2011年11月30日水曜日

オウム裁判の結審に思う

11月の終わり。明日から12月。ついに師走か。

幸い次男の熱は下がった。よかった。ずいぶん痩せたように見えるが、子どもは熱を出すたびに成長するものだ。眼がうつろになり、息が荒くなるのを見ているのは辛いが。

何とか今日締め切りの原稿は書き上げた。熱で頭がボーッとするが、気合いが足りないだけだろう。明日は月始総講。スイッチを入れ直す。

11年前、月始総講の参詣数は150名前後だった。今は200名前後になっている。自覚ある次世代の方々が増えていると感じる一方で、ここから輪を広げてゆかなければならないという課題もある。

オウム裁判が結審したというが、いまオウム以上に孤立し、分裂し、小グループ化した新宗教の枠にも入らないセクトやカルトが胎動し、誕生している。

「組織嫌いの神秘好き」という傾向は顕著で、細分化した自己中心的なグループが個々に集合と分裂を繰り返している。このようなカオスの中で、統合失調症に似た症状を持つカリスマ的な宗教指導者が出てくれば、またカルト的な事件が相次ぐのではないか。残念ながら、政治的にも、経済的にも、社会的にも、その素地は整いつつある。

正しい仏教、正しい仏法はどこにあるのか。仏教のアイデアこそ、人類が次のパラダイムへ扉を開く鍵となるはずだが、現在はむしろそこから離れてしまっている。

オウム事件は総括されていない。オウム真理教に魅了されたエリートたちの心理や社会背景、エセ科学や深層心理学、カルト的な新興宗教の闇は、解き明かされていない。いま、仏教以外の危険な道に迷い込もうとしている人たちが数え切れないほど多くいる。

しっかりせねば。

2011年11月29日火曜日

白い吐息

東北の今。ニュースに映る方々の吐息が白い。

また寒い季節がやってきていることを実感。これから来年の春まで、遠い。

支援物資を積んだトラックの荷台で取った、氷点下の夕食を思い出す。

氷水

普段元気な次男が40度の熱を出した。お風呂の桶に氷を入れて、氷水を作る。柔らかいタオルをひたしてきつく絞りおでこに当てる。何回も繰り返して熱を下げる。

40度あった熱が下がってゆくと、とても嬉しい。

週刊医学界新聞

今日は朝から文京区本郷にある医学書院という出版社にお呼びいただきました。

「週刊医学界新聞」の2012年1月23日発行号のための座談会。「社会資源としての看護職の新たな価値をいかに創造していくか」というテーマ。難しかったですが(汗)、とっても勉強になりました。

風邪ひいちゃった

風邪ひいちゃったみたい。明日、文京区まで行かなきゃいけないのに。

弱ったな(汗)。

2011年11月28日月曜日

人格

情実に流されず、孤独を恐れず。

明るさを失わず、高い専門性と強い好奇心を持ち、先見性、行動力、実行力を備え、高慢にならず、誰にでも細やかに、他の人の喜びを自分の喜びとし、センスや質にこだわり、お金や地位や権力に転ばない。

そんな人を、目標にしたいもの。

昭和20年代の京都

昭和20年代の京都。麩屋町、長松家の食卓。

2011年11月27日日曜日

夕闇

夕闇。浮かびあがる「常題目」の扁額。

眩しく強い光よりも、淡くほのかな灯りに出会った時の方が、落ち着き、尊さや有難さを感じるもの。

幸せ過ぎて、恵まれ過ぎて、見失ってしまうことが多いのは、僕たちの愚かな一面です。

闇の怖さや淋しさを知れば、太陽の輝きや月の光、灯火の美しさに気づきます。

当たり前ではない幸せ。偶然ではない毎日の出来事。貯金と散財。果報と罪障。今日は功徳を積んだのか、あるいは罪障を積み重ねたのか。

人を安心させたのか、人を不安にさせたのか。人にしてもらったこと、自分が人にしてあげたこと。支えてもらった、励ましてもらった。支えられない、励ませない。救われたのか、救えたのか。幸せの種まき、不幸の種まき。貯金と散財、散財と貯金。

