2009年12月29日火曜日

かりそめの父 清風

 年末、仕事を納められる人も多いと思います。愛する家族と、ゆっくりした時間を過ごしていただきたいと思います。もちろん、お寺に休日はありません。佛立教務にも休みはありません。先住が仰っていたとおり、年中無休365日24時間のご奉公です。
 昨日、朝のお看経の際、私個人のご祈願を言上させていただきました。高校時代からの友人の赤ちゃんのためのご祈願でした。
 友人に赤ちゃんが生まれたのは今月。12月のはじめのことでした。奥さまが出産のために里帰りされているということで少しだけ会ったのですが、赤ちゃんが生まる直前ということで嬉しそうでした。エコーの写真を見せてくれました。とにかく、無事に生まれて欲しいな、父親はそれだけだね、と話していました。
 赤ちゃんが誕生したと嬉しいメールをもらいました。本当にうれしかった。メールで写真も送ってもらって、目鼻立ちがはっきりした友人に似た美男子でした。本当に、生後数時間ということでしたが、不思議なくらい、清々しい、素敵な、穏やかな顔をした赤ちゃんでした。お祝いのメールを送りました。しかし、その後、少し肝臓の機能が悪いらしく、ちょっと安静にしなければならない、今も病院にいるんだ、と連絡あり、重ねて心配していました。大丈夫だと思う、ということだったので。
 12月22日、また少しだけ会いました。本当に親しい3人だけで。その時、やはり肝臓の状態が悪いので経過を見ているということを聞きました。しかし、友人自身も、僕も、会話しながら、それほど悪いとは思っていなかった。大丈夫、何があっても頑張っていくしかないよな、と話していました。
 そして、一昨日、短い電話。容態が悪く、京都で手術することになる、と。ヘリで移送する、と。二人で、男ながらに、泣きました。しかし、やるべきことをすべてやるしかない。そして、朝、ご祈願の言上。友人は、御縁は深かったのですが、ご信心はしていません。とにかく、ご祈願を、と。6時半、8時、そして、9時半。大掃除のご挨拶の際、妙深寺の方々にも、友人の赤ちゃんが、今日、これから、何時になるか分からないが、手術とのこと、みんなで思いをかけてほしいと、お話ししました。
 本堂での大掃除が終わり、庫裡に戻った午後。友人からの連絡。移送中のヘリの中で、生後3週間の赤ちゃんは、息を引き取った、と。友人を思い、奥さまを思うと、心をつぶされたような気持ちになりました。そして、彼は、とにかく、長松、頼む、と言いました。私は、現薫師に病院まで走ってくれと伝え、麩屋町の博子さんにお願いし、夕方、横浜から新幹線で京都に向かいました。
 麩屋町に到着すると、開導聖人の御戒壇の前に、小さな、小さな、赤ちゃんが、横たわっていました。生後3週間、この世に生を得て、生きた、赤ちゃん。みんなで一緒に御題目をお唱えしました。赤ちゃんの耳元で、眠れない夜に子守歌を聴かせるように、御題目をお唱えしました。赤ちゃんの小さな小さな手を両手で握りながら、御題目をお唱えしました。赤ちゃんの小さな小さな手に、小さなお数珠をかけ、また御題目をお唱えしました。友人、奥さま、私、現薫師、博子さんで、赤ちゃんが驚かないように、静かに、優しく、そして強く、心を込めて、御題目をお唱えしました。
 御題目をお唱えしている間、赤ちゃんが微笑んで、一緒に口ずさんでいるように見えました。友人も、赤ちゃんの側にある花が揺れて、動いていたと言い、奥さまも、お看経の後、赤ちゃんの顔を、泣きながら撫でてくれました。赤ちゃんの顔が、穏やかに変わっていると、感じてくれていました。本当に、綺麗な、綺麗な、お顔で、微笑みすらたたえています。御題目の、御力、その尊さを、赤ちゃんにも、両親である二人にも、お参詣したみんなにも、教えていただきました。
