住職のお父さんがお戒壇を置く棚を作ってくださったりと、もう有り難いことばかりでした。このころから、とくに子どももお戒壇に向かって手を合わせて大きな声でお題目、無始已来…をお唱えするようになりました。たまにすすんで御導師をしていました。本人なりには一生懸命でしたが、幼児なのでかっこよくできませんから、なんだか微笑ましく思えました。
 ところで、ブラジルの生活では、もちろん我が家は車はなく、移動手段はバスとタクシーでした。そのことで主人はかなりスリムになり、日々いかに運動不足かということです。まあ、私は恥ずかしいですが、ブラジル料理がことのほか大好きで、見てのとおり変りませんでした。
5 長男(4歳児)の下種活動
 話が前後しますが、一ヶ月くらいしてからだったと思うのですが、長男がタクシーの中で、何を思ったか、いきなり日本語の分からない運転手さんに、顔をのぞき込むようにしながら、お題目を唱え始めたのです。気分が乗ると、「無始已来…」を最後まで唱えておりました。運転手さんも、キョトンとしながら、耳を傾けてくれます。タクシーのミラーの所にキリストの十字架があるにもかかわらず、お寺までの車中、お題目を唱え続ける子どもを嫌がらず、ニコニコして聞いてくれました。なんて有り難い。そうして最後に「いかしてるぜ」というときにブラジル人が親指を立てるポーズをしてくれることさえありました。ポルトガルの出来ない子どもでも――子どもだからかもしれませんが――、お題目をコミュニケーションの一つにしてしまうことが出来るんだなあ、こういうつながりもあるんだなあと、感じました。
 コレイア御住職と飛行機でお助行も行かせていただけました。声をかけていただき、本当に温かく接するお人柄に、言葉では言い表せないほど感謝しています。ただ子どもに対しては、親ながら、タクシーでの必死な感じの下種には「何でそこまで頑張るの?」という疑念をもっておりました。コレイアご住職に、子どものタクシー内でのことをお話しすると、「これも下種になるよ」とのことでした。
6 おはからいをいただく
 そのことに大きな意味があったということを、のちに思い知らされました。クリチバのお寺では、年3回から4回の大きなフェスタ(すき焼きフェスタ・魚料理のフェスタなど)を開きます。われわれ婦人会が中心となり、前の日から200人分くらいの分量の料理の仕込みをします。当日も、朝から料理を作り、男性は食卓テーブルなど食事場所の準備をします。ご近所や信者さんやお友達に、日本円だとおよそ1000円から1500円くらいのチケットを買っていただいて、お寺にお誘いします。そして手作りの料理をいただき、ビンゴ・ゲームもします。
 ある時、すき焼きフェスタの時の仕込みの時だったと思います。ブラジル人はとにかく陽気でワイワイおしゃべりしながら料理を作るのですが、いろんな人の声が飛び交う中、私がかなり刃先の鋭い包丁をもって、野菜を切っていました。長男は、退屈して、てっきりお兄ちゃんたちと遊んでいると思っていました。そのときのことです。「ママ!」と私を呼ぶ声がしました。私の気がゆるんでいたせいかもしれませんが、とっさに振り返ったとき、手に持った包丁の先に、丁度長男の眼が!私は「しまった!」と思いました。手に何かが刺さった感触がありました。と同時に、子どもは顔を押さえ、痛い痛いとうずくまってしまいました。着ていた洋服が赤い色だったので、血なのか服の色なのか、判断がつきません。私は血の気が引きました。私は混乱して泣きながら、子どもの頭をなでて、おそるおそる手をどけ、顔をのぞき込みました。目頭からほんの2~3ミリ離れたところが、少し切れているだけでした。
 私は涙が止まらず、包丁の先が当たったのが眼でなくて良かったと、「ごめんね」と抱きしめてしまいました。その直後、妙なのですが、いつの間にかコレイヤご住職がいらして、優しく「日々のお題目とお助行頑張ったからだよ。今までの貯金、全部使っちゃったね、これからも頑張ろうね」と、長男の頭をなで、だっこしてくださいました。本当に、このことがあることが解っていたかのような、タクシーや家でのお看経でした。偶然ではなく、この子にとって、今までのことは必然だったのだなあと、心の底から思い、ご信心のありがたさを親として身につまされる思いで、経験いたしました。目頭の傷は、今では完全に消えました。どんなときでも、どこに行っても、相手が仏教徒でなくても、ご信心を伝えることは大切なんだと思いました。
=====================
 このような言葉を語ってくれるM先生。本当に、ありがたい。ナガマツ家は家族そろってM先生には感謝していて、妙深寺の尊い90才の尼僧・妙清師の看護や治療についてもM先生にご相談するようになった。本当に、ありがたいのだ。
 もちろん、M先生だけではなく、M先生と同じ世代の方々が、お互いに励まし合いながら、ご信心に悦びを感じてくださっている。全員、ご紹介したーい(涙)!今度、シリーズで、させてもらおうかな(汗)。
 M先生、ありがとう!

2008年11月25日火曜日

Y先生の体験談!!