一隅を照らす。ほのかな灯り。ほんの一つ、誰も知らない、気づかない、そんな片隅を照らす生き方が出来るなら、あなたはこの世界の宝物です。照らしたのか、照らされるばかりなのか。

夕闇、闇夜。闇があって、光がある。

灯火の大切さを思います。

御弘通絶ることなし

末代幼稚信要抄(日扇聖人全集十二巻三一八頁)

「真実の御弟子旦那の中に御弘通に仕ふるに大に上中下の三段あり。

或曰。先生御存生中に如説抄の御折伏。随他意なしの御法門講内一同に御定め置なくは御滅後は思ひ思ひにわかれんこと歎かはしと思ひ勵む人々あり是を上等の信者とす。

次に。さためてしかあるらんなれども我等軸出ていふともかひなしと歎くのみなる。これは中等の信者也。

次にいかにともなれ。其時は其時と。たゞ傍観せるあり。これを下等となす。

○高祖。御一周忌に本迹一致はじまる日向これなり五老僧。山を出す門々わかる。一百年餘に門祖本門題目宗下種信行折伏宗御再興。
今又一同に下種宗を。口にはとなへながら皆熟脱宗になれり。爰に本門佛立宗たてり。

清風滅後を思へとも。既に祖師御在世の御時ですらあまり御あらぎなりと。をこつくものあり。われらはやはらかに弘めんとて螢火が日月をわらふが如きもあり。朝夕をしへ給へども臆病にして肝を消して退轉せしも多くしてかくしつゝ終に廣宣流布すべき上行菩薩所傳の題目宗也。

上行大士仏勅を蒙らせ給ひ末法を御受取になりたる已上はおとろへる時分々々には地涌の大士立かはり。入かはりに出世ありて御弘通絶ることなし。弟子となり師匠となり。旦那となり無令断絶。疑ひなきこと也。」

紅葉のない年

紅葉の京都。大混雑です。タクシーも動かず、三条から四条、麩屋町まで歩くことに(涙)。

でも、「今年の紅葉はおかしい」とみんな言っています。例年のような見事な京都の紅葉は無く、枯れてしまったかのように一気に葉が落ちる。祇園祭の期間、一度も雨が降らなかったのも例年に無いこと。東日本大震災から続く天地の異常なのでしょうか。

今日は支庁・布教区青年会連絡会代表者会議。全国から佛立青年の方々が本山に参集くださっています。英ちゃんも代表者として出席。

2011年11月26日土曜日

『扶氏医戒之略』

扶氏とはフーフェランド(ベルリン大学教授、1764-1836)のこと。洪庵は、フーフェランドの著「Enchiridion Medicum」を翻訳し、巻末に医療に従事する者への12ヵ条の戒めを書いた。

『扶氏医戒之略』

一、医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずということを其業の本旨とす。安逸を思はず、名利を顧みず、唯おのれをすてて人を救はんことを希ふべし。人の生命を保全し、人の疾病を復治し、人の患苦を寛解するの外他事あるものにあらず。

一、病者に対しては唯病者を見るべし。貴賤貧富を顧ることなかれ。長者一握の黄金を以て貧士双眼の感涙に比するに、其心に得るところ如何ぞや。深く之を思ふべし。

一、其術を行ふに当ては病者を以て正鵠とすべし。決して弓矢となすことなかれ。固執に僻せず、漫試を好まず、謹慎して、眇看細密ならんことをおもふべし。

一、学術を研精するの外、尚言行に意を用いて病者に信任せられんことを求むべし。然りといへども、時様の服飾を用ひ、詭誕の奇説を唱へて、聞達を求むるは大に恥るところなり。

一、毎日夜間に方て更に昼間の病按を再考し、詳に筆記するを課定とすべし。積て一書を成せば、自己の為にも病者のためにも広大の裨益あり。

一、病者を訪ふは、疎漏の数診に足を労せんより、寧一診に心を労して細密ならんことを要す。然れども自尊大にして屡々診察することを欲せざるは甚だ悪むべきなり。

一、不治の病者も仍其患苦を寛解し、其生命を保全せんことを求むるは、医の職務なり。棄てて省みざるは人道に反す。たとひ救ふこと能はざるも、之を慰するは仁術なり。片時も其命を延べんことを思ふべし。決して其不起を告ぐべからず。言語容姿みな意を用ひて、之を悟らしむることなかれ。

