トルコでも、ブラジルでも、デモが行われている。時々、Facebookのブラジルの友人たちが、そんなデモの模様を伝えてくれている。こうした市民活動をどう捉えるか、見解は様々だろうけれど、僕は少し羨ましく思う。
明日は参議院選挙の行方を占う都議会選挙。僕たちが考えている以上に大切な、重要な選挙に違いない。そういうことに関心のある国の空気と、何とも言えない無関心が広がる国の空気。日本は明らかに後者だと思う。
若い人たちが多い国ではデモが起こりやすく、そうでない国は起こりにくいという。日本も、圧倒的に若者が多かった敗戦後10年から20年後の時期、最もデモが多かった。
安保闘争というが、どんな問題にせよ、若者たちの純粋な理想や情熱が、巨大な権力に対して、たじろぐことも、諦めることもなく、立ち向かわせたのだと思う。
あれから40年。超少子高齢化の進むこの国で、あの頃の行動を笑うことなど出来ないし、むしろ学ばなければならないと思う。アンチエイジングは、個人の身体だけの話ではないはずだ。国も、賢明さと共に、ある意味で若さを保つべきではないか。
「老練」ならばいいが「老醜」や「老獪」など、年老いた人を戒める言葉がある。達観を装い、視野も狭くなり、ひたすら我欲だけ強ければ残念な存在になるだろうし、冒険や挑戦の邪魔ばかりすれば「老害」と言われかねない。80才で3度名のエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎氏のような若々しさを持つ人は、残念ながら多くないのだ。いま、国全体が年老いてきているのではないかと思う。
どうしても理解できないのは、この国の静かさ。東日本大震災が起こって、阪神淡路大震災の何倍もの方々が亡くなり、未曾有の原発事故も発生して、今でも帰宅できない方々がたくさんいて、しかもこれから東南海の広い地域で超巨大大地震や大津波が起こると言われている。そんな中なのに、何とも言えない静かさがこの国を覆ってる。気味が悪いほど、静かで、ピントがずれていると思うのだ。
何かが麻痺しているのではないか、どこかか壊れているのではないだろうか。
遠い国々で起きているデモのニュースを聞く。不安定な社会という解説を聞きながら、その一方で、こちら側の、何事も冷静な、問題意識も薄く、情熱もなく達観し、大人びた国や空気を見ている。
原発事故が起きて、原子力発電は「コストも安く、地球にも優しいクリーンエネルギー」なんて冗談のようなものだと誰もが思い知ったはずだ。しかも、最終処分の方法も場所も決まっていないし、何かが起きたら制御もできず、管理体制も全くのいい加減なものだと判明した。
インチキと子供騙し。いま、目の中に入ってくるものは、インチキと子供騙しばかり。しかも、まるで何の罪もないお年寄りを騙す詐欺のような手法で、問題のすり替えが行われてゆく。
今後の世界で最もリスキーなのは、増え続ける自然災害だろう。個人にとってもそうだし、ビジネスでもそうだ。自然災害が起こって、計画の変更を余儀無くされる。計画が頓挫する。そんなことが続発する。エネルギー政策についても同じだと思う。だとしたら、何事かが起きたら制御できなくなる原子力発電の恐ろしさを考えてみて欲しい。
巨大なファンドの手によって乱高下する為替。こんなもので実体経済が浮きもすれば沈みもするなんて、本当に馬鹿げていないのだろうか。博打打ちの息子に家族全員が運命を委ねていたら、きっと別の道を探すように勧める。株式市場に地球全体が運命を委ねざるを得ないのは、同じような構図とは言えないだろうか。
もちろん、もう下りられないゲームだと思う。しかし、実体経済からかけ離れた「市場」とは誰にとっての「市場」だろう。もはや、その「市場」では、株が上がっても、下がっても儲かる方法があるのだから、それこそ「実体経済」や人々の「市場」などではなくなり、必然として投機的にならざるを得ないではないか。健全な市場のはずが、もう誰にも止められないほど投機的になっている。ギャンブルのように。