 昨日、勤労感謝の日の振り替え休日となった月曜日、神奈川布教区の婦人会やファミリー会が中心となって、『女性の集い』が開催された。世相もあり、家族の絆を考えるというテーマを設けて企画され、ご奉公が進められてきた。本当に、こうした行事を企画し、実行できることが有難い。
 その中で、我らが先生が体験談の発表をされた。もう、これが聞きたくて聞きたくて、私はウズウズしながらカメラを構えて待っていた。もう、原稿の段階で爆笑してしまっていたので(いや、細かく入るギャグが面白くて。内容には感動したんです)、どうしても聞きたかったのだ。
 しかし、時間の関係で、先生はドッと内容を割愛してお話ししておられた。しかも、「あー、あ、あ、うー」と大平元首相のような独特のテンポで、聴く者を引きずりこもうとし(いや、逆に引くけど)、時間がなくなってゆく。残念!と思ったので、ここに原稿を載せさせていただいて、誰にとっても、とても為になる信行体験談をお読みいただきたい。ちょっと長いけど、読み終わったら、あなたのご信心が増進していることは間違いなし。目から鱗が落ちるかも。
=====================
1 妙深寺でご信心をはじめて
 ありがとうございます。本日はこのような機会を与えていただきまして、心よりお礼申し上げます。
 さて、私がご信心を始めたのは2005年でした。青年期以降、30年近く、ご信心はしておりませんでした。中学生の、だんだん生意気になっていくころ、佛立宗の表面・表層だけをみて、誤解してのことですが、嫌になってしまって、完全否定へと走りました。
 佛立宗の御信心のあり様は各家によって微妙に異なるでしょうが、うちの大阪の実家では「あれだめ、これだめ」というのだけが、妙に記憶に残ってしまったのでした。ご宝前にあしをむけては駄目とか、神社にいっては駄目とか。親はいつも「駄目、駄目」とばかりいっているわけではありません。しかし、なぜかそれだけが佛立宗だと勘違いしてしまって、それでおもしろくなくなって、やめてしまったわけです。作法は大事だし、ご宝前への正しいお給仕はすごい大事だと今でこそおもいますが、初心の、とくに斜(しゃ)にかまえた現代青年に、いきなりこれをつきつけると、嫌になってしまうのではないでしょうか。わたしは、嫌になりました。
 誤解無きよう申しますが、両親がそれほど謗法で私を叱っていたわけではないし、大阪のお寺も、そんな減点主義の指導をされていたわけではなく、今新しいHPを拝見させていただいてもわかりますが、楽しい活動をたくさん展開されておられます。なぜか「くんげ会」「青年会」の楽しい活動には参加しないまま、わたしの頭が勝手にマイナスの印象で固まってしまいました。
 3年前から、妙深寺に参詣させていただくようになりました。そこで、ひろしさん(このブログでは「ひろし君」と書いている)が、同時期にご信心を始めておられました。これは信心開始の、大きな要因です。同時期というか、わたしよりちょっと早かったと思いますが、グランデ・ファミリア(2006年5月)のお手伝いのご奉公が転機となって、ひろしさんは一気に御信心を強められたようです。それで、佛立宗の従来のイメージがぶっとびました。
 なんといっても、ひろしさんは、かっとんでおられます。言葉も悪い(当初は)。「わたしは、どんどん商売を発展させて、億単位でお布施を寺にぶちこむぞー!」と。「ぶちこむ」「ぶちこむと」と、何度もおっしゃるものだから、やがてご住職も「あのね、<ぶちこむ>じゃない。<奉納させていただく>とか、ほかに適切な表現があるよ。それに、<寺>じゃなく、<お>寺!<御>をつけましょう、たのむから」と、お折伏というか、半ばあきれておられました。
 あまり細かい注意はされません。おおらかで、細かい作法より、まずは気持ちが最優先です。人助けをしたいという熱い気持ちを最優先に、われわれ「不良青年」をご教導されたと思います。むろん、作法も大事です。
 小泉さんも、ここでネタにつかって申し訳ないのですが、最近は言葉も、上品な言葉にかわってこられました。今では、「将来もうかったら、たっぷり寺にぶちこませていただきます」と、<いただきます>が、つきます。わたしも、作法はできてません。はたから見ていて、不十分なことが多いと思いますし。
 「御講附け」は、お新香など御講のときのご供養でいただく漬け物のように聞こえるし、いったい何だろうかと長らく疑問でした。佛立宗の御講のときって、必ず漬け物がでるように、思っていたのです。
 憲史さん(このブログでは「憲史くん」)という、小泉さんの会社の、有能で新進気鋭の若手社員がおられます。「わたしはグズグズしていて、駄目社員だから、お寺で弘通部、つまり<グズの部>の配属になった(涙)」と、ある日しょげておられました。佛立宗、言葉が難しい。
 「先生、団参(だんさん)いきませんか」と、誘われた時がありましたが、「わたしは、まだ若いです。旦那さんじゃないです(汗)」と、これは笑いとるためにつくったネタで、さすがにそこまでボケませんでしたが、「ダンサン」って何のことか、すぐに漢字が浮かびません。
 とにかく、困った人を助けるには、佛立宗が一番いいのですが、その熱い気持ちが一番大事です。細かい作法も大事なのですが、われわれ20代~40代の初心の段階で最優先すべきは、作法より気持ちではないでしょうか。映画制作会社の社長で、ハリウッド映画もつくられ、米国にブラジルにイタリアにと、世界中をビジネスでとびまわって超多忙のなか、ひろしさんは睡眠時間をけずって1年間で3回も百本祈願を成就され、お教化をあっという間に60人もされ、また育成にもがんばっておられます。
 彼と、「あれが謗法だとか、これが謗法だ」とか、そんな話をしたことがありません。「とにかく動いてるものがあれば、みなお寺に連れてくる!」、その意気込みあるのみです。どうやって佛立宗を弘めて、人助けをしようか。そればかり考えておられます。本庁の上層部の会議で、「あの、マンネリポスターは、なんですか」と批判されたり、さすがにひろしさんを本庁へ紹介された長松ご住職も、「場所をわきまえて」と、一瞬冷や汗をかかれたようですが、ひろしさんのすごいところは、口先だけでなく行動されるところで、ちゃんと映画界やTV界の映像やデザインのプロを紹介されて、おしゃれなポスターをつくるというご奉公を成就されています。
 お寺にかぎらず、日本社会では「出る杭は打たれる」がありますが、「(ご弘通にプラスになることであれば、つまり困った人を助けるためであれば)、出過ぎた杭は打たれない」。どんどん、「出る杭」になればいいと、教わりました。ただし、お題目を通じての人助けの話に限ってのことです。
 ブラジルのクリチバの如蓮寺で、炊き出しのご奉公でスキヤキをつくってました。どうも、砂糖をいれすぎた。ブラジル人は塩味が好きで(岩塩が主)、甘いスキヤキは苦手。こういうときに、「出る杭」には、なりません。わたしはさっと引きました。「郷にいれば郷に従え」――ブラジル風の味付けに、すぐにしたがいました。
 ご奉公では多くの場面で「調和と協調」が大事だと思いますが、ご弘通のご奉公という点では、まだお寺にきて3年の若輩ですが、出まくってます。浅知恵のアホな人間ですが、その話をきいてわずかでも信心増進に励みになるようでしたら、どこへでも行かせていただいてます。大阪の親は、慎重なタイプなんで、「ご信心の篤い諸先輩が多いなか、若輩が人前にでるな」と、わたしの動きを小耳にはさんで、「やめとき」です。冷や冷やでみているようです。わたしは同年代とか、わたしと同じ入信3年くらいの人をはげまし、また互いにはげましあおうという気持ちで、お引き受けしてます。
 いずれにせよ、佛立宗はこんなに明るい、積極的な活動の場だったののかと、感心しました。もっと早くから、大阪のお寺でもいろいろ活動をさせていただいておれば、よかったと思います。
2 海外弘通に参加させていただいて:
 第2に、まだ日本の佛立宗がよくわからないうちに、どんどん「海外に行け!」といわれて、海外に出ました。また、ご住職のブログにも、海外の様子がたくさん写真入りで出ております。イタリア、スリランカ、ブラジル…。
 わたしは、インドにまずいかせていただきました。まずはダライ・ラマ14世とのセッションです。昔風にいえば、大謗法ですが、ついにダライ・ラマさんにまで下種いたしました。ダライ・ラマさんも、数千人の前で、わたしたちと一緒に「南無妙法蓮華経」とお唱えになったわけです。
 わたしは、いま、ローマ法王の正法帰入を祈願しようと思っています。打算や計算ではありません。キリスト教のトップをお教化したら、芋づる式にたくさんの人を一度に改宗できるのではないかというような、計算ではありません。彼を救ってあげたいからです。まちがった教えのトップになってしまった人です。最悪の人生じゃないでしょうか。現世ではたとえ無理でも、来世で正しい教えに生まれるよう、祈ってあげたいと思います。
 さて、海外弘通部長を拝命しまして、ブラジル国に4ヶ月間住みました。この経験も強烈でした。ブラジルは広く、ちょっとした移動も100kmです。100km離れた村で佛立宗のご信者さんのお葬式がありました。しかし、カトリックの国ですから、葬儀場もカトリック方式で、十字架が固定されており、その前に棺桶が安置されており、その近く御本尊をおかけして、お看経をさせていただきました。何が謗法かを丸暗記しているようでは、海外でご弘通はできません。