一、病者の費用少なからんことを思ふべし。命を与ふとも、其命を繋ぐの資を奪はば、亦何の益かあらん。貧民に於ては茲に斟酌なくんばあらず。

一、世間に対して衆人の好意を得んことを要すべし。学術卓絶すとも、言行厳格なりとも、斎民の信を得ざれば、其徳を施すによしなし。周く俗情に通ぜざるべからず。殊に医は人の身命を依托し、赤裸を露呈し、最密の禁秘をも白し、最辱の懺悔をも状せざること能はざる所なり。常に篤実温厚を旨として、多言ならず、沈黙ならんことを主とすべし。博徒、酒客、好色、貪利の名なからんことは素より論を俟ず。

一、同業の人に対しては之を敬し、之を愛すべし。たとひしかること能はざるも、勉めて忍ばんことを要すべし。決して他医を議することなかれ。人の短をいうは、聖賢の堅く戒むる所なり。彼が過を挙ぐるは、小人の凶徳なり。人は唯一朝の過を議せられて、おのれ生涯の徳を損す。其徳失如何ぞや。各医自家の流有て、又自得の法あり。漫に之を論ずべからず。老医は敬重すべし。少輩は親愛すべし。人もし前医の得失を問ふことあらば、勉めて之を得に帰すべく、其治法の当否は現病を認めざるに辞すべし。

一、治療の商議は会同少なからんことを要す。多きも三人に過ぐべからず。殊によく其人を択ぶべし。只管病者の安全を意として、他事を顧みず、決して争議に及ぶことなかれ。

一、病者曽て依托せる医を舎て、窃に他医に商ることありとも、漫りに其謀に与かるべからず。先其医に告げて、其説を聞くにあらざれば、従事することなかれ。然りといへども、実に其誤治なることを知て、之を外視するは亦医の任にあらず。殊に危険の病に在ては遅疑することあることなかれ。

 右件十二章は扶氏遺訓巻末に附する所の医戒の大要を抄訳せるなり。書して二三子に示し、亦以て自警と云爾。

安政丁巳春正月
公 裁 誌

「扶氏医戒」

日本近代医学の祖と言われる緒方洪庵は、適塾などの弟子たちに「扶氏医戒」という訓戒を説いた。

「医がこの世で暮らしを立ててゆくということは、人のためのみにある」

「ただ、己を捨てて、ひとを救わんことのみを思うべし」

来週、医学界の方々と対談することになっているが、この言葉に、私たちが教えていただく真の仏道と、本来の医療の在り方に、共通の訓戒があることを見出す。

2011年11月25日金曜日

カリーナの林檎 -チェルノブイリの森-

7月、妙深寺にお参詣くださった今関監督の映画「カリーナの林檎 -チェルノブイリの森-」が始まっています。

「いま、私にできること」を考え続けてきた私たち。今関監督の「今、自分にできること・・・」という問いかけに、心から共感します。あの、チェルノブイリの森の物語。

是非、みなさんに観ていただきたいです。映画のウェブから今関監督のメッセージを掲載させていただきます。

「2003年 チェルノブイリ原発の事故の悲劇を描いた劇映画を日本人である私は制作しました。

2004年 映画『少女カリーナに捧ぐ』は一度完成します。

しかし、当時チェルノブイリ原発事故のことは日本ではほぼ忘れ去らていました。 まして遠い海の向こうの国の事故、そんなことに関心を持つ人は多くいませんでした。

公開の目処は立たず途方にくれるばかり・・・

月日は流れ鮮度が失われつつあり、最新の現地取材映像などを加えて2011年版のカリーナを再編集しました。

それはまだあの311災害の起こる前です。

2011年版の為に 2010年には再度チェルノブイリ及びその周辺へ行って来ました。

ひとことで言えば『何も変わっていない』です。放射線量を計るガイガーカウンターの針はビリビリと振れまくり、その数値も異常でした。 原発から半径30キロ圏内は未だに立ち入り禁止。ウクライナ政府軍が道路を封鎖し監視続けています。

