正しい答えを探すより、正しい問いを探すべき。
ドラッカーの言葉です。
間違った問いに対する正しい答えなど、役に立ちません。
人生とは何か。
生きるとはどういうことか。
死ぬということは如何なることか。
自分は何者か。
どこから来て、どこに行くのか。
まず、この設問を立てておきたいものです。
仏教の原点、仏教の創始者・ブッダの抱いた設問ですから。
生きていると、毎日毎日たくさんの問いが生まれるし、何らかの答えを探して過ごさざるを得ません。
でも、それが正しい問いなのか、よく考えてみると疑問に思うこともあるはずです。
答えを探すことに躍起になっていると、そもそもその設問が間違っていることに気づかなくなったりするものだから。
なぜそれをするのか。
なぜそうなるのか。
なぜ楽しいのか。
なぜ苦しいのか。
ウキウキも、イライラも、ソワソワも、セカセカ、ムカムカも、正しい問いを持って生きているか、そこを考え直すと何かが見えてくるものです。
間違った設問でも、正しい答えを搾り出そうとするのが今の政治や行政なのかもしれません。
根っこから悪い人は少ないと思うのですが、そもそも間違っている設問に正しい答えを導き出そうとしているから悪く見えてしまう。
御教歌
「わろければ早くあらため つくろはず 唯信心にしくものはなし」
改められるから、僕たちは救われます。「改良」とは僕たちにとって欠かせない救いのアクション。
ガンバロウ。
というメモ。
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