 コレイア御導師に、「先生、この御本尊の延長に十字架がみえるように御本尊を配置しましたから、御本尊のむこうに十字架すけてみえていると思いこんでください。雑乱勧請(ぞうらんかんじょう)ではないと考え、すべての神が御本尊の中にはいっていると考えてください。そのように御本尊を拝見しながら、お看経してください」ということでした。
 勧請様式についての生半可な理解では海外弘通はできないと思いました。正しい教学と、佛立宗こそがあらゆる宗派に勝るのだという強い確信が必要です。あれは駄目とか、これは駄目といった知識より、「佛立宗がベストだ」という、強い気持ちが最優先です。「強い気持ち」は、「自然な確信」とイコールです。無理して信じているのでは、いつか反動がきます。「自然な確信」こそ「強い確信」です。別に、わたしは無理してません。佛立宗が世界一というのは、1+2=3と同じで、どっちかというと、信じる必要すらない、当然のことで、ごくごく自然な確信です。
 お葬式もそうですが、とにかく、ブラジルでは謗法ものの中で生きるわけです。ちょっと歩けば、教会のある広場(プラザ)です。やっぱりカトリックもいいかなとか、そういうフラフラした気持ちでは、ブラジルでご弘通はできません。コレイア御導師はTVで、司会者に聞かれました:「仏教では悪魔をどう理解しますか?」。コレイア御導師は「悪魔は、お教化の対象です」と即答されたそうです。『妙深寺報』(8月号)で、そのお話(ご法門)の全文が掲載されています。これにはまいりました。
3 父親として
 第3ですけど、父親としては、長男に佛立宗のよさを伝える努力をしています。0歳のころから、とにかくお寺に連れてきています。いまやっと4歳です。作法については、4歳児ですから、やかましいことを言わないようにしています。彼はいつも、ご宝前にあしを向けて寝るんです。昼間は、ボールを投げて、たまに球がご宝前に飛んでいきます。ご宝前にボールが当たるのはやばいと感じているようで、頭をちょこんと下げて、謝っています。でも、あしは、きっちりご宝前に向けて寝るんです。
 一応、ご不敬だよとは指摘しますが、執拗にはいいません。まだ4歳です。あれは駄目、これは駄目では、お寺が嫌になるでしょう。むしろ、いいことをすすめています。ご祈願がわかるようなので、なにか心配事があるときは、ご宝前で御祈願をさせますと、よろこんでしています。かれから、「おとうさん、明日遠足だから、天気がよくなるようにご法様にたのんでくれ」と、わたしに依頼してきます。それと、その結果をかならず、後日忘れないうちに、彼に話します。「昨晩ご祈願したから、いいことあっただろ。あれはご祈願のおかげやで」と。本人も、感得してくれます。とにかく、否定文、つまり「あれするな」「これはだめ」は、いわないようにしてます。ご宝前に足向けて寝てますが、いいんです(ねいってしまえば、わたしのほうで、向きを逆さに変えてます)。
 お看経は、帰宅も遅いし、夜中の2時、3時からが多いのですが、しかし可能な日は本人が起きている、夕食後の8時台にお看経をいただいています。本人がみている前で、夫婦でお看経をさせていただくよう、努力しています。むろん、できれば本人も一緒に。でも、疲れてか、一緒のお看経を嫌がるときは、強要せず、われわれをみているだけでOKです。親が、できれば両親がそろって信行をしている姿を本人に見せることが、大事だと思います。佛立宗は、ご信心が目に見えるので、そこが実にすばらしい。目に見える行為は、子どもにみせるように心がけております。佛立宗は、見えるので、本来は子どもに伝えやすいのではないでしょうか。
 ときどき御導師役をしたがりますので、してもらっています。お水を持ってこい、参詣者リスト(参詣者名を言上するため)を持ってこい、とんとんと叩くやつ(拍子木じゃなくて木琴のことだが、まだ名称を知らない)を持ってこい、最後起立して「宗歌をうたえ!」などと、うるさい。フルセットさせられます。歌など、時間がないときには困るのですが、うちに限らず一般に子どもはよく御導師を観察しますよね。みなさんのお子様も御導師の癖まで真似ておられませんか?小学校に行く前に、妙講一座で、漢字を読むという行為のまねごとができるので、まさに寺小屋。教育にもなり、ありがたいです。
4 夫として
 第4に、夫としてです。結婚は1998年。当時は私も家内も無信心で、ただ懐中御本尊(本来「お守り」ではない)だけを神社の「お守り」感覚で護持させていただいてました。親に押しつけられたようなものです。家内にも護持させてました。もともと家内のほうが感受性が強く、家内から「これ、すごい効果ある」と言い出したのです。そういうことが積み重なり、長男誕生時の初参りが直接のきっかけとなって、ご信心を始めました。
 もともとは家内のほうが感受性が強いのですが、佛立宗のご信心、お看経の信行をはじめたのは私です。仏道は、感受性だけではないわけで、口唱業という修行、お寺参詣、ご法門の聴聞が大事です。それを家内にもして欲しいと思いました。同じ方向を向きたいですし、家で一緒に二人でお看経をいただいたほうが、御利益のパワーも違います。しかし、しばらくは私一人だけが信行をはじめ、家内はみているだけでした。お寺参詣は一緒にきてくれますし、くんげ会も参加してますが、『妙深寺報』をよむわけでなく、口唱業にも励みません。佛立宗はいいと評価してくれますが、信行を始めません。
 私は家内の「信心増進」を1年以上毎日ご祈願しつづけました。わたしのご祈願だけでなく、お寺の同年代の女性信者さんとの交流もあって(彼女らが家内を励まし、奨引してくださって)、家内も理解もすすみ、お寺参詣、ご法門聴聞、『妙深寺報』の拝読、そして朝夕の家でのお看経を始めるるようになりました。とくに昨年末の除夜法要、もう1年くらい前になりますが、そこで一気に「はじけた」そうで、それ以降あっという間に御教化を3人成就し、そして自宅でも最近では2時間ほど、お線香でいえば3本ほど、つまり私より長く御看経をいただいている日もあります。
 二人でお看経をいただき、また御祈願をいたしますと、「効果」は倍増でございます。
5 大学の教員・研究者として
 最後に第5に、大学教師、研究者としてです。大学教師は、教師と研究者と大学経営者の3つの機能を果たします。(1)講義や博士論文の個別指導や学生との研修合宿などの教育活動、(2)複数の研究プロジェクトの遂行のための調査・取材、(3)大学運営のたくさんの会議、などなどです。最近は運営交付金という、文科省からいただく予算が激減ですので、外部資金獲得のため、あちこちの財団や基金に研究助成金を申請する、そのための申請書類作りが増えています。
 その学生ですが、留年する学生の中でも精神疾患に苦しんでいる者も多い。多くの大学が、精神を病んでいる学生へのケアをどうすればよいか、悩んでいると思います。そこに、カルト組織がはいってきます。うちも、カルトにはいらぬようにとの警告文を、学生がよくみえる場所に掲示しています。
 さて、学生を直接ご信心のお話をして勧誘するというようなことは、公務員の倫理上、できません。してはいけないことだと思っています。では、仕事の関係でご弘通ができないのかというと、そんなことはないんです。日々の口唱とご祈願です。上で述べたように、経済界などからの取材が多いので、それは学生ではないので、ご信心をおすすめしてます。
 先日あるラジオ音楽番組のDJがこられましたが、3時間の面談のうち1時間は、佛立宗の説明になってしまいました。教えをひろめるのは、1+1=3とおもっている人に、それは2ですよと、教えることであり、真実を教えるのですから、なんら問題ありません。当たり前のことを教えるだけです。どんどん、佛立宗をいろいろな人におすすめするといいと思います。別の日に、ポラリス・プロジェクトの代表がこられました。人身売買をストップさせる国際NGOの日本支部で、スタッフは1人です。孤軍奮闘です。彼女にも、佛立宗のお話をさせていただきました。国際マフィア相手の危険な面もある仕事です。警察と協力して動くこともあるそうです。新宿の歌舞伎町などに突入するわけで、お題目をおすすめしました。
 下種結縁のご祈願をしておりますと、突然全然知らない翻訳家からファックスがはいり、経済学用語の翻訳を教えてくれとの依頼です。その結果、この本がでました。数ヶ月で7刷りの、大ヒットです。主要書店で平積みになってます。最後の「あとがき」にわたしの名前も出てるのですが、翻訳者は佛立宗の「ボーズバー」や「秋のコンサート」に来てくださいました。
 ブラジル滞在中、4ヶ月毎日の開門参詣と、一万遍口唱の御祈願のおかげで、なかなか手に入らないような貴重な環境情報を入手できました。こういったことも、ありがたいことでした。
 最後に数学(ベクトルや行列)で仏教を表現するとか、計量経済学・回帰分析で仏教を分析するなどを、考えてます。たとえばロジット・モデルとか、プロビット・モデルとかありまして、信徒さんのどのような属性がお寺参詣<確率>を高めるか、そういう確率計算ができるのですが(ソフト:EVIEWSなど)、それなども考えてます。
 「Chant Globally, Act Locally」=グローバルに口唱し(世界中の人のために御祈願し)、地域で菩薩行に励む、を「合い言葉」として、作りました。これで、きばりたいと存じます。
 今後ともよろしくご教導のほどをお願い申し上げます。
=====================
 フルート。スピーチの後で、演奏を聴かせてくださった。とても素晴らしかった。