今年あのチェルノブイリ原発事故から今年で25周年を迎えた。

そして今年、3月11日、日本の福島で震災と共に原発事故が起きてしまった。

悲しいかな福島原発の事故の反応から日本で、世界各地であの悲劇を風化させない為の運動が国内外で起こり始めています。

映画『少女カリーナに捧ぐ』タイトルを改め、
映画『カリーナの林檎〜チェルノブイリの森〜』として今年公開させます。

日本は広島、長崎でその放射能被害の恐ろしさをリアルに経験し、世界で唯一の被爆国となってしまった。 さらに今回の福島原発の放射能被害。その被害は今も色々な形で続いています。

25年経ったチェルノブイリ及びその周囲でもその被害は未だ広範囲に続いています。

福島は25年後どうなっているのか・・・戦争の原爆。電力の原発。

放射能は悪魔か、天使か?

映画の後半。主人公のカリーナは悪魔の住むお城(原発)が出す毒を止めてもらいに、たった一人で立ち向かいます。

今、自分に出来ることは何だろう… 

映画監督 今関あきよし」

法鼓隊募集!!

「小中学生を中心に隊員募集中!」

「法鼓できるとカッコいいよ。お講師やお兄さん、お姉さんが、やさしく丁寧に教えてくれます。」

妙深寺のお花を活けませんか?

「あなたも、妙深寺のお花を活けてみませんか?」

こんな素敵な、こんな穏やかなご奉公、有難いです。夕方、静寂の本堂でお花を活ける。何とも言えない、素晴らしい経験になります。

「年齢、経験、性別は問いません。」

「お寺のご宝前を、美しく、キレイにさせていただきたいという方!たくさん功徳を積んで、身も心も、美しく!」

6.10へ向かって

今日は25日。朝、門祖聖人のお総講を勤めさせていただきました。

昨夜は遅くまで教講幹部会議。続いて、さらに遅くまで6.10のパシフィコ横浜・国立大ホールについて企画会議が行われていました。

何があっても、させていただく一大ご奉公です。妙深寺の総力を結集して、御法さまはもちろん、先代ご住職方や先輩教講の皆さまに喜んでいただけるような機会にしたいと思います。とにかく、仏教を再興しなければ日本の再生はないと、固く信じて、ご奉公させていただきます。

陸前高田からも多くの方々にお越しいただき、復興のための一大イベントでもあります。

これから来年の6月10日まで、全身全霊で頑張ります。

2011年11月24日木曜日

ジョブズ、最後のラブレター

ジョブズ、最後のラブレター。

「20年前、僕は一目で君に夢中になったんだ。月日が流れ、子どもたちが生まれた。いい時も、厳しい時もあった。でも、悪い時はなかった。そして今、僕らは20年前にふたりで歩き始めた場所に戻って来た。年を取り、賢くなって。顔にも心にも、たくさんのしわを刻んで。僕らは人生の喜びも、苦しみも、驚きも、たくさん経験して、その上でこうして一緒にいるんだ。僕は今も君に夢中だ。」

本当に、偉大な人だ。本当に。

スリランカ、シンガポールで合流

世界を旅する佛立青年・宣之くん。今はインドにいるらしく、明日からスリランカに入るとのこと。来年の2月にはブラジル。世界を放浪しとるなぁ。

突然のことですが、ディリーパ・良潤師が空港まで迎えに行ってくれることになりました。数日間ですが、佛立信心の核を掴んで欲しい。

私は12月24日から28日の予定でスリランカ、シンガポールのご奉公に行かせていただきます。短期間ですが、彼のようにアジアのどこか、スリランカやシンガポールの近くにいる方がいたら、ぜひ合流を。

2011年11月23日水曜日

大震災「生と死」をみつめて



 昨夜、愛子さんからメールをいただき、ダイヤモンド社の連載「大震災「生と死」をみつめて」の中の飛鳥井 望・東京都医学総合研究所副所長のケースに妙深寺でご回向させていただいた時の御塔婆の写真が掲載されているのを教えていただきました。
 

