今年も農耕祭がやってきた。
幼いシッダルタは、父のスッドーダナ王の隣りに座り、農耕祭を祝う人々を眺めていた。
豊饒を祈る賑やかなお祭りの中、小さな小鳥が耕された畑に舞い降り、土から顔を出した小さな虫をついばんだ。
誰も気にすることのない、田畑の中の小さな出来事。
小鳥は再び舞い上がると大きな鳥に捕らえられてしまった。
その瞬間、王は隣りにいるシッダルタを見て、彼が気を失っていることに気づく。
一同は慌てて王子の意識を取り戻そうとする。
しばらくして、シッダルタ王子は目を覚ました。
そして、彼が見ていた夢を語り出した。
自分が鳥の子供として生まれたこと、困難を乗り越えて、敵に狙われながら生き延びてきたこと、恋をして結ばれ子供が生まれたこと、そして人間の農耕祭で虫を見つけた。
王子は続けました。
それを獲りに畑へ舞い降りたところ、そんな小鳥を狙っている大きな鳥に捕まってしまったこと、鷲づかみにされ、「自分の内蔵がつぶされる音を聞きながら、ああこれで死ぬんだなとはっきり思いました。死んだらどこへ行くんだろうと考えながら…。」と。
王も、小さな鳥が大きな鳥に捕らわれていく様子を見ていたので、心から驚きました。
シッダルタ、つまりお釈迦さま、ブッダの幼少期の有名なエピソードです。
「生きとし生けるもの」という仏教に貫かれる感性は、こうした「他者」を思いやる、いや、思いやるというか、シッダルタの感情を他の生き物に移し入れるようなところにルーツがあるのだと思います。
手塚治虫さんの『ブッダ』のこのシーンは印象深く、いつも子供たちに読ませています。
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