2008年11月24日月曜日

想いが溢れるお看経

 土曜日の夜は、内容の濃い夜になった。
 夜中、22時過ぎから、はじめてお寺に来られた方と一緒に、本堂でお看経をさせていただいた。本当に、有難く、想いが溢れた。
 素直に、正直に、御宝前に座り、御法さまに向き合うこと。御題目をお唱えする修行は簡単なようで奥が深く、本当に素直に、正直に、御題目を御本尊にお唱えできているかどうか考えると、普段のお看経の改良ができる。
 どうか、日々にご相談をうけ、お話をしている方々が、このご信心に出会い、お計らいをいただけますように。お折伏をさせていただいた方々が、ご信心前を改め、素直に、正直に、御宝前に向かい、お計らいをいただけますように。

2008年11月22日土曜日

本当の仲人 今日の結婚式にて

 今日は、15時から本堂にて結婚式。素晴らしい晴天の下、嬉しいご奉公だった。
 今日のお二人と初めてお会いしたのは、新郎のお父さまがご病気になってからだった。お母さまは、妙深寺でよくご奉公してくださっており、教区の中でも素敵な笑顔で雰囲気を和らげてくれる存在だった。そのご主人は、お参詣の送り迎えでお会いしたり、壮年会に顔を出してくださるようになって、私はなぜかその人柄が大好きになった。はみかみがちで、スポーツマンで、楽しい方で、時を経るにつれて受持御講師の送迎のご奉公や法城護持、さまざまな場面でご奉公をしてくださるようになった。
 そんなご主人が大変な病に冒されていると知った。診断から手術、それから闘病生活がはじまった。お寺をあげてお助行をさせていただき、教区の人たちも受持御講師を先頭に、よくよく思いやりのお助行をしてくださっていた。
 そんな折、息子さんとお会いした。そして、同じ頃、新婦の明子さんともお会いした。闘病中のお家の中で、御講をいただいたりする中で、新郎も新婦も、お父さんの身体、お母さんの気持ちを深く思いやり、ご信心のことも理解しようと努めてくれていた。私は、その姿に、本当に頭の下がる思いだった。
 元気に回復してくださると信じていたし、帽子をかぶりながらお寺参詣も出来るようになったと思って安心していたが、私の父の時と同様に、徐々に身体はお痩せになり、体力も失われていってしまった。そんな中、何度となくお宅に伺い、お助行させていただき、一緒に御宝前でお看経をあげさせていただいた。臨終直前まで、お宅に伺い、ソファーで寝ているご主人の肩、背中、足をさすりながら、御題目をお唱えさせていただいた。そんな過酷な闘病の家の中、二人はご両親を見守っておられた。
 本当は、お父さんの病気がなければ、もっと早く結婚を挙げておられたのだと思う。事実、そうお聞きした。しかし、お父さんのご病気があり、二人の中でたくさん話し合って、一周忌が終わってから、こうして晴れて結婚式を執り行うこととなった。
 私は、今日の朝から、お父さんのことを頭に浮かべながら、お看経をさせていただいていた。喜んでおられるだろう、二人に感謝もしているだろう、見守っているだろう、と考えると、涙が浮かんできた。もしかすると、新婦に対しては「申し訳ない」と思っておられたかも知れない。しかし、だからこそ、これからの二人を、ずっと見守ってくださるに違いないと確信した。
 お父さんのいる御宝前で、二人は華燭の式典を挙げた。本当に、「篤姫」のように綺麗で、見事な姿だった。二人とも、心から幸せそうだった。御宝前が光り輝いて、二人の門出をお祝いしてくださっているようだった。三三九度の姪っ子さん、甥っ子の翔太君もかわいかったし、キチンとご奉公してくれた。
 何より、私はご挨拶で、普通、結婚式で使ってはいけないとされる言葉があるが、ここはお寺、生老病死のある、人間のありのままを話させていただきたいと言い、お父さまの看病と二人について思っていることを述べた。本当に、あの時から二人は立派だった。
 「病は成仏の仲人」という。なかなか、人間というものは難しいもので、普段は自分にとって何が大切か、忘れてしまう。気づけない。気づいていても、それが行動に移せない。それが、人生の中の辛い出来事、特に病気のような大変な事態になって気づくことがある。今日は結婚式だから「仲人」という言葉も耳にすると思うが、そうした苦しい体験こそ幸せになるための「仲人」であると教えていただいている。お父さまのご病気、闘病、看護、そして別れなど、二人は結婚する前に大変なことを経験した。それを、二人で経験し、乗り越えてきた。そのことこそ、幸せになるための仲人だと思う。どうか、お父さまが病気を通じて教えてくださったことを忘れず、幸せになっていただきたい、と申し上げた。
 聞くところにとれば、今回二人は結婚するに当たって仲人さんを立てておられないという。しかし、二人にはお祖師さまが教えてくださっているとおり、本当の「仲人」がいるのだから、幸せになることは間違いない。もし、何かあったら、いつでも何でも、僕に言ってきて欲しい。もちろん、しっかりとお参詣し、お父さんへのご回向も忘れてはいけない。「しっかりご奉公します!」と言ってくれた新郎の言葉に、また、涙が浮かんだよ。
 本当に、幸せそうな二人。このようなご奉公をさせていただくことができて、本当に、こちらの方が幸せでした。ありがとうございます。