 その文章には、

『「家族の霊がそばにいる」と心の傷に苦しむ遺族たち。精神科医が警鐘を鳴らすあまりにも深い「震災の爪痕」 ―飛鳥井 望・東京都医学総合研究所副所長のケース』

とありました。

 まさに、先日来お聞きしていることです。私たちには、まだまだやらなければならないこと、させていただかなければならないこと、私たちにしか出来ないことがあると思います。

 それは、儀礼化した「法事」ではなく、本当の意味での「回向」。寄り添いながら、一緒に、ご回向がさせていただければ。秋山ご住職が福田さんたちと一緒に汗を流して、その夜中にテントの中でご回向されたように。「なんであんなに泣けたんだろう」と福田さんは言っておられたから。

 それにしても、この陸前高田市民体育館の御塔婆が、こうして他の方の写真に撮られていたのを見たのは初めてのことで、本当に、有難いことであると思います。

 ありがとうございます。

談志師匠

談志師匠が、逝ってしまった。さみしい。

島谷清妙師

島谷清妙師。昭和初期の乗泉寺を支えた篤信の尼僧。佛立第8世講有日歓上人の奥様・口唱院さまのお側近くにお給仕されました。

先日来、御法門帳をお預かりして拝見させていただきましたが、佛立の佛立らしい、魂に響く御法門に感激いたしました。

恐れ多くも、これからご親族のお宅をお席として、御講に併せて御50回忌のご回向を勤めさせていただきます。

ロータスセミナー

今日は、13時からロータスセミナー。昨日、このセミナーのために映像が作られていました。

是非ご参加ください!

2011年11月22日火曜日

危険な男。

写真を撮れとせがむから、撮ってあげました。

危険な男。

パープルスカイ

陽が沈み、会議が終わり、僕だけ横浜に戻る。19時から月末の取材についてレクチャーしていただきます。難しいな。

でも、とっても綺麗な景色を見れたから、少しは頑張らないと、人間も。感動するだけじゃなくて、感動の一部にならないと。

パープルスカイ。

赤潮の兆候だから余り喜ばれないけれど、この美しい光景の中で、波間に夜光虫が光っていたのを、一度だけ見たことがある。あんな綺麗な光景、見たことなかった。

夏の終わりの夕方のこと。

陽の沈む頃

この美しい光景を、毎朝、毎夕、見れるなんて。羨ましいな。

波の音も、江ノ電の踏切の音も、羨ましく思えます。

江ノ島、江ノ電、顕証寺

これから神奈川布教区の住職会です。平成24年度の弘通方針、教養方針を検討していただきます。

それにしても、素晴らしいロケーションの顕証寺。こんな素敵な場所でお参詣できる方々は幸せです。

スカーファー

パッと、海が見えてくると、うれしくなります。やっぱり、母なる海。

ウェイクボードが日本に入る前、スカーファーというスポーツが入ってきました。雑誌社に、そのデモンストレーションをさせられたことがありました。

そんな写真がiPhoneの中に。懐かしい。

海の上を走りたくなります。

2011年11月21日月曜日

「御礼の言葉にかえて」

「御礼の言葉にかえて」

 ありがとうございます。

 秋の深みゆく寒露の頃、妙深寺教講の皆さまに於かれては、菩薩の誓いを胸に、日々ご健勝のことと心より随喜申し上げます。

 過日、晴天の本山御宝前、佛立開導日扇聖人の御尊前に於いて、上座講師叙任の栄を賜りました。栄えある妙深寺の歴史、先住日爽上人のご遷化、今日に至る皆さまのご奉公を想い浮かべながら当日を迎えさせていただきました。

 本年開始の「菩薩の建財ご有志」には前回のご奉公を上回るご奉納をいただき、東日本大震災の発生や支援活動、義援金の勧募もあり、お祝いを辞退して参りましたが、京都まで大変多くのお参詣を賜り、申し訳なく、言葉もありません。ただただ、妙深寺教講の皆さまに感謝しております。

