2009年12月3日木曜日

班長さんへの手紙

 ありがとうございます。

 立正安国論上奏七五〇年も、残すところ一ヶ月となりました。お祖師さまのご命日は十月十三日ですが、旧暦ですと本年では十一月二十九日となります。秋が終わりを告げ、寒風の厳しさを思い知るような季節の変わり目だったと思います。お弟子方やご信者方は、偉大なお師匠さまのご遷化に、季節と同じく寂しさや厳しさ、今後の不安、恐ろしさを感じていたに違いありません。

 立正安国論で、お祖師さまは何を教えてくださったのでしょうか。それは、簡単に申しますと、正しい信仰を持たない限り、様々な問題が解決することはない、幸せが訪れることはない、ということです。勿論、自分自身の努力や忍耐は必要です。しかし、それだけでは世や人を焼き尽くす「火」は消せないのです。根本を見据えて、ご信心を強くせよ、とお戒めになられました。

 台風が来る前の準備は終わりましたか。自分問題や家庭に迫る危機を乗り切る手段は見つかりましたか。生・老・病・死、「恐怖悪世」といわれる末法の中で、枝葉末節に囚われることもなく、気を紛らわすだけの享楽に命を費やすこともなく、芯を貫く生き方をスタートさせていますか。

 立正安国論で教えていただいたことは、

「汝、早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ」

というお言葉のとおりです。信心を改良し、ご弘通ご奉公、菩薩行に進み出すことです。そこに、本当の幸せがあり、お見守りと、お導きに満ちた「無敵の人生」があります。この一年を終えて、ここが分かっていない、ここに歩み出せないのであれば、全く情けないことです。どのようなことになっても、ご宝前を恨むことのないように。それらは全て自分の怠慢であり、罪障によります。

 ご信心やご奉公は、本当は自分の気分に合わせてするものではありません。ご信者とは、真理に寄り添って生きることを身につけた人のことです。宇宙誕生以来、真理は負けたことがありません。曲がったり、折れたりしたこともありません。この御法の真理に寄り添って生きるのが佛立宗の本物のご信者です。

 私たちの「気持ち」「気分」は、三毒に左右されています。ですから、「真理」の側にあることの方が少なくて、それ以外のことで満足や気持ち良さを得るものです。

 人間にとっては、自分の気持ちに任せて生きることの方が気楽です。しかし、そのままであれば本能に従って生きる動物の方が気分に任せて生きる人間より勝れていると言われるでしょう。人間が動物よりも恐ろしい鬼のような生き物になり得るのは、この「気分」に合わせて生きているからです。

 ですから、お祖師さまは、

「心の師とはなるとも心を師とせざれ」

とお諭しです。

 怠けた方が楽。奪った方が簡単。怒った方が正直。愚痴ったら気持ちいい。断った方が面倒じゃなくていい。しかし、です。

 古いお経文のお釈迦さまのお言葉には、「泣きながらでも善いことをしなさい」とあります。「泣きながらでも」なのです。ご信心も、ご奉公も、「泣きながらでも」という気持ちで「させていただく」ことが本来の道、罪障消滅の道なのです。

 来年度、共に新しい一歩を踏み出したいと思っております。それも、今年のご奉公をどのように締めくくれたかによります。よくよく、御正当年を振り返っていただきたいと思います。

 泣きながらでも、朝参詣してください。泣きながらでも、朝夕のお看経、お助行に、ご奉公に、気張らせていただきましょう。

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