韓日の交流会

 今日は朝から長野へ。
 今朝、長野は摂氏0度だったそうで、私が到着した時も9度くらい。やはり寒い。コートを着て、マフラーを巻いて、本格的な冬の到来を感じた。軽井沢から見た浅間山の頂上にも、うっすらと白い雪がかかっていた。
 先週の金曜日には韓国の方々が到着された。早いもので一週間が経ってしまった。土曜日は第一座の御唱導を姜ご住職にいただいて、13時からは交流会を開催した。姜ご住職の御唱導、御法門、ありがたかった。汗が顔から噴き出して、情熱のこもった御法門をくださった。しかも、「立正安国」という私たちのテーマを受けて、非常に深く勉強してきてくださり、分かりやすくお説きくださった。
 また、HA理事長が体験談をお話くださった。2004年、悪性リンパ腫に冒され、大変な治療を受けておられたのだが、それもすべてお看経とお供水で克服され、こうして健康になっているということ、若い頃は軍関係者、今や国民栄誉賞を受けておられる理事長だが、すべて御法さまのお計らい、御利益だったと振り返ってくださった。4年後にお迎えする韓国・本門佛立宗の100周年まで、しっかりとご奉公すると決意を述べてくださった。
 この交流会は、本堂に韓国の参詣団をお迎えして、日本の私たち妙深寺信徒と対面に座り、韓日の体験談や質疑応答を行った。
 日本からはY先生の奥さま、真理先生のお話。これがピカイチ素晴らしかった。ほんと、ここで紹介したい。許してくれたら、今度掲載させていただく。来週の月曜日、布教区「女性のつどい」で、Y先生ご本人にもスピーチをしていただく予定だが、これも最高!僕は直接聞けていないのだが、事前に資料をいただいて読んだ。もう、ゲラゲラ笑った。いや、笑っただけではなくて、もう感動する。絶対。まだまだ、参加できるので、ぜひ直接お聞きいただきたい。来週の月曜日。
 韓国の方の体験談は、新清寺から。私たちにとっては新鮮な内容で、ご信心の見つめ方をあらたにさせていただいた。質問コーナーでは、ディープな質問もあり、面白い質問もあり、内容の濃いものになったという。
 その後、交流助行へ。今回は4つのグループに別れて、日本語の出来る韓国の方に各グループに入っていただき、席主と身近に交流していただいた。どちらからといえば、教区内のご信者さんに幅広く声をかけず、お席主と親しく話をしていただこうという企画だった。御講師も随行して、撮影やらサポートをさせていただこうということだった。常に、ご信者さんを主役にするというのが妙深寺流ということだった。
 今回おさんけいされた韓国の方々は非常にご信心の強い方々ばかりで、こちらの人が有難いお折伏をいただけたと喜んでおられた。日本側がビビるくらい、と。妙深寺では、特に若いご信者さんのお席を選んでいたこともあると思うが、とても有意義だった。感想を聞くと、「お折伏に躊躇がなかった」ということで、「絶対におはからいいただくわよ!」とゼスチャーを交えて励まされという。お互いに励まし合い、学び合う姿勢。日本が教えるとか、本家とか、そんなことは関係ない。教弥実位弥下、ありがたい。
 森山さんのお宅では、ご主人が脳腫瘍から妙不可思議の現証の御利益をいただいたばかりなので、韓国のHA理事長も熱心にお話くださったという。三世代にわたる信行相続についても、その姿を見ていただこうということで、主旨が通じたと思う。韓国でも、若い人がご信心を相続していくために刺激になったと思う。
 夕方、お寺に戻ってきて、ギリギリまでお助行になってしまったのだが、一息つく間もなく、そのまま18時からガラスの間で歓迎会を行った。手作りの歓迎会。「オソーセヨ、妙深寺へ」と声を合わせて、杉崎さんの発案で演出された。電気を暗くしておいて、20名くらいの大合唱。みなさんに入ってきていただいて、「オソーセヨ、妙深寺へ!」の合唱の中、クラッカー。ほんと、手作り、まごころのご奉公。ありがたい。
 お食事は、これもご信者さんが持ち寄っていただいた。婦人会の大功労者であり大先輩の長谷川さんも、ひじきやきんぴらゴボウ、鮎の求肥、他にも、まごころ、手づくりのご供養。伝統的な家庭料理を楽しんでいただいた。そして、メインは、中華料理店を経営しておられた立石さんに腕をふるっていただいた。もう、本格的な中華で、前日から仕込んでいただき、当日は食べきれないくらいのお料理をご用意してくださった。しかも、最高の最高に美味しい!ほんと、美味しい!通っていたくらいなのだから。
 しかも、後日談だが、全員が食べられるようにとメインの料理を作ってくださった立石さんに、今回の材料費をお支払いしようとしたら、それらを全て含めてご有志させていただきたいと言ってくださり、本当に有難く、「いや、今回はお支払いさせてください」と申し上げたのだが、結局ご有志としてご奉公してくださった。
 歓迎会の看板も、局長が韓国に行った時の歓迎会で素晴らしい看板があったことを覚えておられ、それを是非妙深寺でもお返しに作らせていただこうと作ってくださった。デザインを御願いし、妙深寺のご信者さんである小島さんがプリントアウトして持ってきてくださった。ハングルがどうしても出ないということで、その部分はなんと手書きということだった。その他の装飾も、「手作り感で勝負しよう」ということで、まごころを込めたご奉公となった。ありがたーい。
 交流会では、司会者の杉崎さんのリードで、完璧な盛り上がり。はじめに局長が「釜山港に帰れ」と定番を歌い(本当は局長の18番は「みちのく一人旅」)、そこからは韓国の方々が次々にカラオケをリクエスト。全く日本のみんなが入る余地もなく、大盛り上がりだった。感激したのは「ブルー・ライト・ヨコハマ」を練習してきてくださった方がいたそうで、日本語をハングルでわざわざ書いてきてくださり、歌い上げてくれた。そのお気持ちにさらに盛り上がったという。
 HA理事長の息子さんもフリ付きで歌ってくださり、最後のトリは姜ご住職。みんなのリクエストに、ちょっと恥ずかしがっておられたようだが、押し切られて歌ってくださったという。松山千春の「恋」(せつなーい)。一同、本当に打ち解け合って、いい雰囲気で、最高の2時間だったという。
 高祖会の本番前、前日の夜に、このご奉公をしてくれる妙深寺、すごいなぁ。ありがたい、ご奉公してくださった方々、ありがとう。

2008年11月20日木曜日

やんちゃな、、、

 しばらく見ない間に大きくなってる。なるほど。

 かわいらしいが、とても強くて、やんちゃだ。

 思春期に対決することになりそうだから、体力を温存しておかないと大変なことになるのではないかと思う。

 私の父も、ずいぶんと身体を張ってくれたし。

2008年11月19日水曜日

妙深寺ホスピタリティー

 京都でのご奉公で、様々な方とお会いし、高祖会の天候について聞かれた。
 既に書いたとおり、9時30分の石川御導師ご到着の時、既に雨が上がりつつあり、そこから第二座、第三座まで降らずにお見送りのご奉公、第二座終了後にお寺を出られた韓国の方々の横浜ツアーも雨に降られることなく滞りなく終えることが出来た。他の地域では全国的に午後まで雨が降っていたとお聞きして、本当に有難いことだったと思う。
 韓国の方々が日本に到着したのは金曜日。その直前まで、『妙深寺トラベル』と名前をつけたくなるほど、手作りの韓国団参者ツアーの企画旅行を局長室、特に瓜生さん、第二弘通部はじめ、たくさんの方々が準備を進めてくださっていた。手作りのパンフレット、手作りの鎌倉ご遺跡巡りのしおり、ウェルカム・ボード、ハングルを織り交ぜた説明文、韓国弘通の歴史について書かれた紹介プリント、おみやげ等々、準備を夜遅くまでしてくださっていた。
 通常の御会式のご奉公にプラスして、こうした他寺院の宿泊受け入れご奉公である。妙深寺は施設が整っているわけではないので、壮年会室や大広間、第二本堂の和室を急遽宿泊していただく部屋として、貸し布団をお願いし、セッティングした。大広間には10名以上の方に雑魚寝のようにしていただいてしまった。しかし、この「まごころ」のこもったご奉公をみて、韓国の方々は本当に歓んでくださっていたようだ。
 今回、また有難かったのは、韓国の方々のほとんどが日本語をしゃべれないと言うことで、妙深寺の内外から通訳が出来る方を探して、ご奉公をお願いした。一度、教区御講にお伺いした際に、御宝前の間の隅に置いてあったテーブルに韓国語の参考書があった。私はめざとくそれを発見して、「韓国語を勉強しているの?」とお聞きしたところ、お席主である小寺さんの奥さまが勉強しておられるとのこと。あれから2年くらい経っているのだが、今回のご奉公を進める上で思い出し、通訳のご奉公をお願いしたところ、快く受けてくださった。
 桑原さんのお嫁さんは韓国の方で、私が結婚式をさせていただいたのだが、名古屋在住ということもあり、これまでは数えるほどしかお寺に参詣したことがなかった。今回、瓜生さんなどが声をかけてくださったと思うのだが、彼女も快くご奉公を受けてくださり、2日間にわたって、とにかく素晴らしいご奉公をしてくださった。お嫁さんのご奉公の間、お姑さんであるお義母さんがお孫さんの面倒を見てサポート。本当に有難いことだった。
 昨年、韓国団参にご一緒してくださった千代さんも通訳のご奉公をしてくださり、3日間、到着から帰国までご奉公をし通してくださった。本当に、本当に、ありがたい。スリランカの団参でもご一緒させていただいたし、もう立派な海外弘通のエキスパートだ。
 そして、我らが先生。そのキャラクターが徐々に人気を集め、妙深寺で最も愛されているY先生は、海外弘通部の部長として、言葉ではなく「Chant globally, Act locally」を体現してくださった。海外弘通部の部員となっている憲史くんの献身的なご奉公とのベストマッチで、今回のご奉公を主導してくださった。特に、先生は大学の韓国の留学生に声をかけてくださり、男女2名のネイティブ・スピーカーを連れてきてくださった。このお二人、素晴らしい活躍を見せてくださり、土曜日13時からの交流会では司会者の通訳を務めてくれた。
 もう、書ききれない。今朝は朝から御総講、13時、14時とお客さまがあり、15時にもお客さま。いま、お客さまが見えたので、行かないといけない。また、書きます。