 思い返せば、平成十二年六月、恩師・松風院日爽上人のご遷化に伴い、未熟な小僧が、横浜 妙深寺、由緒寺院 京都 長松寺の住職を継承することとなり、現御講有・小山日誠上人をはじめ、末弟に加えていただきました師匠・鈴江日原上人、後見・松本日延化主、尊兄・清水日清化主、妙深寺所属の教務諸師、ご信者各位に、心労やご心配をおかけしながら、先師上人方のお徳を汚さぬようにと、無我夢中でご弘通ご奉公に努めて参りました。

 このような日を迎えられましたことは、ご指導をいただきました皆さまのお陰と思い、感謝の言葉も見つかりません。ただ、ご恩に報い奉るため、今後も死身弘法の想いを以て全身全霊で佛立教務道を歩んで参りたいと存念しております。

 この度の昇叙に際し、院日号を「本化院日桜」と頂戴しました。愚息・愚弟の小僧に、一大現証の御利益を以て佛立信心をお教えくださったのは平成五年四月三日、満開の桜の下で起こった先住日爽上人のお怪我でありました。その現証を「佛立魂」と心得、先住が愛された妙深寺境内の桜を「本化桜」と呼び、その随喜を見失わぬよう、今日まで国内外のご弘通ご奉公に挺身して参りました。

 日爽上人は、
「散りますと
 花のいふのを 聞いてのめ」
という開導聖人の御教句を心から愛しておられました。

 門祖日隆聖人は、
「ちりちり常住、さくさく常住」
とお示しになられて、「無常の中の永遠」「永遠の中の無常」をお教えくださっております。

 長松の「松」は常緑の高木として永遠を表し、「桜」の花は無常を表すといいます。古来、松と桜は「松桜図」等に見られるように人々から愛でられて参りました。

 先住のお怪我は、明日をも知れぬ無常の厳しさと、御仏の永遠の命・上行所伝の御題目の尊さを教えてくださいました。

 小僧清潤、今日までの自身の行軌を振り返り、この一大現証の御利益、松と桜の縁、その教戒を以てその名とさせていただく以外にないと確信いたしました。

 図らずも桜は日本の国花です。京都生まれの横浜育ち。頭の中にも血肉にも西も東も御座いません。東も西も、国境も民族をも超えて、今後さらに国内外、世界各国に飛翔して、「本化上行の流類」に数えていただけるよう、一天四海皆帰妙法の祖願達成、広宣流布のご弘通ご奉公に邁進する所存です。

 誠に勿体ないことに、私たちは「本化上行菩薩・高祖日蓮大菩薩」の御弟子旦那の一分に加えていただいていると申します。その果報の尊さや大きさは、比べることも計ることも出来ません。

 お祖師さまは次のようにお諭しになられています。

「只南無妙法蓮華経、釈迦、多宝、上行菩薩血脈相承と修行し給へ。火は焼き照らすを以て行と為し、水は垢穢を浄むるを以て行と為し、風は塵埃を払ふを以て行と為し、又人畜、草木の為に魂となるを以て行と為す。大地は草木を生ずるを以て行と為し、天は潤すを以て行と為す。妙法蓮華経の五字も又是の如し、本化地涌の利益是れなり。
 上行菩薩末法今の時、此の法門を弘めんが為に御出現これあるべき由、経文には見え候へども如何が候やらん。上行菩薩出現すとやせん。出現せずとやせん。日蓮先づ粗弘め候なり。
 相構へ相構へて強盛の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ。生死一大事の血脈、此れより外に全く求むることなかれ。煩悩即菩提、生死即涅槃とは是なり。信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり。委細の旨又又申すべく候。恐恐謹言」(生死一大事血脈鈔)

「故に知んぬ。天台弘通の所化の機は在世帯権の円機の如し。本化弘通の所化の機は法華本門の直機なり」(立正観鈔)

「所謂時を論ずれば正像末、教を論ずれば小大、偏円、権実、顕密也。国を論ずれば中・辺の両国、機を論ずれば已逆と未逆と已謗と未謗と、師を論ずれば凡師と聖師と二乗と菩薩と、他方と此土と迹化と本化となり」(曽谷入道殿許御書)

