2013年6月1日土曜日

班長さんへの手紙(平成25年6月「役中テキスト」)

 ありがとうございます。

 先住のご遷化から、今月十四日で十三年目を迎えます。そう考えますと、私が妙深寺の住職となってから十三年もの月日が経過したことになります。

 何度かお話したこともあると思いますが、私は先住に慈悲深く育てていただきながら、生きている間にしっかりとしたご奉公ぶりをお見せすることが出来ませんでした。勝手に鼻息を荒くしたり、勝手に腐ったりしながら、結局少しの安心をしていただくこともなく、病床の先住は、バカな私を、ただ、ひたすら、信じて、ご遷化になってしまわれたのです。本当に、愚かな弟子、息子でした。

 ご遷化の十二時間ほど前、これからのことをお聞きしたところ、

「お前がやるしかないだろう。バカ」

と一言仰せになりました。「相変わらずバカなことを聞く奴だ」と思っておられただろうと思います。

 ご遷化のあの朝から、十四年間、精一杯、目一杯、出来る限り、先住にお喜びいただきたいと思ってご奉公させていただきました。今でもそのように思っておりますし、今後も先住への生前の「不孝」を思い知りながら、妙深寺をはじめ、様々なご弘通ご奉公に精進してゆきたいと思っております。

 お祖師さまはご奉公を振り返り、
「日蓮貧道の身と生れて父母の孝養心にたら(足)ず、国の恩を報ずべき力なし。今度頸を法華経に奉りて、其功徳を父母に回向せん。其あまりは弟子檀那等にはぶく(配当)べし」
とお認めになられております。

 この命を法華経に捧げて、まずその功徳を父と母へのご回向としたい、その余慶の功徳はお弟子やご信者方に廻していただきたいと仰せでした。お祖師さまのご奉公の原動力に、ご両親への孝養心がありました。胸を打たれます。私たちは、命を捧げることは出来ないとしても、是非皆さまのご奉公の根っこにも、ご両親や亡くなった方への「ご回向」の思いを描いてください。いつも以上に励むことが出来るはずですし、ご奉公が長く続けられるはずです。私も同じ想いで励んでおります。

 み仏は、法華経の第三章、譬喩品に於いて、
「汝舎利弗、尚お此の経に於ては、信を以て入ることを得たり。」
とお説きになられました。純粋なご信心さえあれば、誰でも法華経の世界、御利益の世界に入ることが出来るとお約束された、余りに喜ばしく有難いお言葉(金言)です。

 しかし、実はこの尊く有難い御文に続いて、逆に功徳のいただけない者、現証の御利益をいただけない人について説かれています。

 この注意点は「十四誹謗」という十四個の謗法の心として教えていただきます。今回は詳しく述べませんが、この一つ一つが、幸せの邪魔、御利益の邪魔をする「謗法」です。

 お祖師さまは、「十四誹謗」について、
「悪の因に十四あり。一に僑慢、二に懈怠、三に計我、四に浅識、五に著欲、六に不解、七に不信、八に顰蹙、九に疑惑、十に誹謗、十一に軽善、十二に憎善、十三に嫉善、十四に恨善也。此十四誹謗は在家出家に亙るべし。恐るべし。恐るべし。」
と御妙判くださいました

 簡単に申しますと、それは、御本尊さまやご信者仲間に対して素直さと正直さを失った人のことです。自分が一番正しいと思う人。欲深い人。気分のいい時はご奉公に出てきて、気に入らないことがあると来なくなる人です。怠ける人。ケチな人。異体同心の和を乱す人。ご奉公する人を妬む人。ご奉公する人を憎む人のことです。

 ダメなものがダメではなくなる尊い御題目に出会いしたご信者さんであっても、自分の心や行動に、こういう側面が一つでもあったならば、幸せにはなれません。現証の御利益はいただけないのです。

 穴の開いた器で水を汲もうとするのは愚かです。素直で正直なご信心、ご奉公に努めましょう。

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