2008年11月17日月曜日

こんな御会式はない

 有難い一日、「こんな素晴らしい御会式はない!」と、声高に叫びたくなるようなご奉公だった。
 朝、横浜は雨が降っていた。その降りは本格的なもので、一日中降り続くと思われるくらいの雲の重さ、暗さ、雨の強さだった。
 私は、御会式当日の朝7時半から行われる盛大奉修祈願の口唱会。これは、当日ご奉公していただく方々が各部署に付かれる前に行われる一座。窓の外は雨。傘やカッパを着ながらご奉公になるのだろうなと思いつつ、お看経の後でご挨拶をさせていただいた。「今日は、雨の奉修となりましたが、精一杯ご奉公させていただきましょう」と。今考えると、生ぬるいご挨拶である。
 しかし、妙深寺の柴山局長の挨拶は違った。本当に有難く、感動した。
 「今日は、あいにくの天候となりました。妙深寺にとっては、雨のご奉公は馴れていないかも知れません。しかし、今回の高祖会のテーマは『社会の安穏・人々の平和のために~立正安国~』です。今日、雨ということも『立正安国』とは一筋縄ではいかない、ということを教えていただいているに違いありません。そういう気持ちで、しっかりとご奉公していただきたい」
 私は、本当に感激した。こうしたご挨拶をいただくことが出来るとは、本当に有難い、ご信心の強い、よく御本意を身に体した局長である。そうでなければ、このご挨拶は出きない。石川御導師は、常々「事務局長は毎日毎朝お寺にお参詣できる人でなければならない。一番前でお看経をすることができなければ事務局長に値しない」と言っておられるが、そのとおりである。いくら社会的な地位があるとか、裕福であるとか、頭がいい、事務能力が高いとか、そういう資質を持っていても、それはそれ。本門佛立宗のお寺の事務局長にはなれないのである。
 この柴山局長の挨拶の後、ピタッと雨が止んだ。奉修中、曇天ではあったものの雨が降らずにご奉公できたことは、ここで数日前に書いたが、何よりの教えであり、お折伏であり、御利益であった。「一筋縄ではいかない」ということを教えていただきつつ、御法さまがいつも見守ってくださっていることを実感して、大きなおはからいをいただくことができた。局長のおかげ、ご奉公者ご一同のおかげだと思う。もちろん、御唱導をいただいた石川御導師のお徳をいただいた。また、歴史的な高祖会のご奉公となった。ただ、単純に「晴れてよかった」「御導師のお徳」とは感じ、そう言い合っているようでは末法のご弘通にならないのではないかと思った。教えていただいた。有難かった。
 金曜日から日曜日まで、これほど尊いご奉公となったのは、ご奉公者のおかげである。韓国の方々は、大感激して帰ってくださった。奉修中に、参詣目標を突破したのも、私が住職となってはじめてのことである。第三座の奉修中に、1300名を突破していた。他寺院からのお参詣も、11ヶ寺、80名ちかくに上った。大阪、九州からも、夜行バスを乗り継いでお参詣くださっていた方々がおられた。
 感動の高祖会。こんな御会式はない。金曜日から韓国の方々を羽田までお迎えに行き、そのまま鎌倉のご遺跡巡りにご案内し、夜は会食をし、ご宿泊は19名を妙深寺にお泊まりいただいた。ウォンの下落もあり、高いホテルを使わず、妙深寺のご奉公者で宿泊のご接待、準備、お食事のご用意をすべてしたのである。バスの手配から何から何まで、みんながまごころをこめてご奉公してくださった。昨夜、19時過ぎに羽田から韓国へと帰路につかれたのだが、涙ながらの、感動の別れであったという。
 本当にありがたかった。奉修後、18時から京都・長松寺での御総講のために妙深寺を離れた。心地よい疲れだった。日曜日の夜でお参詣しにくい中だと思うが、長松寺にも他寺院から20名近くのお参詣をいただいた。最近、関西近郊のお寺から足繁くお参詣していただく方々がいる。本当に有難いことだった。

2008年11月15日土曜日

平成20年度 高祖会

 平成20年度の高祖会が奉修される。
 今日、土曜日は10時30分から第一座。明日、日曜日は10時から第二座、11時30分から第三座が奉修される。天気予報は雨マーク。週末にかけて崩れるという予報。有難い。最初から雲一つないという予報が出ると気が緩むが、天気予報がこうなっていると、天候を気にしながら盛大奉修のご祈願をさせていただける。本来、願主が一つになり、これを機に信心増進させていただくために、天候を気にするご信心があるのだろう。私が住職になって8年。お会式で雨が降ったのは1度。その他のお会式は、いつも天気予報でドキドキするものの、当地域だけ晴天のおはからいをいただく。ご奉公者の随喜も広がる。
 今回の高祖会には、韓国から約20名の団参をいただいていることと、韓国の姜御導師に第一座の御唱導をいただく。何より、名古屋・建國寺の石川御導師に御唱導をいただいて、「立正安国~社会の安穏・人々の平和のために~」をテーマに奉修させていただく。この時代に、なくてはならない生き方、ご信心のあり方を感得させていただこうというものだ。天候に左右されることなく、社会情勢の悪化にひるむこともなく、そこでご信心を奮い起こして、お祖師さまの「天も捨てたまえ、諸難にもあえ。身命を期とせん」というご信心の一分でも汲ませていただきたいと願う。
 また、今回の高祖会では、ちびっこが法鼓のご奉公をしてくれることになっている。何ヶ月も前から、本堂の地下で練習をしてきてくれた成果を、お参詣の方々に見ていただこうというものである。妙深寺の薫化会は、会長の佐々木さんを筆頭に、お母さん方やお世話係など、たくさんのご奉公をいただいて年々子どもたちが増えている。特に、佐藤さんや進之介くんのリーダーシップもあって、子どもたちが喜べるプログラムをつくって楽しませながら、その名の通り「薫育教化」してくれていると思う。
 練習の成果、どうかなぁ。さて、妙深寺のみなさん。予定など入れていませんよね?高祖会です。ここでお参詣できなければ、妙深寺のご信者さんと言えないほど大切な日です。お祖師さまの祥月ご命日に併せて奉修させていただく大きな法要です。自分の親の命日に手を合わせない人がお守りをいただけないように、日々に御利益をいただくご信心の源に位置するお祖師さまの祥月ご命日に併せて奉修される高祖会を外していて、どうやってお守りやお導きをいただけるというのでしょう。ぜひ、万難を排して、お参詣させていただきましょう。
 御教歌「道遠く 雨ふる時の参詣は 信心つよきしるしなりけり」