原子力発電所の再稼働を掲げた政党。本当に、これでいいのだろうか。いいわけがない。東日本大震災が発生して、これほど多くの方々が苦しみ、様々な問題が明らかになっているのに、なぜ、国家を上げて別の道が歩み出せないのだろう。経済政策にしても、エネルギー政策にしても、「憲法改正」の奥に見え隠れする「本音」にしても、違和感ばかり募る。
『仏教徒 坂本龍馬』という本を書いていて見えてきたのは、「仏教国・日本」という「この国のかたち」だった。明治維新の直前まで遡れば、龍馬たちが夢見た「仏教国」としての日本が見えてくる。明治新政府はその道を歩まず、むすろ破壊し、忘却して、「神国・日本」としての道を歩んだ。そして、無惨な敗戦を迎えた。
敗戦の後、「神国・日本」の国家観は潰えた。サンフランシスコ講和会議の席上、セイロン代表のジャヤワルダナ氏は「仏教国・日本」として再生の道を歩ませ、賠償の放棄を説いた。しかし、その後の多くの日本人が、確たる宗教も思想も持てずに生きた。
「エコノミック・アニマル」と世界から呼ばれるほど、経済発展を追い求め、事実として世界有数の経済大国を築き上げた日本人。しかし、右肩下がりの社会となった今、エコノミック・アニマルも少なくなり、思想や信仰を持つ人も少ない。「仏教国・日本」なんて想像もつかない。
いま、経済活動にしても、環境やエネルギーの問題にしても、心の病の増加や家族の問題にしても、「仏教国」であればどのような選択するか、どんな着想で進んでゆくのか、考えるべきではないかと思う。ブータンのような国に戻ることは出来なくても、「仏教」という指標で、国のかたちや方向を見出せないだろうか。
デフレ脱却を掲げ、金融緩和で、円安歓迎で、株価高騰で、所得増加、消費税増税、財政健全化。そして、原油価格の上昇、エネルギーコストの増大、経済発展のためには原発再稼働も止む無し、となっている。なぜ?どうして?
これを認めたくないと思う。どんな選択でも、全員がハッピーになることはない。社会が大きな転換を強いられた時、皇帝であろうと、貴族であろうと、大地主であろうと、大富豪であろうと、労働者や民衆であろうと、大きな負を背負って変革に臨んだのだから。
再稼働と言いながら、福島第一原子力発電所では、燃料を取り出すだけで、あと何年もかかる。まともに作業すら進んでいない。汚染水の処理だって、ずっとイタチごっこが続いてる。
「自然界への問題はない」とか「人体への影響はない」というのであれば、それを言う方のご家族や子どもたちに、その水を飲ませられるレベルであって欲しい。もしそうでないならば、全ての真実を申し伝える必要がある。
つい先日も、東京の川で獲れたウナギからセシウムが検出された。この他、本当に広い地域で、民間人が、自分たちの力で、民間の検査機関に依頼して、そして次々にセシウムが検出されている。出荷規制など、その産業の方々は大変な思いをされているに違いないが、人々の健康が最後の最後に回されていると感じる。食品ごとにセシウムレベルを表記してもらいたいくらい、事実がうやむやになっていると思う。
東京電力の方々でマネジメントする方々にも、愛するご家族がいるはず。政治家の方も同じはずだ。昔、カイワレ大根を食べて見せたり、口蹄疫の時には牛肉を食べて見せたりしてくれたではないか。「大丈夫」というならば、その水を飲んで見せたりしてもらいたい。
この奇跡の星・地球の中で、圧倒的な影響力を持つ人間。僕たちが何とかすれば、地球も何とかなる。
核兵器を使用された国、こんな悲惨な大地震や大津波があって、しかも原発事故があった国。それで何も学べなかったら、どうしようもないと思う。
経済偏重で、いいのか。問題意識が希薄で、いいのか。このままで、いいのか。
かといって、都議選で投票する政党も政治家も、見当たらないかもしれない。だからこそ、市民一人ひとりが動き出している国々の若さ、純粋さ、情熱を、羨ましく思う。僕自身も、もっと、もっと、声を出し、行動し、闘ってゆかなければならないと思う。インチキと子供騙しばかりを感じてしまう世の中で。
後悔したくないし、国の未来を占う明日の都議会選挙の前に、書いておこうと思った。
沼津三津浜の民宿にて。
さっき、彩雲が出ました。久しぶり。有難い。
2013年6月22日土曜日
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