「此日蓮は本化の一分なれば盛に本門の事の分を弘むべし」(太田左衛門尉御返事)

 混迷の度を深める現代にあって、本門佛立宗、そして、妙深寺こそ、生きた仏教を継承する宗団であり、生きたお寺であり、生きた仏教徒が集う場所であることを高らかに宣言し、証明してゆきたいと存じます。東日本大震災や世界恐慌によって人々の苦悩が増しているとしても、そうした人々を救い導くのが真実の仏教であり、仏教徒、佛立信徒であるはずです。

 一人が見る夢はただの夢ですが、これをみんなで見ることが出来たなら必ず現実になります。妙深寺教講の先頭に立って末法悪世の中に飛び込み、ご奉公させていただきたいと存じます。どうか、今後とも遠慮なく使ってくださいますよう、よろしくお願いいたします。

 つきましては、上座講師に叙任された今日より、終生一介の沙弥僧に甘んじた開導聖人のご遺志を継承し、袈裟衣でも僧階でもなく、ご弘通の姿、実践の中に佛立教務としての真骨頂があると固く信じ、御本意に叶うよう精進いたしますことをお誓い申し上げます。

 末筆となりましたが、皆々さまのご健勝とご繁栄を心より祈念申し上げます。

 ありがとうございます。合掌、

 平成二十三年 秋

 長松清潤 拝、

素晴らしいお知らせ

以下、昨日あっこさんのブログに書かれた、飛び上がるほど嬉しいお知らせ。美奈さんについて。ご祈願くださっていたみなさん、本当に、ありがとうございます。これからも、よろしくお願いします。

「飛び上がるくらい
嬉しい知らせが来ました!

やっぱりこれ。
これだよなー!!

めっちゃありがたい。

エミリーありがとう。
頑張ります。

内山美奈さんの病状についてのメールを転送させて頂きます。御助行、御祈願ありがとうございます。宜しくお願い致します。

   ↓

ありがとうございます。夜遅くに失礼します。内山さんのお父さんから今さっき美奈ちゃんの状態を連絡もらえたので、お伝えします。今日の夕方に麻痺していた足が突然良く動くようになり、看護師さんも驚いていたそうです。お昼に本山の御供水を飲んだのが、きっかけかも知れませんという事で、本山で祈願、御助行をしている方たちに伝えてほしいという事です。


24時間口唱会のときの
お供水を送らせていただいていました。

お供水さんが
そのときのものかは
わかりませんが
本当に嬉しい。

引き続きご祈願させて頂きます。」

2011年11月20日日曜日

マルコス大使

「生きる」をテーマに奉修させていただいた高祖会。お参詣は1260名ほどで目標には後一歩だったようです。これは残念でした。

日曜日にもかかわらず叙任のお祝いにとエチオピアの全権大使であるマルコス大使がお参詣くださり、第三座の最初から最後まで本堂の最前列にお座りくださっていました。ご祝辞までいただき、本当に、ありがたかったです。

お昼のご供養は、鈴江御導師を囲んで、マルコス大使や神田さんなど、大いに語り合うことが出来ました。それにしても大使はお箸の使い方が上手かったです。

土曜日も、日曜日も、不思議なご縁をいただいて、有難い高祖会となりました。

ありがとうございます。

清々しい空の下

日曜日、晴天の下での御会式、ありがたかったです。

今日は、秋山ご住職も自坊の高祖会と聞いていましたから、晴れてよかった。やはり、昨日の雨にも意味がありました。今日は、清々しい気候を満喫して奉修させていただくことが出来ました。

第二座は私が奉修させていただき、第三座は鈴江御導師にご唱導いただきました。

本当に、ありがとうございます。

枯葉の絨毯

今日、妙深寺の高祖会が、第二座 9時半から、第三座 11時から奉修されます。

西の空、明るい青空が見えています。昨日の風や雨で落ちた重たい枯葉が絨毯のように境内を覆っていましたが、朝一番からのご奉公によって綺麗にお掃除してくださいました。

ありがとうございます。

2011年11月19日土曜日

『妙深寺報 11月号

『妙深寺報 11月号』です。裏表紙は、引き続き明日も奉修させていただく、高祖会のポスターです。

今日、あいにくの雨模様でしたが、それでよかったと思っています。

「生きる」。本当に、厳しい現実を教えてくださり、身の引き締まる思いでご奉公させていただけました。軽い改良ではダメ。根本的な改良が必要です。生易しい「おはからい」では末法の現実に向きあえないのだから。