2008年11月14日金曜日

聖墳墓教会での事件

 唐突だが、2003年11月に私は一人でイスラエルに渡航した。
 どうしてイスラエルに向かったかといえば、同時多発テロ後の世界で明らかになったように、世界に巨大な影響力を持ち続ける宗教の本質を知りたいと思ったからである。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であるエルサレムに行き、それらの宗教を育んだ空気、信仰する人々、教えを肌で感じようとしたからであった。
 とにかく、当時「渡航禁止勧告」の出ていたイスラエルに行くしかないと思っていた。寺院を預かる住職としては間違っていたかも知れない。しかし、テロや紛争が激化しつつあり、「文明の衝突」を掲げて宗教対立が煽られていた9.11後の世界にあって、仏教徒が感じるべき矛盾は何かを知りたかった。
 テルアビブの空港で、飛行機のタラップから降りると、私一人が止められた。「何しに来た」というわけである。その場で名刺を取り出し、さまざまな言い訳をしながら入国許可をしてくれるように依頼した。既に乗客を乗せたバスは出ていた。別の車で入国管理のデスクに行き、また同じ質問。どうなることか、さすがに心配だった。入国できるのか、できないか。必死に説明して、ようやく入国を許可していただいた。しかし、若い兵士たちの緊張感が伝わり、それを察知して私の肌に鳥肌が立った。
 とにかく、空港近くでレンタカーを借り、一人でテルアビブのホテルへ。ホテルで一泊して、翌日にはガリラヤ湖、ナザレ、ゴラン高原へと足早に回った。その翌日、私はテルアビブを離れて、エルサレム市に入った。ホテルにチェックインしたのは夜だった。
 次の日の朝、緊張して朝早く目が覚めた。今でも、その時、バルコニーを開けて、夜明けのエルサレム旧市街を撮影しながら自分でレポートしている映像が残っている。朝食を食べて、旧市街に入り、ダビデの塔から塀の上を歩き、オリーブ山を見下ろした。アル・アクサー寺院が見えて、嘆きの壁に肉薄した。そして、その後、イエスが磔刑にかけられたゴルゴダの丘の跡に作られたという、聖墳墓教会へと向かい、中に入った。
 なぜ、このタイミングでこんなことを書いたかといえば、聖墳墓教会のニュースを久しぶりに見たからである。2003年当時、エルサレムはテロの恐怖に怯えていた。テルアビブではバス・ターミナルで大きな自爆テロが起きた直後だった。最近になって、小康状態を保っていたガザでの紛争。しかし、先日イスラエル軍がハマスを攻撃したことで再燃しそうである。エルサレムではテロが久しく起きていないと思っていたが、なんと今度は聖墳墓教会の内部でキリスト教徒同士が殴り合いの喧嘩をしたという。宗教対立、問題の深さをあらためて思うとともに、内部の映像を見て懐かしく思った。
 エルサレムの聖墳墓教会は、キリスト教各派、ギリシャ正教やアルメニア正教のほか、ローマ・カトリック、エジプト・コプト、エチオピア正教、シリア正教などの共同管理となっている。その権限をめぐる対立は数千年来続いている。11月9日、アルメニア使徒教会とギリシャ正教会の聖職者(!)の間で乱闘が起き、多数のけが人、逮捕者まで出たという。これらの所有権や境界線などは、実に微妙なもので、解決の目処など誰も立てられそうにない。修復や増強工事すら出来ず、崩壊の危険すらあるという。
 教会の入り口から右の上がゴルゴダの丘とされている段であり、イエスの祭壇、向かって右側にマリアの像があった。入り口の正面にはイエスが横たえられたという石版があり、左の奥にイエスの墓がある。その内部は大理石で出来ているのだが、数え切れないほどの人によって踏み、削られ、小さな鉢のように反っていた。墳墓の入り口に立つ管理者(どちらの教会派か、権限を持つ人なのかも分からないが)に許可をもらって内部の写真も撮影させていただいたが、今回は掲載しないでおく。
 ゴルゴダの場所そのものに諸説があり、違う場所を指示する会派もあるし、学術発表もある。いずれにしても、中世にはエルサレム巡礼ツアーが商業的に発展し、イエスがかけられた十字架が発見されたとか、聖遺物としてさまざまなものが売られるようになっていたので、真偽を問えばきりがない。とにかく、私も訪れた聖墳墓教会、キリスト教徒が同じく敬う場所に於いて、キリスト教徒同士が殴り合いをするというニュースに、とても驚かされた。
 明日、明後日と、高祖会。「立正安国」をテーマとさせていただいて奉修させていただくが、今という時代だからこそ、1つの聖書から生まれたユダヤ教、キリスト教、イスラム教ではなく、仏教。その仏教の中でも、お祖師さまが立正安国論で判じられたように、御仏の御本意を説かれた法華経の教え、上行所伝の御題目を立てて、世界の平和・安定を確立したい。