 全てに意味がある。誰にでも生まれてきた意味があります。しかし、あまりにも、短い生。嘆き、哀しむことは当たり前です。自分を責めたり、誰かのせいにしたくなったり、これほどまでに辛い経験、別れを通じて、なぜ、あなたは、此の世に生を受けたの、お父さんが間違っていたの、お母さんが悪かったの、痛かったでしょう、苦しかったでしょう、ごめんね、ごめんね、と。
 そうではない、そうではなく、お父さんでよかった、お母さんでよかった、ぼく、本当によかった、ありがとう、ありがとう、と思って、そう思ってもらって、見送ってあげること。そう思ってくれる。それしかできない。御題目に思いをのせて、それが叶う。これからの人生で、彼が世に生を受けてきた意味を、しっかりかみしめ、それを背負って生きていくこと。二人が、生まれてきてくれた赤ちゃんに対して、心から、ありがとう、と言えるように、その日が来るまで、二人が前を向いて生きていくこと。手に手をとって、生きていくこと。あらゆる、いのちには、意味がある。
 博子さんから、「娑婆の夢、三月、かりそめの父、清風」との、お話をしていただきました。本当に、涙、涙のご奉公となりました。年の瀬を控え、誰もが愛する家族の下に急いでいる時期に、こんな辛い別れを迎えている家族がおられます。そこで、ご奉公させていただくことも、私たちの使命であり、ここにも、尊い、かけがえのない意味があります。
 21時を過ぎて、京都から奈良に向かいました。野崎日丞御講尊がご遷化になられ、先住の御年回などをお勤めいただいた御恩から御霊前にご挨拶だけでもと思い。23時、無事に奈良本妙寺に着き、お看経をさせていただき棺中にご挨拶をさせていただき、ご住職にもご挨拶させていただきました。京都に戻り、麩屋町・長松寺の本堂で友人と過ごしました。彼は、赤ちゃんの側から離れたくないと言い、本堂で寝る準備をしていました。2時半くらいまで、話をしました。
 彼は本当にすごい人間であり、男であると思いました。友人であることを、本当に誇りに思います。私の、ご奉公が不出来で、不成就で、本当にごめん。本当に申し訳ない。本当に。
 朝、6時に起きて新幹線に乗り、いったん横浜に戻りました。29日は朝からお正月の御宝前にお上げする大鏡餅を作らせていただく日。このご奉公は、住職がしなければなりません。先住も、ずっとされてきました。淳慧師が奈良のご奉公ですから、本当に誰もおりません。ですから、横浜に戻ってご奉公させていただきました。
 今日は、清康師も手伝ってくれました。大鏡餅をつくりのは、先住がされていたのを見よう見まねでさせていただきます。つき上がってきたお餅を上の段と下の段に手で切って、独特のこね方で丸くしていきます。そして、出来上がる。出来上がったものを、待ってくださっているご奉公の方々が団扇で扇いでくれます。これは、あとで割れないようにするために、とても大切なのです。
 妙深寺本堂の御宝前、法深寺の本堂、歴代住職の御霊前、法宅の御宝前、各教務の家庭の御宝前の御鏡餅を、すべて今日つかせていただき、お作りします。昔から、京都の麩屋町でも、お祖母ちゃんを先頭に大鏡餅つきがされていたのです。横浜でも、こうして年末の恒例の行事として、ご奉公させていただきます。同時に、お正月にお配りする小餅を子どもたちがこねてくれます。少し、今日は、子どもを見ているのが辛かった。麩屋町の御宝前にいる赤ちゃんのことばかり考えていました。
 境内地では何十人もの方々が来てくださり、5つの臼を次々についてくれて、鏡餅、小餅、伸し餅、そしてご供養用のお餅が作られていきます。今回は、テントを出してくれて炊き方もよかったのか、本当に綺麗に仕上がっていました。
 いま、また京都に向かっています。今夜、しめやかに通夜を営み、明日告別式を奉修させていただきます。とにかく、とにかく、御題目で、しっかりとお送りしたいと思います。
 何を書いているのか、まとまりませんね。すいません。ありがとうございます。

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