背伸びでも、やせ我慢でも、負け惜しみでもなく、確かに、厳しいお折伏の雨かめしれませんが、土曜日の今日、東日本大震災の現実に向き合った私たちにとって、ここから、改めて始められる真剣な生き方の大事を思えば、ありがたいと思います。それが、サインなのだから。何より、ありがたい。

雨の中、ご奉公いただいたみなさま、500名近いお参詣をいただいたみなさま、本当に、ありがとうございました。震災復興特別フォーラムには、ご近所からも参加いただき、本当に、ありがとうございました。

明日も、9時半、11時と、妙深寺の御会式が奉修されます。是非、お参詣を。第三座には驚きの方からお参詣の申し出をいただいています。ぜひ。

『陸前高田250日間の軌跡』が始まりました。

特別フォーラム『陸前高田250日間の軌跡』が始まりました。

秋山現信ご住職、福田紀雄さんを囲んでお話をお聞きしています。生々しい現実、真実、現場の声から、僕らのこれからの生き方を考えます。是非、聞いていただきたかった。

秋山ご住職からの御法門は、「行動のない信心、仏教なんてない。信心も真実もない行動ではダメだ」という厳しいもの。

今日、450名を上回る参加者(涙)。ありがとうございます(涙)。

『陸前高田250日間の軌跡』

これから高祖会第一座。13時から『陸前高田250日間の軌跡』。最前線の、生の、真実の声です。

10時と13時

妙深寺の御会式、第一座は10時から。秋山現信ご住職と福田さんを囲んだ特別フォーラムは13時から。

今日は、水戸や日立やいわき市からお参詣をいただきます。佐久山さんや能勢さんともお会いできる!

楽しみです。

2011年11月18日金曜日

福島で、福島で、福島で、

 被災した寺院、福島や水戸のご住職である秋山ご住職が妙深寺にお越しくださいました。明日、10時から秋山現信ご住職に御唱導いただき、平成23年度 妙深寺 高祖会 「生きる」を奉修させていただきます。

 3月15日、大震災発生から4日目、秋山ご住職は被災したご家族を連れて妙深寺まで来てくださいました。原発事故による放射能汚染が懸念される中、赤ちゃんを避難させるために。

 福島県いわき市にある妙運寺と茨城県水戸市にある開運寺の秋山ご住職は、被災したご自坊のご信者方の支援だけではなく、東北全域を縦横無尽に走り、支援活動を展開されていました。

 私たちは、そんな秋山ご住職を中心に支援を開始。3月18日、私も清康師を連れて、茨城、福島、宮城と支援に向かいました。あの時、決死の覚悟をしていたのを覚えています。高速道路は、ガランとしていて、緊急車輌以外ほかの車は走っていなかった。地震による道路のアップダウンにジャンプしながら北上していきました。

 明日、是非、万難を排して、10時の高祖会 第一座にお参詣いただきたい。陸前高田から福田さんもお参詣くださいます。東北を、福島を、これからも末永く応援していくために、妙深寺全員で、これからも気持ちを共有しようではありませんか。これから、みんなで生きてゆくために。

 福島のご住職、大震災以降、ずっと支援活動の第一線でご奉公されてきた秋山ご住職が御唱導なのです。お参詣しないなんて、もったいないというか、大切な機会を絶対に失ってしまうことになる。みんなで、応援しようではありませんか。

 大好きなサンボマスター。やってくれています。いつも、この曲を聴くたびに、涙が出ます。「I LOVE YOU & I NEED YOU ふくしま」です。これが、人の心をゆさぶる、ゆり動かす、ロックンロールです。是非、聴いて欲しい。

ロックンロール!!!

http://goo.gl/PnP8x



綺麗な空

空が綺麗です。空が、綺麗だなぁ。今日は。

幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...