ブッダ、スリランカの仏歯寺から

 スリランカの仏歯寺。The temple of the tooth(Dalada Maligawa)は、スリランカを代表する仏教寺院。「ここを訪れずにスリランカは語れない」とガイドブックに出ているほど、スリランカにとって重要な場所であり、多くの国民の信仰を集める寺院でもある。
 先日、私たちがスリランカから帰国した翌日に、NHKで放送されていたスリランカの番組は、世界遺産に登録されている仏歯寺についてのものだった。その番組では、この仏歯寺で起きた不幸で恐ろしい自爆テロのことや、そこに生きるシンハラ人(仏教徒)とタミール人(ヒンドゥー教徒)の生活を紹介していた。
 そう、コロンボにもタミールの方々は融和して生活している。キャンディより北部の地域でも、シンハラ人は融和して生活している。ごく一部の民族主義者が、それらの対立や相克を煽っているだけだ。先日来、スリランカ政府のLTTE(タミル・イーラム解放の虎)に対する強硬な政策と攻撃についてインド南部各州でデモが起き、インド政府が懸念を表明した。その理由も分かる。しかし、事実を尊重した歴史的な認識から本質的な解決策を見出さなければ政治ではない。人のための平和ではなく、平和のための人と考えて、政治家や公務員が役割を果たさなければ問題は大きくなる一方だと思う。日本も、同じような問題が起きているが。
 1998年、LTTEによる爆弾テロで、この仏歯寺も一部が破壊された。聖なる場所で死傷者が出たことはこの国の抱えている問題の深さを示している。スリランカ国民は、シンハラ人・タミール人の別もなく、この事件に衝撃を受けた。今でも、仏歯寺境内前には、空港のようなセキュリティー・ゲートが設置されており、厳しいチェックを受ける。
 しかし、インドこそ、テロの恐怖に怯えている。現在のインドは、非常にヒンドゥー・ナショナリズムが高まりを見せている。仏教発祥の地であるインドがそのようになることは望ましくないが、事実そうなってしまっている。彼らが、北はカシミール、南はスリランカと対峙して、イスラムや仏教と向き合う時、奇妙に高揚したナショナリズムに火が付かないように祈る。元来、仏教徒は平和主義を貫いてきたのに、今のスリランカ政府は暴力的だという批判も相次いでいる。それを聞く時、私はインドのナーランダ大学の遺構で聞いたガイドさんの話を思い出す。「仏教徒は平和主義だから、この国はイスラムによって滅びたのです」
 私たちは、「仏教」と言っている。しかし、日本仏教の中を見ていて、私は多くの仏教教団は「仏教」と言いつつ「ブッダ」の存在を軽視していると思う。実在のブッダ。その存在を、余りに軽視している。そもそも、インドから日本までの距離的・時間的な隔絶が、そういう一種偏った感覚を生み出してしまったのだろうか。とにかく、「ブッダ」よりも「開祖」「教祖」であり、それらが説いた「仏」「菩薩」等なのである。
 私たちがスリランカでご奉公していて痛感するのは、HBS(本門佛立宗)は、あくまで「ブッダ」なのである。ブッダを身近に感じる、ブッダの息吹を感じる、ブッダを敬い、ブッダに従い、ブッダに近づこうとしている。実際、よくよく日本仏教を観てみると、この当たり前のような「仏教徒」としての本質から外れていることもある。ブッダから、遠い。
 日本仏教として仏教であることに変わりはないから、一応(?)ブッダを敬いはするものの、それぞれブッダの説かれた経文、教えの中に表れた「仏」を敬う。それは、阿弥陀如来であり薬師如来であり大日如来であり、その他の諸仏・諸菩薩・諸尊であり、実在のブッダ以上にそれらの「仏」を救いの主として据えている。祈る対象も、救いの主も、ブッダが説いた、救いの能力、力を持つ「仏」であるとして、それらをブッダ以上に敬う。
 「善男子。自ら我れ道場、菩提樹下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。佛眼を以て一切諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以はいかん。諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと方便力を以てす。四十餘年に未だ眞實を顕さず。(善男子。我先道場。菩提樹下。端坐六年。得成阿耨多羅三藐三菩提。以佛眼觀。一切諸法。不可宣説。所以者何。知諸衆生。性欲不同。性欲不同。種種説法。種種説法。以方便力。四十餘年。未顯眞實。)」
 上記、法華経(妙法蓮華経)の開経「無量義経」の御文だが、法華経を説き始められる以前に、私は覚りを開き、ブッダの眼で全ての人々を見た時、それぞれの性質や欲し求めているところが違うことを痛感した。それらを教え導くために『方便』の力を用いてきた。未だ真実を顕していない。これから真実を説こう、と仰せになられた。仏教は、あくまでも方便で止まっていてはならず、法華経をいただけば、ブッダの教えは首尾一貫して明らかになることが分かる。
 数え切れない程の経文。その中に説かれるところの諸仏、諸尊。ブッダの真意を知らずにいれば、ブッダご自身の教説から外れ、方便の中の諸仏・諸尊を敬う流儀が生まれてしまう。私たちは、あくまでもブッダに対する敬いを大切にし、法華経本門八品に説かれたブッダの御本意をいただいている。それは、上行菩薩所伝の御題目に極まり、私たちはブッダの魂、存在そのもの御題目を通じて実感させていただくことが出来る。パーリ語経典などの研究面だけではなく、スリランカという古からの仏教国の、現場で、こうしたことを俯瞰的に実感できることが、有難い。
 私たちが、「本門佛立宗」と宗名を掲げているのは、まさにそのことを明確に示している。「法華経本門に説かれた久遠本仏(ブッダ)の立てられた宗旨」という意味である。日蓮門下では、お祖師さま(日蓮聖人)を敬う余り日蓮聖人こそ本仏であるという説が出たり、お祖師さまを行者の一人として下してしまうこともあり、正しくブッダとお祖師さまの関係をいただけていない。本門佛立宗が、スリランカで「ブッダの建立した宗旨」としてご弘通ご奉公ができているのには、これらに代表される深い理由がある。
 スリランカの人々は、多くの日本仏教の宗派とは異なり、あくまでもブッダ、ブッダその人への尊崇を持ち続けている。ブッダ以来、数千年間、大乗仏教の諸経典もスリランカにもたらされたが、その地理的な理由や歴史的な事実もあり、ブッダその人への信仰を持ち続けてきた。
 この仏歯寺も、ブッダの本物の犬歯(仏歯)が奉納されているとする寺院。約4世紀、インドのオリッサ州カリンガの王子が頭髪の中に隠してセイロンにもたらしたと言われている。当初はアヌラダープラに奉納されたが、遷都に伴い1590年、このキャンディに仏歯は移され、この寺院が建立された。スリランカでは、この仏歯のある場所が都であり、この仏歯こそ王権の象徴なのである。それほど、スリランカの人々は仏歯を国をあげて敬ってきた。
 ブッダは御入滅後ほどなく火葬とされた。その舎利は、最初8つに分祀された。私は、インドのデリーにある国立博物館で、ピプラワ出土とされる「仏舎利」を拝見した。こんな風に簡単に書いているが、仏教徒としてはさすがに、何ともいえず興奮した。大変なことである。しかも、その舎利は、タイ王家から奉納された純金の塔に収められてはいるものの、ガラスケース越しに見ることも出来るのだから。実在のブッダを実感し、心の底から熱いものが沸き上がってきた。仏舎利については、『大パリニッバーナ経・涅槃経』などに詳しい記述が残されている。諸説があるが、大きく2つに分けられて、以下のように伝えられている。
 マガダ国王の女子らは、釈尊の死を知って、クシナガラのマッラ族に使いを出した。「釈尊は王族(クシャトリヤ族)であり、われらも王族である。われらも釈尊の遺骨の分配を受ける資格がある。私たちは釈尊の尊師の遺骨をおさめるストゥーパ(舎利塔)を作り、祭祀を行うでしょう」と言った。
 またヴェーサーリーのリッチャヴィ族、カピラヴァットゥのシャカ族、アッラカッパのブリ族、ラーマ村のコーリャ族、ヴェータディーパの或るバラモン、パーヴァーのマッラ族も釈尊がクシナーラーで亡くなったということを聞いて、使者を遣わし、遺骨を請求した。
 ただし、シャカ族が遺骨を請求した主張の理由は、「ブッダはわれらの種族の最もすぐれた人であった」ということであり、ヴェータディーパのバラモンは「尊師はクシャトリアで、われはバラモンだ」ということだった。
 ところが、マッラ族は、「尊師はわれらの村の野でお亡くなりになった。われらはブッダの遺骨の一部分も与えない」と言った。
 このようにクシナーラのマッラ族が各国の使者の申し入れを拒否したため、あたりは険悪な空気に包まれた。その気配を察知したドーナというバラモンは、一同をとりなそうとして、次のように言った。
 わが提言に 諸君よ
 耳傾けよ みほとけは
 忍耐説きし ひとなれば
 無上の人の 遺骨とて
 そをめぐりつつ 争うを
 いかでか義しと 言うを得ん
 みなで仲よく 諸君よ
 八つに等しく 相分けて
 各自一つを 持てばよし
 各地に塔の 建たれなば
 浄らの信心 具眼者に
 懐けるひとは 世に満てん
 人々はドーナの提案を受け入れ、彼の手により遺骨は均等に八つに分配された。残った瓶はドーナ自身が受け取った。その後、ピッパラーヤナというバラモン学生も遺骨の引渡しを申し入れたが、分配された後だったため、荼毘を行った時に残った灰のみを受け取った。
 これにより、最初の八つの部族はそれぞれ仏舎利塔をつくり、ドーナは瓶塔、ピッパラーヤナは灰塔をつくって供養を営んだとされている。
 ただ、『大パリニッバーナ経』諸本最後には次の詩があり、以上の記述とは異なっているという。
 眼ある人の遺骨は八斛ある。
 七斛はインドで供養される。
 最上の人の他の一斛は、ラーマ村で諸々の竜王が供養する。
 一つの歯は三十三天で供養され、
 また一つの歯はガンダーラ市で供養される。
 また一つの歯はカリンガ王の国において供養される。
 また一つの歯を諸々の竜王が供養している。
 その威光によってこの豊かな大地は、
 最上の供養物をもって飾られているのである。
 このように、この眼ある人(ブッダ)の遺骨は、
 よく崇敬され、種々にいともよく崇敬されている。
 天王・諸々の竜王・人王に供養され、
 最上の人々によってこのように供養されている。
 合掌して、かれを礼拝せよ。
 げにブッダは百劫にも会うこと難し。
 この最後の部分の、『カリンガ王の国』というのが、スリランカに仏歯をもたらした王子の国である。そうした歴史を紡いで、スリランカの仏歯寺があるということだ。私たちは特別に仏歯が収められている建物の中の建物、ナーランドラ・シンハ王が建立した内部まで入れていただき、宝石が散りばめられた黄金の塔を拝見した。「特別な感慨があった」か、と聞かれると、今回はちょっと答えに窮するのだが、スリランカの人々が信仰してやまない寺院であるから、心からの敬いを表して拝観させていただいた。
 これだけ長い文章を書いたら、ほとんどここまで読んでくれている人はいないと思うが、私たちは、本物の仏教徒として、世界でご弘通させていただけることを誇りに思う。単に、何となく結びついている「仏教徒としての交流」ではなく、本当に、根底で、結びつける「教え」を持っており、法華経の教えだけが多様に受け取られたブッダの教えを一つに結びつけてくださると確信している。これを『従多帰一』の教えという。この尊い教えを、正しく受け継いでいるのはHBSだけであるから、ご弘通ご奉公がさせていただける。インドからスリランカや各国へ伝わった仏教。タクラマカン砂漠を越えて、中国、そして時を経て極東の島国、日本へ。そこから先は、また長くなるから止めよう。
 『サッダルマ・プンダリーキャ・スートラ(妙法蓮華経)』でブッダが使命を与えられたとおり、「ヴィシシュタ・チャーリトラ(上行菩薩)」はお祖師さまとして、確かに末法にご出現になり、御題目をお授けくださった。その御題目を以て、私たちは世界に「仏教」をお届けしている。

幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...