2009年12月15日火曜日

ムスリムと私たちのお看経

海外で出会う人には、イスラム教徒の方が多くいます。空港などで会話するようになると、いつも自分が仏教徒であることを明かし、いろいろな話をします。

教義の上ではたくさん言いたいことがありますが、とにかく彼らの敬虔さ、真摯な信仰の姿勢にはいつも最大限の敬意を払いたくなります。昨日、空港でムスリム、つまりイスラム教徒方が礼拝しているのを見ました。シンガポールやバンコクの空港にはイスラム教徒用の祈りの部屋が用意されていますが、日本の空港には見当たらないのか、看板の後ろに隠れて靴を脱ぎ、祈りを捧げていました。また、頭が下がりました。

以前、イタリアのご信者さんであるミルト・フリッツィさんが、婚約者のエンリーカと旅行に行った際、朝と夕方に20分のお看経の時間を設けていたと聞きました。エンリーカは初めてその姿を見たので、本当に驚いたそうです。今でこそエンリーカも素晴らしいご信者さんになっていますが、当時はとても驚いたそうです。それにしても、ミルトのお看経の姿勢には感服します。彼女と初めて泊りに行って、彼女を待たせてお看経の時間を設けるのですから。素晴らしいです。私たちも反省しなければなりませんね。祈りと共にある暮らし。それが自然で、一番ありがたいのですから。

ありがとうございます。

0 件のコメント:

幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...